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君の知らない物語


夏の夜は明るい。黒々とした空に、どこか青白い満月とプラスチックでできた宝石のおもちゃのようにぴかぴかと光る星たちが世界を照らしている。ひゅう、と生暖かい風が私とひざしの周りをすり抜ける。夏の情熱は夜になっても消える事はなく、遠くで若々しい声が聞こえた。

「あれがデネブ。アルタイルで、あっちのがベガ」
「あれが夏の大三角?あれがそうなのかァ」

屋台の宝探しで小さい手のひらに選ばれた人工的な欠片の様な、そんな特別な光を私は指差した。ひざしは私の人差し指の先にあるきらめきを不思議そうに見て、自動販売機で買ったコーヒーを飲んだ。

「他になんか珍しい星とかないのか?」
「………まさか、星の解説をさせる為だけにこんな夜遅くに私を引きずってきたんじゃないよね」
「ノー!ノーだぜ名前」

訝しむ私の目線をひざしは否定するが怪しい。ペルセウス座流星群が観測されるであろう時刻までまだ余裕がある。いくら天文部だからって、夏の空の事なんて誰にでも、まして学生なら分かると思ったけれど、いくら天下の雄英だって高校3年にもなれば科目が限られるのだから、ひざしが義務教育で習った筈の星の事をきれいさっぱり忘れている事はありえる。

「…大三角の南にあるのがさそり座と、天秤座。ほら、あの赤いのがアンタレス」
「おお…」

赤く燃えるアンタレスを見て、ひざしは感嘆の声を零すだけだった。何時もの文字通り鼓膜を破らんばかりの声量は夜の闇に盗まれてしまったらしい。いや、そもそも、これが本来のひざしなのだろう。彼は見た目通りがさつで短期な部分もあるが、思いの外理知的で、思慮深い面があった。きっと他にもあるのだろうけれど、私にはそれぐらいしか分からない。ネオンの様な彼の目は、いつも私では考えられないような事を考えている。5歳の頃からひざしとは窓の向こうで話す関係だったけれど、彼の深い海の底に何が息をしているのかずっと分からなかった。私は彼と一番近くで、一番長い時を過ごした友人だけれど、彼の一番の理解者にはなれなかった。

「今、何時だ?」
「9時15分。あともう少しで…あっ」

スマホで時間を確認して顔を上げると、闇の中に一閃、光の矢が降ってきた。それは次第に数を増やして、デネブもアルタイルもベガもアンタレスも燃えあがって私たちの方へ降ってくる程に感じた。綺麗だった。私もひざしも、一番遠くの星が落ちるまで口を閉じることが出来なかった。初めての体験というのは、こんなにも輝いて見えるものなのだろうか。

「す、」
「アメージング!すげェなあ名前!」

凄い、と私が言い終わる前に、大きな声でひざしは言った。"個性"を発動していないのに、こんな大きいなんて。私が避難の目を向けても、ひざしはポケットに入れたままのスマホを取り出して夜空を斬り裂いて落ちる星を必死に写真を撮っていた。

「スマホだと綺麗に撮れないよ」
「え?あ、ああ!こいつァシヴィー…」

そう私が言うと、ひざしはカメラロールをチェックして残念そうに呟いた。いつもの彼の『シヴィー』は嬉しい時にも使うような、むしろ悲しい時には使わないような言葉だったのに、今しがた口から漏れたそれは本当の意味を孕んでいた。そもそも、なんでこいつは流星群なんて撮っているのだろう。なんでペルセウス座流星群なんて知っていたのだろう。私は一生懸命加工して、誰かにその写真を送っているひざしの姿を見て思った。

「んー…喜ぶかなあ…」
「喜ぶって、誰が?」
「俺のカノジョ」

さも当たり前の様にひざしは言った。私は何を聞いたのかよく分からなくて、何も言うことが出来なかった。

「あいつさ、凄いコレ楽しみにしてたんだよ。だけど風邪引いちまって」

だから自分が代わりに撮影しようとしたのか。理解が追いつかないまま私の脳味噌は納得した。理解。理解ができない。分からない。それで良かったのだ。私はひざしの事が分からないけれど、ひざしは多分きっと私の事が分かっている。それで満足だった。私がこんな夜にはこいつと一緒に居たいと思っていた事をひざしは見抜いていたと思っていた。けどそんな事は無かった。ひざしは理解者を作っていたのだ。相互理解の相手を見つけていたのだ。『山田ひざし』だけでなく、『プレゼント・マイク』を知っている女の子が。そのサングラスの下にはっきりと映る誰かが居る。私の為じゃない。手のひらを濡らす缶ジュースが異様に冷たく感じた。

「カメラだと光っちまうなァ…なあ名前?どうすりゃいい?」
「…検索して保存して送れば?」
「クールな答えありがとな」

星がまた落ちた。隣に居る男の事は霞んで見えないのに、惨めな私を包む夜空の事は鮮明に見えた。星がまた落ちた。私の心臓から、冷えて壊れて死んだ何かが落ちた。それは削り取られた宝石の欠片のようだった。星がまた落ちた。私の瞳からは何も零れなかった。夏が遠ざかる気配がした。棒付きアイスを分け合った夏の空が、二人で見つけた秘密の場所で見た花火が、不用意に奥まで進んで散々怒られた蒼い水が。何もかもが流れ星のように流れて落ちて消えていった。きっとこいつは得意げに話すのだろう。夏の空に輝く等星たちを、何よりも輝かしい月に話すのだろう。

「……ひざし」
「ン?」
「星、綺麗だね」
「そーだな」

私たちはこれ以上何も話さなかった。

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