Top About up Main Memo Link Clap Res





その日臨也が雨の中外を歩いたのは、特に仕事は無かったが、彼に会いたかったからである。例えば人間と言うものを考察の対象とする彼にとって、遮るものを顧みず、その向こうにある善いものを追い求める人間のその様子は、彼の言うところの愛すべき観察の対象であったが、彼自身もまた例外でなく、その中に含まれていたのである。ああ人間とは、何と醜いものか。そしてしかしながら彼のそれは、彼自身の内の例外、平和島静雄に対してのみ起こり得る事態であったのである。ああ、何と、真実の出会いの、その唯一である事か。人間である、生れついての非人間的な、気狂いの人間は、平和島静雄と言う男の及ぶところの領域でのみようやく、地に足を下ろしたのである。
平和島静雄と折原臨也は愛し合っていた。そこには他のものの介入する余地が無い。それで一つとして出来上がっていたのである。それは地に足を下ろしていなかった折原臨也が、地に手を伸ばしてようやくの事で掴んだ地面である。そしてそれは平和島静雄が、斥け合う二つの磁極がしかし引き合うのを片時も止めようとしないごとくに、地から手を伸ばしてようやく掴んだものである。ひたすらに、引き合った結果であった。
その様になるまでにどれほどの時が過ぎたのかと言えば、そう過ぎてはいない。これもまた折原臨也の言うところの愛すべき人間の事であるが、時の流れと言うのは、得てして不確定なものなのである。二人の間に流れた時も、指針の示すその内ではささやかな程の間であって、二人にとっては膨大にして数瞬の間の事であった。
平和島静雄と折原臨也は二人、地に足を着き生きているが、地に残るその足跡は、決して二人三脚の、密やかに寄り添う様なものではなかった。不自然な軌跡を示した、そう、先程も述べた様に、引き合うのも斥け合うのも決して止めようとしない、付け加えればそのどちらもが二つ互いに内発的に溢れた力であった。
そこに意味はあるのかと聞かれれば、そこには意味はないかもしれないが差し当たり二つの生があると答える事もできるかもしれない。
限りなく人から遠い人間、あまねく現実を見て、限りなく現実から離れた人間、始めから、浮遊していた人間。そんな折原臨也の唯一、目の前の自分の視界の自分の内側に本当の現実として現れて相対した人間、折原臨也と対照的に始めから地に足を着き、映る視界の現実の中で生きてきた人間、それが平和島静雄であり、その出会いは二人にとってただそれそのものでしかない、代替も消化も忘却もできない、持て余した二つの生の、一つの出会いであった。
想いは薄れる、愛は薄れる、感じ得る全てのものはやがて風化していく、それは多くの人間の生の一つの副題となるものだが、ではそこに無限の愛はないのだろうかと問われるならば、無限とは何であろうかと問いは返る。
そうして目に入るのは、雨の中向かう折原臨也であり、迎え入れた平和島静雄であり、しけた部屋の中寄り添う平和島静雄と折原臨也であり、ベッドで眠りに就いた二人であり、繋がれた手であり、そこにある二つの生であり、そうして、その二つの生も現実も何もかもを越えた向こうに存在そのものとして溢れ出す語り得ない何かである。語り得ないものは、絶対的である。であるが故に、無限である。無限は、語り得ないものであった。そして二人が手を繋ぐ今の内のただの一瞬というのが孕むのも、語り得ない何物かであった。



