誰にも言えない秘密があるんだ。




昼休みにはしゃぐ皆の声が煩わしい。
目の前の机に置かれた好物の焼きそばパンも、
今は味気ない無機質なものに見えて仕方ない。
窓際の俺の席からは、
校庭で楽しげにドッジボールをしている生徒や、
昼練をしているサッカー部の姿が見える。
そんな爽やかな光景を見て、
ため息が自然と漏れた。



「正臣、大丈夫?
調子悪い?」



俺のそんな様子に心配し、
向かい合わせに座る彼女の沙樹が、
俺の顔を覗き込む。
ここ数日で、何回このやり取りをしたであろう。



「いや、ちょっと腹の調子が悪くてさぁ。
ホント、気にしないで」
「でも、最近ずっとこんな感じだよ?
本当に気分悪いなら保健室に…」
「いやいや!
ホントそんな大げさなもんじゃないから。
心配すんなって」



沙樹に心配かけまいと、
笑顔でビニールの封を開ける。
頬張ったパンは味がなく嫌にざらつき、
じゃりじゃりと砂を噛んでいるようでマズイを通り越して苦痛だった。
楽しい筈の昼休み。
大好きな筈の焼きそばパン。
今まで大丈夫だったものが、
今はどうしても受け付けない。
愛しい筈の彼女と居ても、
心休まる事はなく、
むしろ心がざわつくばかり。
俺はこの原因を知っている。
腹痛なんて真っ赤な嘘だ。
俺には親友の帝人にも、
彼女の沙樹にすら言えない秘密がある。
正確には、『俺たち』の。
この秘密のせいで俺は、
ここ数日頭が休まる事なくぐるぐるし、
眠りも浅く不眠気味だ。
食欲だって全然ない。
けれど沙樹に心配かける訳にはいかない。
なんとか口の中の砂利、もといパンを完食しようとしたその時、
ガシャアンというガラスの割れる音が平穏な時を一気に引き裂いた。
突然落とされた不自然な程の静寂。
音がした窓の外を見る。
校庭の奴らも皆止まって、
静かにこちらを見上げていた。
すると目の前をガラスの破片と机が、
太陽の光を反射しキラキラと輝きながら落下していった。
それを皆、間抜けな顔で目で追う。
平穏な空間に突如現れた非日常なそれらは異様な程美しく、
一瞬の出来事の筈なのに、
時が止まったかのように全ての動きがゆっくりと見えた。
落ちていくそれらが窓の四角いフレームから完全に見えなくなる。
暫くすると、
(リアルな時間に換算すると、
一秒もなかっただろうが)
地面に追突した派手な音が我々の耳に届き、
それが合図となって一斉に騒ぎだした。
皆が窓に駆け寄る中、
俺はその喧騒から逃げるように席を立つ。
心が落ち着かない。
ここに居てはいけないと、
俺の中の何かが言う。
その時、誰かが叫んだ。



「へいわじまだ!」



どくんと、心臓が大きく揺れた。
早くなる脈拍。
額を滑り落ちる嫌な汗。
途端に、先日の光景がフラッシュバックする。
汚いトイレの床。
落書きだらけの壁。
くすんだ鏡。
そして目の前に立つのは――。
もう立ってなど居られなくなった俺は、
思わずその場にしゃがみこんだ。
『大丈夫?保健室行こう』と心配する沙樹に、
『大丈夫、』と返すのが精一杯だった。




平和島静雄はゲイである。
そんな噂が、一部の男子の間でまことしやかに囁かれていた。
けれど俺にはどうでも良かった。
ただの噂だとしか思えなかったし、
例えそれが真実だとしても知った事ではない。
生憎俺はゲイではないし、
自分で言うのもなんだが女の子からは割りとモテて来たし、
かわいい彼女だっている。
それに何の部活も入っていない一年の俺と、
三年の彼じゃあ何の接点もない。
委員会だって違う。
今までもこれからも、
何ら関わりの無い二人。
その筈だったんだ。




