俺の家は店から徒歩30分くらいかかるから、
いつもチャリンコで来ている。
当然だけど今日もチャリで来たし、
それで帰るつもりだった。
けど平和島さんが歩きだった為、
俺もチャリを押しながら歩いて帰る羽目になる。
平和島さんの方をちらりと見る。
平和島さんはいつも通り全く喋らなくて、
険しい顔のまま、
ただスタスタと前を見据えて歩く。
何か喋らなきゃ、
喋るべきだとは思うものの、
彼から放たれる異様な威圧感に、
おしゃべりな俺も尻込んでしまう。
時計を見たらまだ店を出てから10分程しか経過していない。
しかし俺にはその10分がいやに重く、
亀の歩みのようにじりじりと長く感じられた。
『一緒に帰れ』と言った門田さんを軽く恨んだ。
平和島さんの表情からするに、
本当は面倒なのだろう。
旧友とは言えど店長である門田さんに頼まれたから、
渋々送っているに違いない。
何で俺、この人と帰ってるんだろう。
空気の重さと緊張に、
口から自然と溜め息が漏れてしまった。


「…スンマセン」
「え?」



いきなり喋り出したかと思ったら、
謝られてびっくりした。
まさか彼から話しかけられるとは、
微塵も思っていなかった。



「俺、あんま喋んねえし、
つまんねーでしょう」



そこで、
彼が先ほどの溜め息の事について言ってる事が分かった。



「いや、こちらこそすんません!
俺普段平和島さんと喋んねえし、
何話していいか考えたら緊張しちゃって…。
てか平和島さん、タメ語で喋って下さいよ。
俺の方が年下なのに、
敬語使われたら逆に緊張しちゃうっつーか、
何つーか…」



そこまで一気にまくしたてると、
平和島さんの表情が一瞬和らいだ。
ぁ、笑った。
当たり前だけど、
この人も笑うのか。
いつも無愛想な彼の初めて見た笑顔は、
思ったよりかわいかった。



「じゃあ、俺の事も静雄でいい。
ヘイワジマさんとか、
何かむずがゆい」
「いきなり呼び捨てとか出来ないスよ。
じゃあ…静雄さんって呼ぶ事にします。
いいですか?静雄さん」



呼びかけると、
静雄さんはちょっと照れ臭そうな顔をして前を向いた。
何となく、了承が得られた事が分かった。
仕事中いつも一言二言しか喋らない為、
初めてちゃんと聞いた彼の声は、
心地好い程度の低さで優しく鼓膜を撫でていった。
もしかしたら、
この人はただ不器用なだけで、
実は思ったより喋れる人なのかもしれない。
そう思うと、
途端に先程までの緊張の糸が、
するするとほどけていった。
緊張がほぐれると、
口元が緩みだして、
彼ともっと喋ってみたくなる。



「そう言えば、
なんで静雄さんキッチンなんですか?
料理とか、好きなんですか?」
「好きそうに見えるか?」
「いや、あんまり」



思ったまま正直に答えると、
静雄さんはまた笑った。
ぶっちゃけた話、
静雄さんは仕事が全然出来ない。
洗い場を任せると皿は割るし、
盛り付けを頼むと、
悲惨な姿で料理が現れる。
分量はきっちり計るし、
味は悪くないのだが、
何より手先が不器用なのだ。
舌でも目でも味わえる事が売りのうちの料理が、
どうしても『ザ・男の料理』になってしまう。
けれど皆静雄さんにビビってる為、
誰も注意が出来ないでいた。



「俺、昔からあんまり仕事が長続きしねえんだ。
うちの店に入ったのも、
前の仕事がクビになったとこを門田に声かけられたからだ。
手先も器用じゃねーし向いてないのは分かってるけど、
ホールよりキッチンの方があんま喋らなくて済むし、
それに…」
「それに?」
「キッチンの方が、
時給いいじゃねーか」



確かに静雄さんの言う通り、
うちの店はホールとキッチンでは時給が違う。
その分仕事量に差もある訳だが、
余りにも単純な動機に俺は思わず笑ってしまった。



「ぁ、じゃあドリンカーとかどうですか?
ドリンクだと料理よりは盛り付け楽だし、
キッチン程喋らずに済むって訳ではないけど、
時給もキッチンと一緒の筈ですよ。
静雄さんイケメンなんすから、
絶対外で顔出した方がいいですよ!」



照れたのか、
静雄さんは顔を赤くしてそっぽ向いてしまった。
けど小さくぼそりと『考えとく』って声が聞こえたから、
俺もなんだか嬉しくなった。
何だかんだ喋ってたら、
いつの間にか家の近所まで来ていた。



