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「父さん」
「何だ、イシュラーナ」

 アトロパテネへ向かう道中。アンドラゴラス王付近にいる大将軍ヴァフリーズの側にイシュラーナはいた。袖口を白い布で厚めに作り、折り返したデザインを持つフォレストグリーンの上衣にプラスしてダークグリーンに塗装された軽装の鎧を纏ったイシュラーナは、フードをかぶって目立つ髪と瞳を隠しながら従軍している。そのフードの下に、イシュラーナは不満をありありと表現していた。

「何故私はアルスラーン殿下の側にいてはならないのですか」
「…側にはカーラーン殿がついている、問題はない」
「むう………」

 義父が答えを言わないことを悟ったイシュラーナは続けて不平を言うのをやめた。ここでしつこくして義父に怒られるのも、それが聞こえてアンドラゴラス王に反応されるのも不本意だったからだ。

 腹の中でふつふつと怒りを煮えたぎらせながら進軍し続ける間に、アズライールが空を飛んでやってきた。後ろから来たあたり、どうやらアルスラーンに先に会ってきたらしい。困ったように巡回し続ける彼を見て、イシュラーナは一瞬フードを外し、腕を構える。するとアズライールは急降下してイシュラーナの腕に止まった。

「アズライール、元気そうね」

 フードをかぶり直しながら、イシュラーナは偏食家の友人へ笑みを向ける。いつも通り撫でてやると、アズライールの羽が湿っていることに気づく。

「………」

 湿地帯を飛んだのか?そう思い脚に触れてみると、滑る液体が手袋の指先に着く。何かわからないまま首を傾げていると、友人は一声鳴いて空へ飛び立った。それを見送ってから、イシュラーナは手袋に着いた液体を拭き取ろうとして――それをやめ、鼻先へ持ってきて匂いを嗅いだ。

――これ…

 フードの下で赤い瞳を見開いた。過去に嗅いだ覚えのある匂い。パルスではなく、ルシタニアで嗅いだことのあるその独特な匂い。

――ルシタニア産の油だ…!

 イシュラーナの異変に気付いたのか、ヴァフリーズが声をかけようとする。しかし、それはヴァフリーズがアンドラゴラスに呼ばれたことによって叶わない。

 イシュラーナは考えた。この情報を共有することは私がルシタニアに詳しいことを晒すことになるのではないか。また、何をされるか分かったものではない、とも。唯一情報を伝えられる二人の相手は、一人は離れた後続に、一人は王に呼ばれて前へ。なんともタイミングが悪かった。後で伝えよう…そう考え、イシュラーナは思考を止めた。


 結局、イシュラーナが気付いた情報は、今後誰にも共有されることがなかった。



 アトロパテネ平原付近にパルス軍は陣を敷いた。イシュラーナは任された自分の仕事を終えると、その足でアルスラーンの元へ向かう。だがその途中、王の陣中から鞭の音と怒鳴り声を聞いた。

「見損なったぞダリューン!!」

 その声でぴたりと足を止めたイシュラーナは、テント入り口の側に立ち、中の様子を伺うことにした。フードを外して身分を明かし、入口に侍る兵士たちに一番入口に近いところを一歩譲ってもらう。そうやって中に聞き耳を立て、従兄が何をやったのか状況を確認する。
 アンドラゴラスの怒りの声が漏れ出てくる。

『臆病者の死霊に………退却…言葉を聞こうとは…』
『陛下……臆病で申し………ございませぬ』

――兄さんが退却を申し出たのか!?

 イシュラーナは驚いた。しかしすぐに意識を陣の中へ向け直す。従兄の説得を聞きながら、イシュラーナは今までに得た兵学の知識を合わせながら思考しているうちに、従兄が主張することの正しさを理解した。

――援護するべき、かもしれないけど…

 賢いイシュラーナとはいえ、まだ14歳。自分より一回りも二回りも大きい大人に抗うことには勇気が必要だった。また、イシュラーナはただの一兵卒にすぎない。権力もないのに、果たしてやり遂げることができるのか。

――でも負けたらおしまいだから、

 イシュラーナは覚悟を決め、陣の中へ入ろうとした。そこをやってきたヴァフリーズに止められる。その後ろにはアルスラーンの姿もあった。

「…!」

 首を横に振る義父を見て、仕方なしにイシュラーナはその場での立ち聞きを最後までやり通すことを決めた。義父とその後ろのアルスラーンに頭を下げる。
 陣に入っていく二人を見届け、今度はしゃがみこんで聞き耳をたてる。
兵士が聞き耳をたてるイシュラーナを隠すように立ってくれているのが分かって、ちょっと嬉しくなった。しかし中はそれどころではない。

『汝の万騎長の任を解く!戦士と獅子狩人の称号を取り上げぬのがせめてもの情けと思え!』

――兄さんがピンチです…

 冷や汗をかきながら状況を把握する。正直怒りが湧き上がってきてはいたが、冷静にそれをやり込めて耐えようとする。しかしそんな時、アンドラゴラスはイシュラーナの神経を逆撫でするようなことを怒鳴った。