「なぁ、紀田。
お前いつになったら俺の事好きになってくれんだよ」
「静雄さん…」



噂は本当だった。
彼はゲイだった。
そこまではまだ許せたが、
いつからか俺はこの人に言い寄られるようになっていた。
何故なのかは分からない。
ただ放課後や昼休み、
やたら見かけるなあと思っていたら、
いつの間にかこんな事になっていた。



「あの、何回も言ってるんですが、
俺には彼女が…」
「分かった。
じゃあ好きになれとは言わない。
言わないから一回俺とシてくれ」



余計嫌だろ。
何を言ってるんだこの男は。
ふざけているとしか思えなかったが、
彼の目は至って真剣だった。
だからこそ厄介なのだ。
彼が一人で盛り上がる程、
俺の気持ちは沈んでいく。
モテるモテるとは言っても、
男から言い寄られるのは初めてだ。
けれど、こんな初めていらない。
誰かに相談しようにも、
恥ずかしくて出来やしない。
俺は彼から逃げ惑う日々が続いていた。




先週の土曜、
他校の友人のバンドがライヴをすると聞いて、
俺は初めてライヴハウスという場所に訪れた。
暴れまわったりすると聞いていた為、
沙樹には声を掛けなかった。
頭に響く程の大音量に、
皆のジャンプで揺れる床。
最初は俺も一緒に行った友人も余りの熱気に呆然とし、
後ろの方で静かに見る事しか出来ずにいた。
けれどいつの間にか配られていた酒や皆の楽しげな笑顔に誘われ、
気づいたら前方で暴れまわっていた。
拳を振り上げ、
体をぶつけ合い、
声が枯れる程叫ぶ。
何もかも初めての事だったが、
楽しくてしょうがなかった。
けれど慣れない酒にすぐに酔いが体中を回る。
周りの友人はまだ元気に暴れまわっていたが、
俺は『ちょっとトイレ』と静かに後ろに下がった。
ガンガンと脳に直に響く大音量。
揺れる床にむせかえる程の熱気。
少し人の波から逃れただけじゃあ、
一向に酔いは冷めやしない。
ヤバい、吐く。
俺は慌ててトイレへと駆け込んだ。
一番手前の個室に鍵も閉めずに入る。
床はタバコの吸殻や何故か落ちているゴム等で汚れていたが、
そんな事気にする余裕もなくてその場に膝をついた。
口を開くとすぐそこまで来ていた胃の内容物が、
一気に便器へと流れ落ちていく。
消化し切れなかった、
夕方食べたフライドチキンやポテトの味が舌に広がる。
酸っぱい臭いが鼻についた。
まだ胃はぐるぐると動いて気持ち悪かった。
けれど一回目は上手く吐けたのに、
その後がなかなか続かず嗚咽ばかりが漏れる。
脂汗も一向に引かない。
生理的な涙が溢れた。
うええ、気持ち悪い。
暫くその場でえずいていると、
ドアが開き誰かが入ってきた。
ヤバい、鍵閉めなきゃ。
便器から顔を上げ鍵を掛けようと手を伸ばしたが、
一足遅く戸が開けられ、
俺の手は宙を掴んだ。



「ぁ、すいませ…
…って紀田か?」



どうやら知り合いらしい。
ゆるゆると視線を上げ、
俺の名を呼ぶ人の顔を捉える。



「しずおさん…」



喉から漏れた声は酷いものだった。
顔はもっと酷いだろう。



「お前、大丈夫か?
顔色酷いぞ」
「だいじょうぶ、
だいじょうぶれす…おえぇ…」



再び便器に顔を突っ込む。
けれど嗚咽が漏れるばかりで一向に吐けない。
苦しい。
俺のそんな様子を見て、
『ちょっと待て』と静雄さんはそのまま個室を出て行った。
どこ行ったんだろと薄ぼんやりと考えながらも、
せりあがる吐き気にすぐ何も考えられなくなる。
バシャバシャと手を洗う音がしたと思うと、
すぐに静雄さんが戻ってきた。
俺のすぐ後ろにしゃがみこむ。



