いち
ここは体育館、だ。私にまだ白い翼が生えてなかった、学生だった頃に高校の授業などで何度も使ったことのあるそれと同じような場所。
なまえは懐かしさのあまり不意に泣きそうになった。
戻ってこれたのか…?いつの間にか期待がこみ上げる。
もしかしたら今までの繰り返した人生は全部自分がみた夢なのではないか。本当は自分はずっとこの場で寝てただけなのではないか、と。だがその期待も次の瞬間に裏切られることになる。
ぱさり、と後ろで物音がした。
振り返れば、そこには馴染み深いあの白が堂々と君臨していた。自分の意識しないところで動いてしまったりするこの大きな翼は言い換えるなら犬の尻尾だ。嬉しい時や怒りで興奮した時に勝手にバタつくし、悲しい時は垂れ下がる。
今だってそう。意識してないのに動いてしまった。そして期待がまた絶望に変わり白い翼は今垂れ下がっている。しかも最後に殺された時と同じように私は檻の中にいて、両手、両足、両翼、そして首には一つずつ枷がしてあった。鎖は長いから檻の中は自由に歩き回れるが、不自由に変わりない。翼に至ってはピアスのように貫通しているからもがけばもがくほど少し痛みを伴うのが不満だ。
翼がある、ということは私はまた繰り返してしまったのだろうか。それにしてはこの学校の体育館に似た空間にいることがわからない。もしも仮にオークションが終わっていて既に私を買った人間がいるとする。そして私をここに置いておいたと。でも私が繰り返していたあの世界は学校があって体育館があるような文明ではないはずなのだ。魔物というか、普通に見たこともない形状の生物がいたり、恐竜に似た爬虫類のでっかいのがいたり、街には降りたことがないが、私を買った人間の服装は皆ドレスやらタキシードで、TVや携帯などを使用しているところも見たことがない。
故にここが今まで繰り返してきた世界とはまた違うところだ、と結論付けたところで人の話し声と足音が聞こえた。
ギィイっと重たい音をたてて体育館の扉が開いた。
入ってきたのは赤毛の若い男性と身長の高いこれまた若い男性だ。赤い彼は檻とその中の私を見て彼の背後にまだいる人たちを止めた。赤い目と視線が交わる。その目はひどく冷たく鋭い。体育館のおよそ真ん中にいる私と赤い目との距離は遠くないが近くないはずなのに、あのオークション会場での好奇の目の方がよっぽどマシに感じるような、とてもとてもキツイ視線だ。
「お前は何者だ」
短くそう私に問いかけた。ハキハキとした澄んだ声。
私はその問いに答えられなかった。問いかけられた言葉が最初、理解できなかった。でも懐かしかった。10秒くらいしてだんだんと頭が追いついてきたのか、質問の意味は理解できた。答えようとして、考えた。私は何者だろうか。単純な答えならば人間だ。だが人間ならば白い翼が生えているわけなどなく、まして人生を繰り返す、という謎なことは起こらないのではないか?では私はなんだというのか。昔一度あの世界で聞いたことにはあの世界のとある民族である、ような話をしていたような気がする。
口を開けたり閉じたりを繰り返していたところ痺れを切らしたのか彼が再度声を発しようとした時、ズルッズルッと何かを引き摺る音と、爪が何かを引っ掻くようなギギギギギギという音が聞こえた。
「赤司!あれが来た!!早く中へ入れ!!」
と乱暴に言う声がした。赤い彼と最初に入った長身の彼を含めた4人がこの体育館に入って扉を閉めた。閉める瞬間に見えた大きな黒い影は何回か前、闘技場で私を殺したモノに似ていた。
--------------
「再度問おう、お前は何だ。何の目的で俺たちをここへ連れてきた」
赤がしゃべる。聞き惚れてしまうようなその声はあの化け物を見る前よりはるかに怒気を含んでいる。
「わた、しは…わたしが何かわから、ない。デス。」
うまく、発音できただろうか?母国語であるはずの言葉だが、おおよそ私が母国で過ごした期間はたったの16年で、母国語を喋ったのも200年ぶりなのである。最初の10回目くらいまでは母国語で考えてから言葉を発していたけどやがてあの世界の言葉を頭の中で考える時にも使えるようになっていたから本当に久しぶりだった。
だが私の言葉を聞いた赤はさらに疑惑の目をこちらに向けてきていて怖い。
「その背中のモノはなんだ。お前は人か?それともこの空間に居る化け物の仲間か?」
化け物の仲間かだなんてとんでもない。
「わたしは、に、ニンゲン。です」
「何故鎖に繋がれ檻に入れられている。それはお前が危険だからではないのか?あの化け物を見ただろう。あれは何だ。人間ならばお前は何故ここにいる。」
よく回る舌だ、と思った。質問が多くて理解が少し遅れる。私がアタフタしているのが伝わったのか、長身の男が赤い彼に言う。
「征ちゃん、質問が多すぎよ。動揺してるのも分かるけど、彼女見た感じ檻から出られないみたいだし、其処まで警戒してないで近くで話しましょ」
驚いた。男の声で女のように喋った。ああいうのをオネエと呼ぶんだっただろうか。
「つかソイツ明らかに日本語下手くそなんだからスピード落として喋ってやれよ。オレはソイツがなんだってどうでもいいが、さつきを見つけるために早く情報が欲しいんだよ」
色黒の先ほど入り口で叫んだ男がダルそうにこちらを見た。探す、情報が欲しい、という単語からするに彼らにはまだ仲間が居るのか、だったら早くした方がいい。あの化け物は目は悪いが鼻がいい。《さつき》はきっと女の子の名前だろうから心配だ。
目の前に4人がきた。女のように話す彼が一見柔らかい表情をこちらに向ける。他人にこんな笑顔を見せてもらえるのは久しぶりだ。いつもはもっとニタニタと嗤う顔しか見ていなかったから。
「こんにちわ。私は実渕玲央っていうの。京都にある洛山高校ってとこに通ってる二年生で17よ。貴女の名前を教えてくれるかしら?」
穏やかな声でゆっくりと喋ってくれたからすぐに理解ができた。
「私、は…なまえ、です。みょうじなまえ」
ずっと忘れなかった自分の名前。何年たっても、誰も名前を呼んでくれなくても、優しかった両親と私を繋ぐ唯一の絆だと思っていつも忘れられなかった。
「なまえちゃんね、よろしく。私たちどうしてかここに閉じ込められてしまったみたいなの、しかも見たこともないお化けもいるし、ここについてなにか知ってることあったら教えてほしいの」
「私は、場所は、何も知らない。けど、知ってる、のは、あの化け物は鼻がいい、から人を探すのは急ぐ方が良い。」
その言葉を聞いた青は顔色を変えた。
同時にまた扉の外で声が聞こえてきた。また人が来る。