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 戦場を離脱したイシュラーナは、森の中にいた。

「はあ…流石に疲れました…」

 適当な場所で馬を降り、馬の装備を外す。鞍をひっくり返せば包み紙に包まれた干し草が現れる。鐙の近くに吊り下げておいた皮袋を外し、紐を解いて袋を開ければ、干し肉と水を入れた袋が現れた。イシュラーナは思わず引きつった笑みを浮かべる。

「まさか、備えすぎがここまでお役立ちになるとは…」

 実は、出発直前の買い出しで買ったのはこのための資材だった。家に帰ってから、ヴァフリーズに買ったものをどうするのかと聞かれたので、
「非常用の糧食入れとかに」
と答えたら一喝された。兵士が余計な荷物を持つな!といった内容で。そのように一喝されたのだが、それでもこっそり支度をし、自分の馬に括り付けた…というわけだ。おかげで馬の疲労はほかの兵士の馬より少し多いはずだ。

 イシュラーナは水でうがいをし、飲むことで三分の一を消費した。残りの三分の二は馬に飲ませてやる。

「飲んで。少ないけどこれでしばらくもたせて」

 水を飲んだところに干し草を与え、イシュラーナ自身も干し肉を食べた。なんとか落ち着きを得たところで、馬を置いて川を探す。少し茂みをかき分けただけで、あっさり見つかった。

「なんか上手くいきすぎてる気がしなくもない…」

 とにかく水を入れていた袋をすすぎ、再度水を入れて封をする。ふと顔を上げると、立派な城塞が見える。

――…あれ、

「カーラーンの城か…」

 そういえばカーラーンが裏切ったという事を聞いたな、とイシュラーナは思った。深く霧がかかった川向こうを見ながら、出発する時はわざわざそこを通ってから行こうと考える。多分、兄さんも同じ事を思うだろう、とも。

 とにかく水は汲んだので馬の元へ戻る。再び鞍などをセットし、イシュラーナは折り返してあるデザインの袖口をボタンを外して伸ばした。そこに現れたのは、一本の糸で刺繍された非常に狭い範囲の略図。上衣を仕立てる際に袖口を分厚く作って欲しいと依頼したおかげで、血糊で汚れる事もなく綺麗に地図が読み取れる。本当はデザイン的にそうしたかっただけなのだが、思わぬところで役立った。

 地図が表すのはダイラム領の奥地、山の中の一部。ここに、ナルサスという元宮廷人が住んでいる事、彼はとても頭がいいという事を聞かされていた。また、彼の侍童はエラムといい、まだ子供だが賢く、将来有望な少年だという事も、イシュラーナは万が一の為に、とダリューンからこっそり聞かされていた。もちろん、ヴァフリーズは何も知らない。ここでも備えすぎがお役立ちになったのだ。

「父さんごめん。でも、おかげで生き残れそうだから許してください」

 1人呟いてから馬に跨る。よろしく、と言ってから腹を蹴り、イシュラーナはダイラム領の山へと馬を歩かせた。



『いいかイシュラーナ、これから教える事は秘密だぞ。だが、困った時は容赦なく使え』

 アトロパテネ前、ヴァフリーズが出勤中、その日は非番だったダリューンがこっそり教えてくれた。

『元ダイラムの領主、我が友ナルサス。ひねくれ者ゆえに、お前が1人でそこへ向かわねばならなくなった時に拒む事はないだろう。あいつはダイラム領の山奥にこもり、山荘で異国の書物を読んだり絵を描いて暮らしているそうだ』

 ダリューンは地図を持ってきてイシュラーナに見せる。この辺りだ、と指をさし、道順をたどっていく。

『あいつにはエラムという侍童が付いていて、多分山道で会う事になると思う。だから、きちんと名乗り、ナルサスを知っている事を告げるんだ。その時に必ず、俺の名前を出せ』
『分かりました』
『そうそう、一応地図は簡略的なのを書いておいたが、落としても困るから衣服のどこかに縫いこんでおいてくれ』
『はい』




「…本当、備えすぎって大事だなぁ」

 回想を終え、イシュラーナは呟いた。備えすぎが足手纏いになるのは知っているが、ここまで上手くいくと毎回備えまくりたくなる。でもまあ加減は大事だから、次からはほどほどな程度に抑えておかねば、などと考えながら進んでいくうちに、山道へと突入する。しばらく進んで、山荘が見えてきたが、誰かが声をかけてくる気配はない。

結局、

――少年とは会いませんでしたね…

 山荘付近でイシュラーナは馬を降りた。馬を木陰に上手い具合で隠し、剣と弓を携えて徒歩で進む。万が一、ナルサス邸が敵に制圧されていた場合を考えたのだ。エラムが出てこなかったという事も思考に影響していた。

 屋敷のドアまで進み、イシュラーナはノック音を響かせた。

「夜分遅くに申し訳ありません。私は大将軍ヴァフリーズが義娘、イシュラーナと申します。画家志望のナルサス様はいらっしゃいますか」

 イシュラーナは自然体を繕いながら、警戒を最大限に引き上げた。そう時間のかからないうちに、扉は開いた。

備えあれば憂いなし


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