語り得ない何かを無限と、呼ぶのかもしれない。そして何も語らず手を繋いだそれを愛と、言うのだろう。




シズちゃん、と臨也の口が動く。微かな吐息として言魂が吐き出される。そこに愛はあるのかと言われるならば、やはり愛はあるのだろう。やがて臨也がおもむろにベッドから抜け出て、キッチンに向かって行く。冷蔵庫から出した水を一杯飲んだところで、再び戻って、縁に腰掛けた。首を横に傾ければ、静雄の頭がある。それを見つめて、やがてまた自分もその横に寝そべった。
シズちゃん、シズちゃん、シズ、ちゃん、静雄をただ見つめながら寝そべる臨也の頭の中に溢れるのがその名前ばかりであるほどに、臨也は静雄に恋をしていた。かわいくも、優雅でもない、愚直な恋だ。やがて再び訪れた睡魔に臨也が瞼を下ろしてしばらくした後、静雄もまた目を覚ました。掛け布団を下に敷いて眠っている臨也に彼も一度目を覚ましたのだろうと見当を付けて、静雄は傍のテーブルの煙草と灰皿を取り、ベランダに向かった。向かって、そこで吸ってはいたのだが、二度寝で眠りの浅かった臨也はそれで目が覚めてしまった。ふと瞼を上げた臨也が隣に無い温もりに気付いて辺りを見渡し、ベランダにそれを見つける。
足を下ろして向かおうとすれば、既に気配で感じ取っていたのか、静雄が振り返る。灰皿に煙草を押し付けガラリとベランダのガラス戸を開け入って、ベッドの上で身を起こした臨也の方に歩いて来る。灰皿をテーブルに戻しベッドに腰掛けた静雄はそれとなく、ベッドの上の臨也の体躯を見つめた。否定しようもなく有限な、人間の肉体である。静雄の手などにかかればいともあっさりと潰されてしまう様な、肉体である。そうしてその肉体は限りなく人間の形である。そして人間のにおいがする。人間の、臨也の、自身が隅々まで知るその形であり、においである。ふと気付いた時、そう思うのだ。そうして静かに、様々の事を想うのだ。哀愁と言うよりもただ、静かな黙想である。思い描くのは何であろうか、語り得ない何かであろうか、少なくともそこには愛があるだろう。広くない部屋の中には二つの生がひっそりと呼吸をしている。ひっそりと絡み合う生が一つの語られない軌跡を紡ぐ。

