これの続きです。モブ×ビヨン注意です。


 あの日からエリザは毎日のように日本宿舎を訪れビヨンに会いに来てくれていたが、一週間経ち、カタールの仕事もあり渋々帰ることになった。
 何度も一緒に来てもいいのよと言ってくれていたが、ビヨンのサッカーがしたいという気持ちは変わらず、エリザと一緒に母国へ帰る気にはなれなかった。
 横でニースが胸を叩いて「任せて下さい!」と言うのにも折れて、エリザは一人空港の奥へと消えて行った。

 久遠によると、相談をした警察官からはまだ犯人に関する情報は入ってきていないようだった。というのも、ビヨンがあまり犯人のことを覚えていなかったことが大きい。特徴が掴めなかったため捜査は進まなかった。
 だが極力外出自体を避けるようになっていたため、もう会うこともないだろうと少し安心していた。

 しかし、出かけなければならない用事というものはどうしても出てくるものだった。

「……、足りない、よな」

 箪笥の中身を見て呟く。そこには下着が、畳んではいるが適当に詰め込まれていた。
 彼らイナズマジャパンの選手はアジア予選の決勝戦を終え、明後日に日本からライオコット島へと向かうことになっていた。そのための準備として設けられた今日と明日の練習は無く、日本の選手は家に帰っていたり、また家に帰るには少し遠い地方の者や海外の者などは合宿所に泊まり思い思いに過ごしていた。

 そんな中で、ビヨンが荷造りがてらに私物を確認していたところだった。
 下着の数が足りない気がする。多く持っていたはずだが、そういえばあんなことがあったときにいくつか捨てた記憶がある。
 それでこんなに足りないのか、と納得したが、さて困った。

 本戦のあるライオコット島に行ってまでわざわざ下着を買うのも何だか面倒だし、それならば今日明日の時間のあるうちに買いに行くべきだろうが、外出には相部屋のニースに迷惑をかけることになる。買うものは下着だ。何だか気恥かしい。
 どうしたものかとしばらく箪笥の前で悩んでいると、部屋の扉が開いた。

「あっ、いた。俺、買い出しに出かけるんだけど何か買ってくるものとかある?」

 その正体はニースだった。彼とは随分仲良くなって、あんなことがあったというのに普通に接してくれてとても感謝していた。
 その彼が出かけるらしい。ちょうどいいタイミングだった。ビヨンはああ、と返した。

「出かけるなら俺も連れて行ってくれないか? 買いたいものがあるんだ」

 そう言うと、ニースが目を丸くした。

「え、買うものがあるなら俺が代わりに買ってくるぞ? 無理に出かけなくても……」
「考えてみたらあの日から一歩も外に出てないんだ。日本にいられるのももうないんだし、お前が守ってくれるんだろ?」

 余裕そうに少し笑うとニースもそうか、と笑った。

「分かった。ちょっと遠いところ行くけど、ごめんな」
「よろしく頼む」

 言って、二人は出かける準備を始めた。

 ニースが連れて行ってくれたのは少し離れたところにある大型ショッピングセンターだった。平日だったのでそこまで混んではいなかった。
 ちゃっちゃと自分の用事を済ませ、ニースの買い物についていくと、どうやら稲妻町の商店街にはないようなサーフィン用品を買いこんでいるようだった。

「……ライオコット島にも売ってるんじゃないか?」
「分かってないなあ。着いてから買い物してたんじゃ乗り遅れるだろ? 同じ波は二度来ないんだぜ!」

 ニースの顔がきらきらと輝いていたのでもう何も言わないことにした。
 たっぷり買い物をしてようやく帰ろうかという頃にはもう、夕飯の買い出しに多くの主婦が食品フロアへと押し寄せていた。

「さて、帰るか。電車混んでそうだな……。タクシーとか呼ぶか?」
「大丈夫だ。そう何度もあることじゃない」

 ニースは少し不安そうだったが、ビヨンが駅へと歩きはじめたことでその後ろを付いて行くしかなくなった。
 電車の中はニースの言う通り混みつつあって、ちょうど帰宅ラッシュが始まる時間のようだった。
 身体をその箱に押し込めてなんとか立つことができた。

「ジャパンの満員電車だ! まだ混んでくるんだろうな」
「そう、だろうな」

 会話をしている間に、一駅、二駅、といくつかの駅に停まり、そしてやがて電車は息をするのも苦しいほどの満員電車となった。この人数でこの箱がパンクしてしまわないのが不思議なくらいだ。
 ビヨンは目の前に立っているのが女性であることに少し安堵しつつ、やはり外は見えないのでその背中をぼうっと眺めて早く雷門中に着くことを祈った。ちらちらと視界の端にうつるニースが心配そうにしているのが分かったが、ニースの心配するようなことは起らないとタカをくくっていた。

 だが、悪夢は再び起こる。
 さらにいくつかの駅を経ても、一向に乗客は減らなかった。住宅街は雷門中近くにあるのだ。この多くの乗客もビヨン達と同じくその近くまで降りることはないのだろう。
 ひたすらに目の前に立つ女性の背中をぼうっと眺めていた、その時だった。

