遡及

腕を伸ばして手首を捻ると、シャラン、と神楽鈴が心地良い音を響かせる。閉じた扇子をバッと開くと、背筋がピンと伸びた。
ランニングの代わりに道場を使わせてもらい、舞うようになってから、頭がどんどん冴えてきている気がする。舞っている間は、完全に頭を空にすることが出来るようになった。同時に、ちょっとした物音や気配への反応も敏感になってきている。

楽しい?いや、心地良い?どちらも違うかもしれない。多分、これが私の在るべき姿だったのだろうと思うだけ。
もっと、頭を白く、でも、虹のように色鮮やかに。それが、私の……。


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珍しく朝早く起きることが出来た。動画を観て時間を潰しても良かったけれど、詩織が道場を使って鍛錬をしていることを思い出し、制服に着替えて道場に向かう。
近付いてくると、シャラン、という神楽鈴の音が聞こえる。決して激しい音ではなく、心が洗われるような綺麗な音は、詩織だから出せる音なのかもしれない。
道場に着くと靴を脱ぎ、ガラ…と控え目に扉を開けた。つもりだった。

「!」

思わず目を見開いて構え、ジッパーに手を掛けた。扉を開けると同時に、道場の真ん中に立っていた詩織は神楽鈴をシャラッと音を出して俺に向け、目を見開いて俺のことを見つめていた。瞬きすらしない。恐ろしい程集中している。殺気を放たれた訳ではないが、異様な様子に動くことが出来ない。

「……とげ」
「お、かか…?」

どれくらい相対していただろう、俺の名を呼んだと思ったら、閉じられていた扇子がポトッと詩織の手から落ちた。少しして、詩織は膝から崩れ落ち、床に倒れた。神楽鈴がガラガランと鈍い音を立て、走って詩織に駆け寄る。

「おかか!」

仰向けにさせて呼吸と脈を確認する。速くはあるが、問題は無さそうだ。五条先生にメッセージを送ると、抱き上げて、急いで詩織の部屋に連れ帰った。

ウエストポーチから鍵を拝借して部屋に入ると、詩織をベッドに横にさせる。悪いと思いながらも、苦しかったらいけないと、横を向かせてタンクトップを捲り上げ、ブラジャーのホックを外しに掛かる。5段ホックに苦戦しつつもどうにか外し、再び仰向けにさせてブランケットを掛けた。

「…いくら?」

少し、身体が熱くないだろうか?机の上に体温計を見付けて計ると、38℃程ある。運動後とは言え高い。タオルを濡らして額に載せたタイミングで、五条先生も部屋にやって来た。

「どう?」
「いくら」
「熱か。咳は無いし、体調不良では無さそうだけど」
「しゃけ…」
「とりあえず、何があったか聞かせて」

2人でベッドの下に座り、道場に入った時の一連の流れを伝えると、五条先生は目隠しを上げて詩織を見る。

「棘、明日の夜、任務あったよね?」
「しゃけ」
「準1級呪霊が相手だよね?補助監督は伊地知だっけ?」
「しゃけ」
「詩織を同行させる」

ニッと笑いながら、五条先生は詩織を任務に同行させると言った。と言うことは。

「高菜?」
「そ。多分、自分の力を思い出してると思うよ」

思い出したってこと?と訊くと、肯定の返事。確かに、道場で見たあの感じは…。

「ところで棘」
「こんぶ?」
「詩織のブラのホック、外した?」
「お……しゃけ」
「あーあ、棘に先越されたかー」
「お、おかかぁ!明太子!」
「分かってるよ。そのままだと苦しいかもしれないからしたんでしょ?僕もそうするって。ね、5段って外し難い?」
「…しゃけ」

自分から訊いてきたくせに、そうだろうよ!と半ギレされたけど、不可抗力だ。とりあえず、詩織は今日は休ませることと、空いた時間に俺と五条先生が様子を見に来ることを決め、誰も居ない時に起きた場合を想定し、今日は休みなさい!と置き手紙をしてから、授業に向かったのだった。


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『詩織ちゃんかい?』
『…おじちゃん、誰?』

これは、小学校の低学年の頃の記憶…?
そうだ。学校から帰って来て、1人で遊んでたら、見たこともないおじさんに声を掛けられた。

『あのね、驚かないで聞いて欲しいんだけど、詩織ちゃんのおばあちゃんが倒れたんだよ』
『えっ?』
『だから、病院に連れてきてって頼まれてね。早く車に乗って』

腕を掴まれると、お母さんから持たされているお守りの鈴がリリン、と鳴った。ハッとして抵抗すると、おじさんは更に力を入れて私を引っ張る。

『ほら、詩織ちゃん早く!』
『やだ!家に帰ってみる!お父さんとお母さんに、何かあったら家に帰って鍵掛けて待てって言われてるもん!』
『くそ、余計な知恵付けさせやがって…!』

私の片手を離さず、おじさんは車のドアを開けると、スタンガンを取ってバチバチと音を鳴らす。

『良い子だから、こっちにおいで。痛い思いしたくないだろ?』
『やだ!おじさんヘンタイ!』
『!…何だと?!』

思い切り腕を引かれて、地面に転ぶ。上を向くと、おじさんが私に殴り掛かろうとしているのがスローモーションで見えた。お守りの鈴をポケットから出すと、リリリリリ…と鳴らしながら、目の前で円を描く。