手と手を取り、というのが中々想像が付かないのは、確実に、自分よりもこの横たわる人間、臨也の影響であると静雄は考えている。だってそれ以外に何があると言うのだ。自分も人の事は言えず、やんわりと色々な物を拒絶してしまうが、それでも、自分はそんなに臆病な人間ではない、と思う。人と関わるのに臆病になってしまった、と言うのは言われても否定できないが、肯定し切る訳でもないのは、元々の静雄が、そんなに臆病な性質ではないからである。臆病、と言うと弱い、と言うイメージが付き纏うが、その言葉に静雄が当て嵌まるとついぞ首肯する事ができないのは、そういう理由からであった。対して臨也の方はどうなのかと言うと、なんとも、臆病な男であった。いや、臆病と言う言葉の当て嵌まってしまった男であった。臆病と言う、非常に人間的なものに彼が当て嵌まってしまったのは、それはそう、静雄と、相対したからであった。人と関わる事で人が人となっていく、その、人間としての基礎的な段階を踏まずに宙に浮かんでいた臨也が、地に引きずり降ろされる、それが静雄との相対の意味するところであった。臨也とはやはり、真性の気が違った人間であったのかもしれない。彼は宙に浮いていたのだ。他の人間が結局は地に足を降ろして生きている、もしくは結局は地の影響を受けて生きているのに、彼だけはその始めからの事として、宙に浮いていたのである。なんと言ってよいやら、ただそうであったとは言わずに名を付けるならば、極めて常人の主観的に、やはり気が違ったと言うのだろうか。とにかく、そんな男であった。しかしそこに例外があった事を忘れてはならない。岸谷新羅と平和島静雄である。岸谷新羅は全ての人間を彼の想い人の背景物としてしか認識していなかった。他人はどうでもいいとか利用できる物は利用するとか冷淡であるとか、そんな要素を持つ人間ならそこらにいるかもしれないが、人間をさも当然の様に、足元で行列を成す蟻程度にしか認識していないのは事実稀である。臨也もそれとあまり変わりは無かったが。最初、臨也はそれを具体的には把握せずともそんな岸谷に興味を抱いた。そして、その感情の中には確実に、別のものも混ざっていた。端的に言うならば、臨也は彼と友達になりたかったのである。そんな事は臨也にとって初めての事であった。そんな、彼がいつも一枚のレンズを通した様に見ている、周りの人間達の様な事は。そう、彼は地に引きずり降ろされた。岸谷も大分アウトローな人間であるに関わらず、結局は岸谷も臨也も人間であったので、関わる事で、臨也は極めて人間的に、友達になりたいと、思ったのである。ただし、友達になりたいと、何故そんな事を思ったのかと言えば、それは誰にも説明の出来ない事であった。それが中学の頃の出来事で、岸谷との出会い以来、ひたすらに臨也は、そのただ一つの出会いを手放す事のないまま生きる事になるが、それとはまた違う、また別の出会いが、臨也が高校生になった頃、訪れる。言うまでもない、平和島静雄である。ここで彼の心はその全身を剥き身のまま平和島静雄の前に差し出して、がたがたになりながら、その初恋を叶える事になる。ただ、叶えてもいまだがたがたなのは変わらないと言うのが、なんとも愚直なところである。岸谷新羅は、友達。平和島静雄は、ーーーーーと言われると、なんとも言い難い。二人の関係は紛れも無く恋人同士である。それもこんなに真っすぐに想いあっている恋人同士というのは中々居ないだろう。だけれど恋人とだけ言うのが憚られるのは、互いに互いが、互いの人生を語る上で外す事のできない、それ程に心に大きなスペースを占める存在だからかもしれない。近すぎると、見えない。大きすぎると、見えない。臨也はそんな状況に足を突っ込んでいた。抜け出すという選択肢すら無い。平和島静雄しか見えない。盲目に。盲目に、だから平和島静雄の行動や感情の機微すら見えない。愚直に、ある意味で頑固に、平和島静雄を心の内側に入れていた。出会った時、平和島静雄を初めて視界に入れた時、しばし世界が無音になった、何も考えず、ただ平和島静雄を見ていた、おそらくそれが一目惚れだった。その直後拒絶されたが、拒絶されなかったとしても平和島静雄の関心を引きたくて何かしらしただろう。利用する為でなく、臨也自身無意識に。臨也のそれは、純朴で不器用な初恋である。正しく、恋が芽生えたのである。臨也自身がそれに気付くのも、すぐの事であった。そうして盲目に、片思いだと思い続けるのをその内静雄が打ち破る事になる。打ち破れ、てはいないかもしれない。臨也はいまだ盲目に思い込みを続けるままである。性格かもしれない。静雄の気は引こうとする割に、言動は対抗的であるし、本当の二人きりになると無言になる。しかし離れようとはしない。離れたら、打ち捨てられたみたいになる。なんとも意気地の無い男である。そう、平和島静雄に関する事が唯一、臨也を彼の精神だの人間観だのに関わらずただの人間として言う事が可能な時なのである。それも、なんとも愚直な。

面倒臭い奴だ、と静雄は思う。だが抱き締めたくなるのもこいつだけだ、と思う。というか高校の時からそうだが、自分はこいつを生涯手放したいとはついぞ思わないだろう。こいつは今でもきっとこれからも、二人きりでは無言だし、その癖呆気ない程素直に全身で、離れないで欲しいと訴えるのだろう。俺もどうしようもない奴だしこいつも救い様もない野郎だが、俺がたまに言う好きだという言葉が、いつの日か、こいつの耳に何の婉曲も無く素直に響く様になればいいと思う。手前は、本当に、素直になれよ。まあ、そうじゃないのが手前なんだろうが。なあ、馬鹿な話、手前が一人でぐるぐるしてるこの何年もの間、手前がそうだからその分俺だって色々思うさ。でもやっぱり手前、馬鹿だろ。だけどこの何の会話もない様な空間、主に手前が一人で堂々巡りに色々思って、それに俺も加わって何年も積み重ねてきたこの空間にも、自分と臨也にしかわからないものがあるのは事実だ。そう俺は、これを無くしたくない。無くしたくない、のだ。何でって俺にはこれが、
(大事なもん、だから。)


そんな事を思いながら眼下の臨也の頭に手を伸ばして髪を梳きながら好きだと言えば、しばらく間が空いて、目も合わさずふぅん、と返ってきた。ああでもやっぱり、そうは言ってもとりあえず、手前この位信じろよ。




外は雨、しけた部屋にはいつまでも言葉少なに繰り返される空間がある。そこには何者も語り得ぬ、愛があった。








→Top(Short)

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -