※これの続きです。
一度できたことの二度目が、必ずしも容易くできるわけではない。
例えば自転車に乗る、逆上がりをする。それらは一度目でコツさえ掴むことができれば簡単に二度目も三度目もできるだろう。
しかしこれにコツなど存在するのだろうか。あるのだとしたら、教えてほしい。
ビヨンはその夜、何をするでもなくニースの部屋に訪れていた。それが日課になりつつもあった。
床に敷いたラグの上でストレッチをするニースの脇で、ベッドに腰かけてビヨンはそこに落ちていた雑誌を捲っていた。
その雑誌からちらと目を上げ、ニースを見る。白いTシャツから伸びる小麦色の腕は足ばかり使うサッカー選手といえどよく筋肉がつき、盛り上がった筋は思わず手を伸ばし触れてみたくなるほど羨ましいものである。今はジャージで隠れた足やその胴体も中学生らしくなくすばらしい筋肉がついていることを、抱きしめられたとき、あるいは風呂に入ったとき横目で見て知っていた。
しかし、そんなニースの体を見てビヨンが心臓を高鳴らせていることを、彼自身は知らないだろう。今だってニースの目を盗むようにして肢体を見、たまらなくドキドキしているのだということを。
「んーっ、よし、ストレッチ終わり! ……ん、どうした?」
「な、なんでもないです」
ニースが顔を上げた瞬間慌てて目を逸らした。見ていたことが本人にばれるというのは恥ずかしいものだ。
明らかに怪しいが、頬を赤らめているビヨンにニースは小さく笑って流してやり、床から立ちあがってビヨンの腰掛けるベッドにばーんっとダイブした。当然ながら安物のベッドはぎしぎしと嫌な音をたて、座っていたビヨンの体は弾んだ。
「うわっ、わっ」
ベッドの揺れでバランスを失ったビヨンは、後ろへと倒れそうになった。しかしすぐさま手をひかれ、倒れる方向を変えられた。それはニースの胸の上。
「――っ!」
突然目の前にニースの顔がきて、ビヨンは思わず体を離そうとした。しかしそれより先にニースの逞しい腕が背中にまわり、ぎゅうっと抱きしめられた。逃げられない。
ニースの顔がこんなにも近くにあるということが、ビヨンについ数日前のことを思い出させた。
――初めてキスをした日。あのときはビヨンからしたが、あれ以来、ビヨンからすることはなかった。というより、できなくなっていた。ニースが少しずつしてくれるようになったということもある。しかしそれ以上に、何だか恥ずかしくてできないのだ。
一回(正しくは二回)やったというのに、ビヨンにはもう、その勇気がなかった。しかしニースは時折ビヨンに勇気を出す機会を与えていた。
「ビヨン、キスして」
そう、こういうふうに。
こんな息もかかる至近距離に恋人同士の二人がいて、そして横になっているニースの上に覆いかぶさるようにいるのはビヨンのほうで。ビヨンのほうからキスをするというのは道理だろう。ニースから仕掛けるには苦しい体勢だ。
しかしビヨンは、目を泳がせて泣きそうな表情になった。耳まで真っ赤だ。ニースがキスをせがむたび、ビヨンはこうなった。したい。でも、できないのだ。
「〜〜〜〜……っ」
密着した体からビヨンの心臓の音の早さが感じられる。ニースは背中にまわした腕をぽんぽんと、子をあやすように動かし落ち着かせようとした。
「ごめんビヨン。無理はしないで」
「っ……すみません……、で、でも、嫌いになったわけでは、ないんです……」
「うん、分かってるから」
泣きそうな顔をニースの胸に埋めて、ビヨンはすみません、と繰り返した。悪いことなどなにもない。ゆっくり進めていけばいいのだ。
ニースは自分の上にあるビヨンの体を横にずらし、隣に横たわらせた。そのニースの表情は本当に気にしていないようではあるが、やはりビヨンは申し訳なく思った。
「俺からキスするのはいい?」
「は、はい」
じゃあ遠慮なく、と近づいてくるニースにぎゅっと目を瞑ると、唇に知っている感触が触れた。ちゅ、とすぐに音をたてて離れたが、再び2、3度繰り返しキスをされ、そして4度目に舌が入ってきて、体が固くなった。
どうやっても慣れない。必死にニースと同じように舌を動かそうとするのだが、柔らかい舌先が触れ合っただけでもう、羞恥で逃げ出したくなった。
普段ならばニースはビヨンが必死であることを察して、無理に舌を絡めようとはしてこない。だが今日のニースはいつもとは少し違った。
「は、っんん……っ」
ビヨンの限界を察しているのだろうが、ニースは唇を離そうとしなかった。それどころかビヨンの頭を手のひらで引き寄せ、歯が当たりそうなほどに深く舌を差し込んできた。
羞恥と酸素不足に頭が白くなるも、それを伝える術がない。ニースの胸元に置かれた手は力が抜けて動かせる気配はなかった。
一度唇を離される。すると酸素を求めてビヨンの口は自然と開き舌は前へと出た。それを見透かしたようにニースの舌はビヨンの舌を絡めて、再び温い口腔に攫った。