「あ、俺んちこの近くなんで。
今日は送ってくれてありがとうございました」
「いや、いい。
別についでだし。
じゃあ気を付けて帰れよ」
「はい!
それじゃあまたバイトで!」



俺が手を振ると、
静雄さんも小さく手を振り返してくれた。
静雄さんが歩き出したのを見届けると、
俺も横断歩道を渡った。
静雄さんとの会話は特別弾む事は無いものの、
ゆったりと落ち着いた心地よさがある。
学校やバイト先で会う同じ年頃の子達と違い、
年上独特の雰囲気もまた良い。
もしかしたら友達になれるかも知れない。
そう思っていると、
『紀田!』と大声で呼び止められた。
振り向くと歩道の向かい側に、
先程別れた静雄さんが立っていた。



「どーしたんすか?」




車道を挟んでいる為、
自然と声が大きくなる。



「いや、別にどうって事はないんだけど…」


静雄さんはその場で暫く、
あーとかうーとか唸りながら、
しどろもどろと言葉を探す。
その姿はいつもの覇気が感じられず、
何だか妙に可愛かった。
何か、告白前の男子中学生みたい。
俯いていた静雄さんが、
意を決したのか顔をあげた。


「お前、今度からラスト入るのか?」
「はい。
俺ももう二回生だし、
1限からの日も少ないんで」
「そうか。
…また、一緒に帰っていいか?」



『いやなら別にいいんだけど』と付け足した。

何でなんだ。
何でこの大きな人は、
こんなにも臆病なんだ。
その姿に思わず笑みが溢れた。



「もちろんですよ!
つか、これから店でもどんどん喋りかけるんで、
覚悟してて下さいよ!」



俺がそう叫ぶと、
静雄さんは少し嬉しそうに微笑んだ。
その顔からはいつもの威圧感も、
先程から時折見せる少年のような愛らしさも感じられない。
しっかりとした、
かっこいい大人の男の顔だった。
車道側の信号が青に変わる。
その表情に一瞬ドキリとさせられたが、
行き交う車にかき消され、
あっという間に見えなくなった。
暫くそこに立ち尽くしていたが、
信号が変わる頃にはもう静雄さんの姿はなかった。
何だかやさしい気持ちが溢れる。
鼻歌が自然と出てきた。
俺は押してきたチャリンコにまたがった。
家まではもうすぐだ。
家までの道のりは、
チャリだとあっという間に着いた。
アパート専用の駐輪所停め、そのまま集合ポストに向かう。
自分の部屋の郵便受けを覗いて、
溜まっているチラシを取り出した。
その中から郵便と公共料金の紙だけ選り分け、
それ以外のいらないチラシは全て傍に設置されたゴミ箱に捨てる。
大体整理が終わって郵便受けを閉める時、
異変に気づいた。
閉じた郵便受けをもう一度開ける。
普段入れたままにしてある合鍵が無かった。
郵便受けはダイヤル式の為、
番号を知らないと開けられない。
この番号を知っている人は、
俺と実家の母親、



(あと…。)



再び郵便受けを閉じて、
階段を上がる。
部屋の前まで来てドアノブを回すと、
案の定鍵は開いていた。
ため息混じりにドアを開ける。


「おかえり、正臣くん。
遅かったね」
「臨也さん、
来る時はメールしてくれって言ってるじゃないですか」



そう、
俺をあの日振った男、折原臨也。
俺は確かに交際を断られた筈だった。
なのに、
彼はこうして気まぐれに俺の前に現れる。
臨也さんが腕を広げてみせた。



「おいでよ」



俺はまた軽くため息をつくと、
荷物を置いてするりとその腕の中に飛び込む。
彼の薄い胸板に顔を埋めた。
細くて華奢な体つきだけど、
肩から腕の付け根にかけてのそれはしっかりとした男のもので、
彼の腕の中は暖かかった。
体温の柔らかな熱が心地よいと思う気持ちと、
こんな風に良いように懐柔されていってる馬鹿な俺を蔑む気持ちとが入り交じって、
じんわりと胸が痛んだ。
彼はこうして俺に、
蜜のように甘い毒を与えにくる。
逃げるべきだという事は、
頭ではちゃんと分かってる。
けれど毒に蝕まれ過ぎてしまった俺の心は、
もうその甘い毒無しには生きられなくなっているのだ。
俺と臨也さんの体だけの関係は、
未だ続いていた。






一つ一つが無駄に長い。
次回はもう少し削れる努力をします。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -