『なあ、今日が何の日か知ってるか?』
「……さぁ……?」

 突然かかってきたニースからの電話。長くなりそうだ、とヘッドセットに切り替えて、ビヨンは気のない返事をした。
 二人が出会ったFFIから一年が経ち、今二人はそれぞれの母国にいた。
 カタールの時刻は夕方に差し掛かる頃。7時間の時差があるオーストラリアは真夜中だ。
 国を隔てては中々会うこともできず、時差があっては気軽に電話もできない。そのため、今こうして会話できたのは久しぶりのことであった。
 国際電話の通話料などはとても学生に払えるものではなかったが、インターネットとは便利なもので、こうして無料で話すことができた。学生にとってはとてもありがたいことだ。

『えーっ、まあ覚えてないだろうとは思ったけどさ……』

 電話の向こうでニースがむくれているのが分かる。ビヨンはもう一度頭を捻って考えてみた。ニースの誕生日でも、ビヨンの誕生日でもないはずだ。

「分かりません。何の日なんですか?」
『俺達が付き合い始めてから一年だよ!』

 ニースが言って、ビヨンはああ、と納得した。そういえばそうだったような気もする。あの頃はFFI真っ最中だったし、細かい日付など忘れていた。

「そうでしたね。それでわざわざ掛けてきたんですか」
『ああ、最近ビヨンの声聞けてなかったし、ついでに。そっちは夕方だろ? 今日の練習は終わったのか?』
「今日は早めに終わりました。ニースは寝なくて大丈夫ですか?」
『明日はオフ! 今日はたっぷり夜更かしするのさ』

 得意げにニースが言った。もう何か月も会っていないというのに楽しそうな顔が浮かぶようで、ビヨンも小さく笑った。

『〜〜でさ……、ロベルト監督の眼鏡が割れて……』
「はあ」
『リーフとシャインが俺のせいにしてきて、俺は何もやってないってのに』
「それは」
『見てたジョーも何にも言ってくれないし、全部俺の責任になってさああ』
「大変ですね」
『片づけ全部やらされたんだよ! ひどくないか!?』
「そうですね」
『ビヨン全然同情してないだろ!』
「はい」
『ひどい!!!』

 電話の向こうからすすり泣く声が聞こえてくるが、別にニースが他人の責任をなすりつけられているのはいつものことなので今更可哀相に思うこともなかったので無視した。内容に同情するというよりも、変わらず元気でやっているのだなということが分かって嬉しかった。

『そっちは変わってないのか?』
「はい、何も。チームメイトの皆も監督も元気です。ナセルも家にいられてますし」
『有力部族の彼も元気か!』

 自分のチームメイトのことを知ってもらえるのは嬉しいことだ。ビヨンは声に出ない程度に微笑んだ。

『ああ、会いたいな。もうずっと会えてない。海外旅行なんてそう頻繁に行けるものでもないし』

 何度も繰り返しているやりとりだ。しかし心から嘆いているニースに頷いた。

「はい、オーストラリアに行ければいいんですが、いつになるか……」
『俺も。カタールに行きたいなあ……』

 同じ国ならともかく、とても簡単に会える距離ではないのがもどかしい。その想いは二人とも同じだった。

『浮気、してないか?』
「……それはこっちの台詞ですけど……?」
『しッ、してない! 本気なのはビヨンだけだって!!』
「はあ、沢山遊んでらっしゃるんですね。立派な御身分で」
『ち、違う! 違う違う! 今のナシ! 本当にビヨンしか愛してないから!』

 必死に取り繕うニースが白々しい。この男の女癖の悪さはどう言ってもやめさせられないので、いい加減ビヨンも諦めていたが。
 そのうちニースには内緒でジーンにでもメールしてみよう、と決意した。

『うううん、それにしてもビヨンに会いたい。俺の顔忘れたりしてないよな』
「頻繁に写真を送ってきてくれるおかげで、覚えていますよ」
『ビヨンも写真送ってくれよ! 頼んでも頼んでも全然送ってくれないじゃないか! あっ、何なら今撮って送ってくれてもいいんだぞ』
「今は嫌です。そのうち送ります」

 写真の話を出したことで、ビヨンは手近にあった携帯を引っ張り出した。その中にはニースが送ってよこした多くの写真が入っていた。
 去年最後に会ったときよりもまた少し大人っぽくなっているようで、眩しかった。