これまでにないくらいに舌と舌同士が触れ合う。柔らかい感触とか、温かさとか、唾液のぬめりとか、それらを感じる余裕もなく、ただディープキスをしているという事実に脳の中心がかあっと熱くなった。
「――っは、あっ……は……はぁっ……」
何分、いや何十分と感じられたが、ようやく唇を解放されてビヨンは大きく息をついた。ニースが頭を撫でて落ち着くまで待ってくれている。熱い息を何度も吐き出し心臓をなだめたが、息は整っても、どくどくと高鳴るそれは一向に落ち着くことはなかった。
ニースはビヨンの頬と顎を指の腹で拭い笑った。
「びっくりしたか?」
「びっくりもなにも……、……ん、」
その時、体勢を直そうとした瞬間に嫌な予感がして、ビヨンは思わず体を固まらせた。これは、まさか。キスだけで、そんな。
「どうした?」
「なっ、なんでもありません! ちょっとトイレに行ってきま」
「逃がさん!」
ビヨンはそっとベッドから抜け出そうとしたが、ニースにがばっと抱きつかれて止められた。力強い腕がビヨンを離してくれない。体が触れ合うことにすらときめいてしまう。しかし、今はだめなのだ。
首を振ってもニースは許してくれなかった。その代わりに片腕を伸ばし、ビヨンの内腿に滑らせた。
「っ、ちょっ」
「ここがこうなってるからトイレに行くのか」
「は、触らないでくださっ……!」
ニースの大きな手のひらが布越しにビヨン自身に触れる。そこはキスをしただけだというのに熱を持って存在を主張していた。
キスがようやくできるようになった程度の二人の関係では、そこにニースが触れるというのもこれが初めて。ビヨンは体を強張らせてニースの腕を離そうともがいた。羞恥で死んでしまいそうだ。
「やめてくださいっ、はなして、はなしてっ」
「怖くないから」
「やだっ、あっ……!」
ただのディープキスすらも満足にできなくて、ようやくキスしたと思えば体が勝手に熱くなる。恋愛で人と付き合うことが初めてで、不慣れで。だからといってここまで恥を晒すことになるとは思わなくて、ビヨンは涙がせり上がってくるのを堪え切れなかった。
ぽたぽたとシーツに滴が垂れ落ちる。ニースはビヨンの額にキスを落とし、ベッドの中でビヨンの体をぐるりと反転させた。後ろからニースが抱きかかえる形だ。
「ごめん、恥ずかしいよな。俺のせいでこんなになって。ビヨンのは見ないから、俺の手使って楽になってくれ」
そう言ってニースはビヨンの頭に顔を埋め、両手をビヨンの下腹にあてた。その手がやわやわとビヨンのそれに触れ、ビヨンは小さく息を漏らした。
「っ、自分で、できますっ……から……っ」
「こうなったのは俺のせいだし、俺にさせてくれよ」
耳のすぐ傍で囁かれては腕から逃れる力も抜ける。出ようと思うのだが、いつの間にかニースの手がズボンの中に侵入しビヨンのものを掴んだ瞬間、体に電流が駆け抜けたように体が弛緩した。
「は……っ、あっ」
「……熱い、な……」
ズボンの中でニースの手が動いている。その事実だけでビヨンは射精しそうになるのを下腹にぐっと力を込めてやり過ごした。キスするのにも精一杯であったビヨンが、自慰にニースのことを想ってしたことはほとんどなかった。妄想ですら恥ずかしかったのに、今現実にこうして、ニースの手がビヨンのものを扱いている。
「っあ……あ、あっ……」
何度も込み上げてくる射精感をぐっと堪えて、しかしはしたなく上がってしまう声は抑えられなかった。ニースの指がくびれを通過する。指の腹が割れ目を撫で擦る。手のひらが竿と袋をぐっと包む。
今までの自慰とは比べ物にならない快感がビヨンの脳髄を駆け抜け、そして我慢は無駄に、呆気なく精液が吐き出された。
「――っは、あぁっ……っ」
「ん……、出た」
「……!!!! すみません今ティッシュを!!」
慌てて今度こそニースの腕から脱出し、ベッド脇に置かれてあったティッシュを掴んでニースの手のひらを拭いた。興奮のせいか量が多いなんていうところもたまらなく恥ずかしい。
と、いうか。今自分は何てことをしてしまったのだ。改めて今の自分がした事の重大さに気付き、ビヨンは羞恥で死んでしまいたくなった。
「すみません、すみませんっ……! ニースに、こんなっ、汚いっ」
「い、いや。謝るのは俺のほうだろ。ごめんな、嫌がってたのに……」
「いえっ、気持ち良かったで……、あ、いやその」
なんでもないです、と首を振るビヨンにニースは笑った。しかし、ところで、と言ったニースにビヨンは青ざめた。
「俺のほうも、たっちゃったんだけど……、その、ビヨンに」
「――!!!?? ご、ごめんなさいそれはまだ無理です!!!」
――彼らがこの先に進むのはまだ先になりそうだ。
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2011.02.23
beyon top