“荒振る”

おじさんの服が所々破けて、その場にしゃがみ込む。が、私を睨み付けると、クソガキ!と叫びながら再び襲い掛かってきた。

“…千早振る”

こちらも、もう一度鈴で円を描くが、今度はその円を左手で払い飛ばすと、おじさんは宙に浮いて後ろに吹き飛び、車にぶつかる。立ち上がっておじさんを見下ろすと、おじさんは車に凭れて気絶していた。

思い出した。この一件は、私が事故に遭っていた人を見付けて親に知らせたってことになっていたけど…。紛れも無く、私が自分の力を他人に対して使った、ただ一度きりの出来事だ。この日から、私は自分の力が怖くなって、誰にも見せないと決めたんだった。

“新しい踊り子さん、こんにちは”
『だれ?』
“僕は、この社の神だよ”

これは…神様との記憶…?そういえば、最近、神様との記憶もよく夢に見ている。

“詩織は、自分の力が怖いの?”
『嫌な人だったけど、傷付けたら怖くなった…』
“そうか…。ねぇ、詩織”
『なあに?』
“君は、虹は好き?”
『うん。綺麗で好き!でもね、こないだ虹を捕まえようと思って走ったんだけど、どこまでも追いつかなかったの』
“ふふっ!そんなことしたの?”
『うん!だって、色が沢山あると、元気になれそうだから!色が取れたら、皆に分けてあげるの!』
“そうか…優しいんだね、詩織は”
『そうかな?』
“じゃあ、君の力のもう一つの使い方を教えてあげよう。僕のお手伝いだよ。僕が玉を空に浮かべたら、玉に向かってお守りの鈴で虹を描いてごらん?”

神様が、空に向かって白い玉を浮かべる。キラキラと光るその玉に向かって、私は鈴で弧を描いた。


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「……水」
「しゃけっ」

ゆっくり目を開くと、自分の部屋の天井が目に入った。むくっと上体を起こすと、額から濡れたタオルがポト、と落ちる。横を見ると、悟ちゃんがベッドの下に居て、棘くんがコップに水を汲んで持ってきてくれた。

「や、詩織」
「ツナマヨ」
「ありがとう、棘くん」

コップを受け取り水を飲む。窓の外を見ると、既にお昼は過ぎているようだ。ベッド下の2人は、多分昼休みを使って来てくれているのだろう。

「私…寝てた?道場で棘くんを見て…真っ暗になって…」
「しゃけ」
「棘に、神楽鈴を向けて立ってたって」
「…私、思い出した。力の使い方、嫌な記憶もあったけど、思い出したよ」
「しゃけ」
「了解。詩織、早速明日の夜、棘の任務に同行して。僕も、伊地知脅して同行する」
「え?脅して…?」
「詩織が同行するのは秘密。でも、場数は踏ませたい。そうなると、伊地知が一番言う事聞いてくれるんだよ」
「おかかぁ…」

可哀想…と棘くんが言っているのを見て、少し笑ってしまった。確かに、伊地知さん、結構悟ちゃんに色々されてて可哀想だ。

「あと、詩織の服も出来たよ!2着作ってくれててさ、一つはスカートタイプ。ミニスカートに、上はタートルネックの長袖とタイツ付き。もう一つは、ジョガーパンツタイプ。上はタートルネックのノースリーブで、アームカバー付き。個人的にはミニスカ希望」
「おかか!ツナ!」
「…その時の気分で決めるよ」

悟ちゃんと棘くんがミニスカかジョガーパンツかで言い争いを始めたのを見て、2人の向こうのローテーブルに、もう一つ何か黒い物があるのを見付けた。

「それは?」
「おっと、これ忘れたらいけなかった。例の特注品だよ。神楽鈴と扇子、多分使うでしょ?ベルトタイプで腰に巻けるし、これ使って携帯するといいよ」
「それで…。ありがとう、悟ちゃん」

悟ちゃんが携帯用ベルトを差し出して来たので、受け取ろうとベッドの上に座り直して、前のめりになる。と、何だか上半身、胸の辺りに違和感を感じる。そういえば、何だか胸が楽なような…?棘くんと悟ちゃんも、口をポカーンと開けて私を見ている。

「…ぷるぷる」
「…ツナツナ」
「は…?!」

2人の視線の先を見る。まさかと背中に手を当てると、ブラのホックが外れていた。そのせいで、肩から紐は落ちるし、カップがズレて、胸が見えそうになっている。

「む、向こう見てて!」

慌てて2人に反対側を向かせると、私も背を向けてブラを着け直す。多分、倒れたから、苦しくないようにとしてくれたのだろう。今回は文句は言えない。

「あ、もう大丈夫です…」
「気付かなくても良かったのに」
「しゃけ」
「私は気付いて良かったです!」
「まっ、今日はカウンセリングも特に入ってなかったみたいだし、裏方仕事もしなくていいから。明日の任務に向けて休んでよ」
「しゃけ」
「うん、分かった」

じゃあ、昼休み終わるから行くね。と言うと、悟ちゃんと棘くんは学校に戻って行った。
シャワーを浴びて、軽く食事を済ませると、椅子に座って神楽鈴と扇子を手に持つ。いよいよ、明日から任務への同行と実践が始まる。

思い出された過去は、昇華させなければ。そう思いながら、ベルトに神楽鈴と扇子を付けたのだった。


2021/05/22



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