『呼びもせぬのに何をしに来たかアルスラーン!!お前は引っ込んで己の武勲のことだけ考えておれ!!』

「っ!」

 イシュラーナが思わず立ち上がって反論しそうになった時、陣の中で人を叩いた音が響く。
 義父が従兄を叩いたのだ。
 計2回鳴った乾いた音に、叩かれていないイシュラーナも叩かれたような感覚を得て、気分を必死に落ち着けた。冷静にしゃがみ込み、再び聞き耳をたてる。

 結局、ヴァフリーズが許しを請い、ダリューンは本陣付きとなった。罪を贖うために武勲を立てろ、ということだ。そして、アルスラーンには冷たい言葉がかけられて終わった。


 イシュラーナは立ち上がって再びフードを被った。アンドラゴラスが出てきたら大変なのですぐにその場を離れ、少し時間が経ってから、出てきたヴァフリーズとダリューンに合流する。

「兄さん…」
「お前、まさか聞いていたのか?」

 こくり、と頷けばダリューンは申し訳なさそうな顔で一言すまん、と言った。

「間違ったことは言っていませんでした。それだけ言って終わりにします」
「…ありがとう」

 フードの上から頭を撫でられる。沈んだ気分が少し上がるのを感じた。


 出陣の合図が鳴り響き、イシュラーナは義父と従兄に笑みを向ける。

「ご武運を。また後でお会いしましょう」
「殿下を頼むぞ」
「ああ、また後で」

 ヴァフリーズに頭を撫でられる。滅多に無いことに喜びを感じつつ、イシュラーナは持ち場へ駆けて行った。



 パルス軍布陣前方。
 霧に包まれた空間の中、イシュラーナは騎兵の一人として剣を抜いて待機していた。今度はアルスラーンの隣に。

 後陣アンドラゴラス王の、パルスの神々への祈りが響いてくる。

「パルス歴代の諸王よ!聖賢王ジャムシード!英雄王カイ・ホスロー!その他の王者の霊よ!我が軍を守りたまえかし!!」

『我が軍を守りたまえかし!!』

 パルス全軍の祈りが空気を振動させる。イシュラーナはフードによって見えにくいのをいいことに、祈りを叫ぶことはしなかった。ただ、心の中で一人祈る。

――神よ。父さん、兄さん、そしてアルスラーン殿下の命をどうかお護りください

 顔を前に向け、剣を持ち直す。強い意志を持って、敵のいるであろう霧の向こうを見据えた。

『全軍突撃!!!』

 始まりを告げる言葉が、後方から放たれる。

 雄叫びと共に、戦は始まった。


 軍全体が前進し、アトロパテネの平原を駆け抜ける。騎兵隊が怒涛の勢いで砂埃巻き上げ、蹄の音を轟かせながら進む。

 アルスラーンも周りに習って馬を走らせる。その隣でイシュラーナは同じように馬を走らせながらふと思い出す。

――そういえば、

「ルシタニアの油の匂い…!」

 イシュラーナは思い出した。先ほど得た不思議な情報の存在、それによっておこる疑問を。そして同時に解答をはじき出した。

「殿下、止まって」
「?」
「いいから止まってください!皆も止まって!」

――ルシタニアは、火攻めをする…!

 しかし遅かった。前方の騎兵は進み続け、そして消えた。

「!!?」

 一瞬の間が空き、

「うおおおおおおおお!!」

悲鳴に変わる。次々と騎兵が消える。
霧の向こうに堀を見つけたイシュラーナは戦慄した。

「ルシタニアは平原を掘って地形を変えたんだ…!」

 平原であった場所を溝に変え、そこへ油を撒き散らす。そして火を放り込めばそこは――

ゴアッ

 燃え盛る炎。焼かれる兵士の断末魔。

「退け!退けー!」
「押すな!」
「突撃止め!」
「止まれ!」
「押すなあああ」

 状況に気がついて止まったとしても、突撃の指示しか得ていない兵士が押してきてどんどん炎の中へ落ちていく。仮に回避に成功したとしても、事前にはさみ撃ちの陣形を整えたルシタニア軍に刈り取られていく。

「異教徒!これでもくらえ!」

 イシュラーナは自分に向けられた元母国語――ルシタニア語によって硬直から回復する。突き出された槍を馬術で回避し、とっさに剣を抜いて敵の喉元を掻き切る。
 イシュラーナの武装は剣と弓。使い慣れているなかなかに品のいいパルス製の剣と弓だ。過去に持ってきた銀の細剣と緑の弓はエクバターナの屋敷、自分の部屋の箱の中だ。あの箱には仕掛けがしてあって、自分以外には開けられないようになっている。また、箱の置き場所もちょっと面倒な場所に隠してある。多分盗難にあうことはないだろう。

 襲いかかってくる敵を斬り倒し、周囲を見渡すがアルスラーンの姿が見えない。最悪の事態がよぎり、イシュラーナはフードの下で顔を蒼白にした。

「――アルスラーン殿下…!!」


アトロパテネで


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