「…彼ら、本気で徒歩で麓まで向かう気なんですかね」
「そうみたいですよ?」
ナルサスとエラムが仲間になってからそう時間がたっていない今現在。イシュラーナとエラムの二人は山の高い崖の上から下に見える登山道を眺めていた。彼らの視線の先には先ほどナルサスが落とし穴に落として放置したカーラーンの部下たちがくしゃみをしながら下山している姿が見えた。
「これでしばらく時間が稼げるでしょう。ナルサス様の隠れ家はまだ幾つもありますし、それを発見される前に手を打つでしょうから」
「そうでしょうね」
くるりと後ろを向いて崖から登山道とは逆の方に飛び降りたエラムを追って飛び降りたイシュラーナ。着地をそれなりにこなし、立ち上がると先を行くエラムに声をかける。
「…では、私はしばらく食料でも取ってこようかと思います。備蓄食を作りたいのです」
「報告の後でいいのでは?」
「報告はエラムさんにお願いします。実は、先ほど隠れ家に向かう道でぜひとも収穫したい食料を見つけまして。さっきからそれが気になってうずうずしているのです!」
爛々としたイシュラーナの目。一方のエラムはそんな彼女に呆れたようなため息をついた。
「分かりました。ですが拠点からあまり離れないでくださいね?ここら近辺は人通りなんてほとんどありません。なので、森は完全に野生の環境ですし、迷子になりやすいですから」
「了解しました!」
やったー!という心の声をダダ漏れさせながら、嬉々としてフードを被りなおして歩き始める。エラムはそんな彼女の後姿を律儀に見送ってから、拠点に報告へと帰った。
しばらく時間が経過した後。森を歩くイシュラーナは。
「あーんーずー、あーんーずー」
この上なく嬉しそうであった。フードを被っていてもわかる上機嫌ぶりだ。両腕に抱えられているのは大量のアンズ。ちょうどいい塩梅に熟れているそれらは、甘酸っぱい芳香を放つ。
――干しアンズもよし、少ないですが砂糖もあったのでそれで煮詰めるもよし…
「キタコレじゃないですか…!」
うふふふふ、と喜びの声をあげながら、しかし周囲に気を配りながら来た道を戻る。途中で薬草やら食用の木の根を回収しながら進み、もう少しで洞窟…というところで、イシュラーナの耳は雑音を捉える。
――…後方右、身体が植物とこすれる音
振り向いてそのまま待つ。一応収穫物は地面に置き、右手に剣の柄を持つ。そうして少しの時がたって現れたのは、
「……子鹿か」
可愛らしい子鹿。まだ体が小さいので、食料にするには適さないだろう。食料にしないなら、ぜひやりたいことがある。手を伸ばし、声を掛ける。
「かわいいです」
もう少しで手が触れようというとき、ガサガサ!と大きな音を立てて何かが飛び出した。それが親鹿であると気付いた時にはもう遅く、目前に黒い、土で汚れた蹄が見えた。
思わず目をきつくつむる。恐怖に身を固め、何もできずそのまま容赦のない蹴りを受ける――そのはずだったのだが、
「動くな!」
その叫びと共にドス、と何かが肉に突き刺さったような音がした。自分に突き刺さって――いない?衝撃がいつまでも来ないのをいいことに目を開けると、そこには首を矢に射抜かれて倒れ、絶命した親鹿の姿があった。
「な……」
腰を抜かしてペタリと地面に座り込んだ。フードが外れ、イシュラーナの驚きと恐怖に染まった血色の悪い顔が見える。ガサゴソと何かが草木にこすれながらこちらに来る音とともに罵声がこちらに飛んできた。
「何やってるんですか!」
「え、エラムくん…」
「子鹿に不用心に近づいてはいけません!親鹿に蹴り殺されたいんですか!」
エラムは近くに座ると、射抜いた親鹿の様子を見る。そして周囲を見渡してから、イシュラーナを見た。
「子鹿が単独で動くことは少ないのです。なので、手を出そうとすれば必ずと言っていいほど親鹿が出てきます。親は子供を守るのに必死になりますから、下手したら死にます。知らなかったのですか」
「………知らなかった」
しょんぼり。それが一番しっくりくるであろう表情を浮かべる。その様子を見ていたエラムは、腰に引っ提げて持ってきていた麻袋を突き出すようにイシュラーナへ押し付ける。
「とにかく、これにアンズを入れてください。そしたらこの鹿を持って拠点に戻ります」
「分かった」
慣れ切った手つきで鹿に縄をかけていくエラム。その横でアンズを袋に入れ切ったイシュラーナは、その袋を腰につるした。そしてエラムの作業が終わり、縄に巻かれた鹿を二人で持って歩き始める。
「そうだ、エラムくん」
「何ですか」
呼ばれたエラムがめんどくさそうに振り向くと、ニコニコ顔のイシュラーナが見えた。
「助けてくれてありがとう」
思わぬ不意打ちに、一瞬動揺した。完全に照れたエラムは、ふいと再び前を向いた。そしてしばらく黙っていたが結局、
「もうあんな馬鹿な真似はよしてください」
ツンツンした返事を返した。すると後ろからくすくすと笑う声がして、
「はーい」
と面白がるような返事が返ってきた。先ほどまでの暗い雰囲気が嘘のようだ。だけど、悪くないかもしれないなどと思いながら、エラムは顔に照れくさそうな笑みを浮かべた。