『触りたいよ、ビヨン』
「はい」
『遠距離ってつらいな。一年前はすぐに触れたのにな……』

 先程までとは打って変わってつらく寂しそうに言ったニースの声が、手元の写真の笑顔とは全く違って胸を痛ませた。
 会いたいと願っても、声はこんなに近くにあっても、触れられない。鼓膜に心地良く響く低い声をもっとよく聞こうと、そっとヘッドホンに手を当てて耳に押しつけた。

『好きだ。会いたいし触りたい。キスしたい』
「……」
『手を繋ぎたい。抱きしめたい。ビヨンの香りを胸いっぱいに嗅いで……』
「ちょっ、と」

 いくつも挙げていくニースに思わず制止の声を上げた。

「あんまり変なこと言わないでくださいよ。私だって」
『せっかく話せる貴重な機会なんだ、伝えておきたいだろ。ああ、頬の柔らかさも忘れかけてる。髪の触り心地も』
「そんなこと忘れてくれて結構です!」

 久しぶりにニースの声を聞いて、しかもそんな肉体的なことばかり言われると、思わず体が熱くなってしまう。
 電話の向こうのニースには見えていないというのに、頬の火照りを冷まそうと手でばたばたと仰いだ。

『ビヨン』
「うわっ、はッ、はい」

 突然改めて名前を呼ばれてビヨンは体をびくりとさせた。その呼び方が情事を思わせるような、低く甘い声だったから尚更だ。
 そんな声を聞くのはひどく久し振りだ。もっと呼んで欲しい。そう思った時点で、すでに体はそういう態勢に入っていた。
 だからニースがそう言っても、普段であったら一蹴するのに、肯定してしまうのだった。

『俺、欲情してる。ビヨンもそうだろ』
「にッ、ニースがそんな声出すのが悪……」
『ああ、俺がそうさせたのが悪い。電話、切ろうか?』
「電話切って、どうするんですか」
『俺はこの電話のビヨンの声を思い出しながら一人でする。それともビヨンが許してくれるならこのままするけど?』
「……ひ、一人だけで、する気……」

 言いながら、何故か泣きそうになっていることに気づいた。口走っている内容を顧みる余裕もなく、言葉はひとりで出てきた。

「私だってニースの声を聞きたいですよ!」
『俺の声聞きながら抜きたい?』
「んな……ッ、……そ、そうですよ……」

 電話の向こうでニースが笑った。とたんに羞恥心がぶわっとせり上がってきた。

『しばらく離れてる間にビヨンも積極的になったな』
「わ、悪いですか。私だってニースに触りたいのを我慢してるんです」
『悪くないさ、すっごく嬉しい』

 ニースの声の弾みようが、ビヨンを落ち着かせた。だがそうは言っても、実際何をどうすればいいのかが分らなかった。
 だからニースが無理なく誘導してくれるのはありがたかった。

『俺の、もう今の会話だけでガッチガチだ。ビヨンはどうだ?』
「……っ、私は」

 右手をゆっくり伸ばし、着ている服の上から自身にそっと触れる。まだほとんど反応してはいないが、微かに息づいていた。

「まだ……」
『そうか? じゃあ俺に触られてると思って、服の上から触って。まだ直接触っちゃだめだぞ』

 そういえばここにそういう目的で触れるのは久し振りで、前回触ったのもほとんど事務的に「抜いた」という言葉がふさわしいものだった。
 最後にニースに触れられたのはもうずっと前だが、必死にその手つきを思い出して触れる。ニースの声が何よりもビヨンを興奮させた。だが服の上からのもどかしい感触がつらく、座っている椅子の上に足を上げて開いた。

『どうだ? 反応してきただろ』
「ッ、服の上からじゃ」
『嘘だな。そう言うなら服脱いでみて』

 部屋にはビヨンの他に誰もいないのに、脱ぐのは少しの抵抗があった。だがニースに言われたことを遂行しようとする手が勝手に動き、少しずつ苦しくなっていたズボンの前を寛げた。