「おい、便器に顔突っ込んだまま口開けろ」
「…なんでですか…」
「いいから、言う通りにしろよ」



言われた通り口を開ける。
『頼むから噛むなよ』と囁かれると、
いきなり口の中、喉の奥にまで指を突っ込まれた。
突然の異物感に、
言われた事を忘れ噛もうとしてしまったが、
さっと指を引き抜かれる。
一気にせりあがる吐き気に、
俺は便器の縁に手をついた。
先程とは比べ物にならない量の吐瀉物が便器に落ちていく。
げえげえと吐いている間、
ずっと静雄さんの手は俺の背を撫でていた。
何どさくさに紛れて触ってんだと思ったが、
言葉にする前に吐き気が来てそんな余裕微塵も無い。
すっかり胃の中が空になる頃には、
脂汗も引いていた。
頭が徐々に冴えてくる。
とりあえず俺を助けてくれた、この先輩に礼を言わなくては。



「すいません。
ありがとうございました」
「いや、別にいい。
親父の世話とかで酔っぱらいには慣れてるし」



そう言って静雄さんは立ち上がると、
俺に向けて手を差しのべてきた。
『立てるか?』という事だろうが、
未だに立ち上がる元気の無い俺は静かに首を振った。
すると静雄さんも再びしゃがみこむ。
狭い個室に男二人が向かい合う変な光景になった。



「そう言えば、
何で静雄さんここに居るんすか?
こういう場所興味なさそうなのに」
「俺の弟がバンドやっててトリで出演するんだよ。
そこそこ有名らしいけど、
羽島幽平って知ってるか?」
「ぇ、羽島幽平!?」



今日のイベントのトリを務めるバンドと言えば、
俺でも知ってる有名なインディーズバンドで、
ボーカルの羽島幽平はその中でも一番人気だった。
その兄がこの自動喧嘩人形とまで評される平和島静雄なんて…。
意外と言えば意外だが、
確かにこの人もかなりの美形だ。
よく見たら鼻や口等の所々のパーツが似ている。
思わずまじまじと見つめていると、
静雄さんは照れたようにそっぽ向いた。



「あんま見んじゃねえよ」
「えー、何でですか。
減るもんじゃないんだし見せて下さいよー」
「そんなに見つめられると、
勘違いしちまうだろう」



はっと我に返り、後ずさる。
よく見たらトイレの薄暗い照明に照らされる彼の頬は、
うっすらと赤みがかっていた。
そうだ、この人ゲイで俺の事狙ってるんだった。
途端に冷静さが取り戻される。



「大丈夫です。
マジでただの勘違いだから、
要らぬ心配しないで下さい」



静雄さんの顔が固く強張った。
俺の言葉に傷ついてるんだろう。
けれどそんな事知ったこっちゃない。



「ちょっと俺のこと助けたからって調子乗らないで下さいよ。
俺の気持ちは変わりませんから。
静雄さんのこと、
好きになんかなれません」



口からどんどんと溢れでてくる暴言。
キレられて殴られるかもしれない。
けど、それでいいのだ。
いっそこのまま嫌いにでもなってくれた方が助かる。
酷い奴だと思われようが、
俺は自分の貞操を守るのに必死だった。



「ゲイってだけでも意味わかんねえのに、
そもそも何で俺なんですか。
俺なんかただのクソガキなのに。
どーせ、大それた理由もなくて適当に言ってるだけで」
「なんかとか言うな」



言葉を遮られる。
その声には明らかに怒気が混じっていた。
途端に放たれる威圧感に、
彼が喧嘩人形なのだと改めて思い知らされた。
ヤバい、マジで殴られるかも。
ぎゅっときつく目を瞑る。
しかし幾ら待っても拳は振ってこず、
いつの間にか俺は彼に抱き締められていた。
…え、何ソレ?
げえっ、と思ったが、
そこまで気持ち悪いと感じていない自分が居た。
その事に酷く驚いた。




間違えて消してしまい慌てて書き直したら、
文字数が超過してしまった。
続きます。















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