 2回目ともなると、始めから何かを感じ取るようになるものらしかった。
 背中とも腰ともつかない部分を手のひらが意思を持って撫でる。瞬間、全身を鳥肌が覆った。
 前のことばかり気にかけて、後ろに立つ人のことを考えていなかったことを思い出す。だが今更首を回そうにも隙間のないこの車内では無理だった。

「久しぶりだね、カイルくん。元気にしていたかい?」
「――……っ!」

 ビヨンの耳元に、気持ちの悪い息と声がかかった。それは間違いない。あの時の男だった。
 何故よりにもよってこんなときにまた出くわさなければならないのだ。しかしそんなことを考える余裕はビヨンにはなかった。頭の中には様々なことがフラッシュバックする。思わず震えそうになる身体を抱きしめることもできず、視線だけでどこか近くにいるはずの金髪を探した。今はニースだけが頼りだった。

「震えているじゃないか、寒いかな? 僕が温めてあげようか……?」

 男の手がビヨンの腰から尻へと下り、優しく撫でさすっている。声はごく小さくビヨン以外には聞こえないだろう。そのせいで吐息混じりになっていて、嫌悪感を増幅させた。
 あれだけエリザやニースには大丈夫だと言ったのに、心臓が痛いほど脈打っていて、喉の奥で食べたものが出口を探している。口を情けなく半開きにして息を浅く何度も吸った。

「ここでもいいし、また別の場所に行ってもいいんだよ。また楽しいことを一緒にしようか」
「は……っ、や……」

 脳の中心だけが異常なほど熱くて全身は氷のように冷えている。近くにいたはずのニースは満員の人に押されて遠くへ行ってしまったのだろうか。もう探す余裕もなくなってしまった。
 八方ふさがりで、ただこの男からされる行為を受け入れるしかない。吐いてしまいそうなのをひたすら堪えるのもつらく口に手をやった。
 男の手は尻からまた少し下がり、足の付け根にまで到達した。そこを凌辱されたことを思い出し、更にひどい吐き気が喉からせり上がる。情けないことにいつのまにか視界は歪み、頬にぼろぼろと涙が零れていた。

「泣かないでくれよ、そんな反応をされたらもっとひどいことをしてあげたくなるだろう?」

 耳元で囁く男が、舌を耳たぶに這わせた。それがビヨンの限界だった。

「Hey, you! What are you doing?」
「……!?」

 突然かけられた新たな声に、後ろに立った男が硬直したのが分かった。口を抑えた手はそのままに英語の聞こえた方向を必死に首を捻って見る。そこにはよく知った金髪がいた。

「な……、なんだ、君は、いきなり……」
「I heard what you are doing. Do you know English well?」
「の、ノー。ノー! どっか行け!」
「どっか行くのはお前だよ、オジサン」

 今や乗客の視線はニースと、ビヨンの真後ろにいる男にあった。男は急に浴びせられた注目にたじたじになっているようで、逃げ道を探しているようだったが満員電車には生憎と道はなかった。

「全く、俺がこんなに金髪でイケメンだからって、男相手に痴漢はないぜー」
「なッ……! だ、誰がお前なんかにっ!」
「へえ、否定するのか。俺の尻はオジサンの手の感触、覚えてるぞ?」

 車内のあちこちから、くすくすという笑いが聞こえてくる。男は顔を真っ赤にさせた。

「き、君!! 言いがかりも程ほどにしろ!! あまり変なことを言うと警察に突き出すぞ!!」
「警察に行ってくれるのか? これは願ってもないことだ! それじゃあちょうど電車も駅についたことだし、行こうか!」
「……!!」
「逃がさないぞー、オジサンのタイプについてじっくり聞いてやるからなー」
「は、離せ!! やめろ!!」

 電車が駅についたとたん、男は逃げようとしたらしい。ニースがその腕をがっちりと掴んでいた。成人男性とも見分けがつかない体格の、しかもスポーツをしているニースの力を男は振りほどけなかった。
 ビヨンははっと我に返り、車内にいた女性客に「煩くしてごめんよ」とウインクをすることも忘れずにホームに降りるニースの服の裾を掴んだ。

「に、ニース!」
「あっ、大丈夫か? 助けるの遅くなってごめんな」
「いや、それは大丈……夫、だ。それより、すまない」

 ニースは守ってくれると言ったが、わざわざこんなことをしてくれるとは思ってもみなかった。ありがたいと同時に申し訳なくてビヨンは眉根を寄せた。

「何がだ? 犯人捕まえられてよかったじゃないか。このオジサンなんだろ?」

 言いながら、ニースが片腕を引いて男を突き出す。あまり覚えていたくはなかったが、確かにあの時の相手はこの男だった。
 男はビヨンとニースを交互に憎々しげに睨み、そして逸らした。

「そうだ。こいつだった」
「じゃ、とりあえずは一件落着だな。駅員に渡してくるから、ビヨンは久遠監督に電話してくれるか?」
「分かった。あの、ありがとう」
「どういたしまして!」

 どうやらすぐには雷門中に帰ることができなくなったようだが、閊えていたものがほんの少しなくなったのを感じた。


***

トラウマシリーズ終わりです

2011.10.28


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