『どうなってる? 俺の言った通りだろ』

 信じたくなくとも、眼前に晒されれば認めざるを得ない。しかしビヨンが黙っているとニースが不意に名前を呼んできた。

『ビヨン』
「っ……」

 その声は卑怯だ。片手に触れていた自身がどくりと反応し、質量を増やした。

『反応してるんだろ。ピンク色のビヨンのが、硬くなって、上向いて……』
「や、やめ……」
『そしてこんな言葉にも反応してさらに大きくなってる。だろ?』

 ニースがそう言うと同時に、ビヨンのそれから滴が垂れ、掴んでいた手を汚した。まるでその通りで言い返す言葉もなかった。

「ニースは……、ニースは、どうなんですか」
『ん、俺も気持ちいいよ。ビヨンが感じてる声を聞かせてくれたらもっとイイと思う』
「恥ずかしいです、そんなの」

 会話をしながら、ビヨンの手は休むことなく動いていた。事務的ではなく、なるべく感じるように。ニースがやってくれるように。
 電話越しにこんなことをしているなんて、恥ずかしいしはしたない。けれども、とても興奮する。

「んっ……」
『あ、にちにちいってる音が聞こえる。もう汁垂らしてるんだ』
「な……!」

 ビヨンはその指摘に顔を真っ赤にさせた。そんな音まで拾われ聞かれてしまうとは夢にも思わなかった。しかしニースはそれに更に嬉しそうになり、明らかに欲情した吐息を漏らした。

『そんなになってるなら、もう後ろも触っていいかな。一人でやるときに触ってるか?』
「さ、触るわけないじゃないですか!」
『へえ? まあ正直に答えるわけないか。ほら、絶対に中には指入れないで、入口のところだけ撫でて』

 自身を擦っていた手はそのままに、もう片方の手をそこよりも奥、窄まった場所に這わせる。汗で湿っていて、少し撫でただけでひくりと入口が収縮した。

『しばらくそうしてたら物欲しそうにひくひくしてくる』
「んっ……ふ……」

 そこはニースが言うとおり、物欲しげに開閉した。指を入れようとせずとも飲み込まれてしまいそうだ。ニースの言いつけを守り決して中には入らないようにして、その入口だけを撫でた。
 しかし、そうしていても奥がひくつく。我慢しながらも入口だけをやわやわと撫でていたが、必死に自制しなければ欲望のまま指を突き入れてしまいそうだった。

「ニース、……いつまでこうしてれば、いいんですか……っ」
『さあ。今の状況を口で言って、そしておねだりしてくれたら許してあげようかな』

 ビヨンから断続的に洩れる小さな声に、ニースも電話越しとはいえ状況を理解しているはずだ。だというのにわざわざ口で言わせる気か。
 ぐっと押し黙ったビヨンにニースは意地の悪そうに笑った。

『なんだよ、言えないのか? ビヨンのがだらだら涎を垂らしてて、お尻の穴が指を勝手に飲み込みそうなくらい開いたり閉じたりしてる。そして本当は今すぐ指を入れてしまいたい、だろ?』
「ッ……、そこまで分かってるなら、もう」
『仕方ないな。いいよ、いれても』

 ニースからの許しを得て、ようやくビヨンの指はその中への侵入を果たした。久し振りに感じた中はひどく熱い。そして指を奥へと誘うように動いている。

「は、あぁっ……! んッ」
『指を入れて、奥のほう、手前側。って分かってると思うけど』
「――っあぁ、あ!」

 前立腺の位置を言われ、それに従って一点を指でぐっと押した。途端に体は大きく跳ね、椅子の上に開いた足がびくりと動いた。
 焦らされ、触ることを中々許してもらえなかった箇所だ。ようやく感じられた快感にビヨンの体は悦んだ。

「あッ、あ、んんっ、は……っ」
『ああ、すごい。この声、腰にくる……っ』
「ニース、ニースっ……!」

 名前を呼ぶと、呼び返してくれる。ヘッドホンを耳に押し当てればすぐ傍にいるような錯覚を覚えるのに、どうしてここにいないのだろう。
 目を瞑り、自分の腕を意識から外してそれをニースのものと思い込もうとした。しかしそうしても虚しさと堪え切れない寂しさは消えず、胸が痛くなった。

『は……っ、好きだ、愛してる、ビヨン』
「わ、たしも……っ――んぅ、ああ……っ」

 もしも本当に抱き合っていたなら、ニースはここでキスをしてくれただろうに、その唇はない。
 達する快感と形容しきれない寂しさに頬に涙が零れた。




『また電話する。体に気をつけて、風邪ひくなよ』
「ニースこそ。電話待ってます」
『それじゃ、また』

 ぷつん、と通話が切れても、ビヨンはしばらくの間そこから動くことができなかった。


2011.09.07

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