ニース・ドルフィンが好きだ。
 恋なんて綺麗な言葉で形容してもいいものかどうか、判断しかねる。いや、してはいけないだろう。しかし恋と呼ぶ以外になんと呼べばいいものか。
 ビヨンのニースに対する気持ちは、日に日に強くなっていくばかりだった。



「おーい! カイル!」

 練習が終わり汗を拭いていたら、後ろから声がかけられた。
 びくりと肩を震わせてその方向を振り向くと、いつものように元気そうな円堂が駆けてきた。ビヨンが引き抜かれた日本のチームのキャプテンだ。

「……ミスター・エンドウ」
「なんだよー、円堂でいいってば。まだチームには慣れないのか?」

 円堂が唇を尖らせてそう言った。
 ビヨンがここに来てから一カ月以上が経っていたが、元々広く人と接することが苦手であったビヨンは、ただ一人カタールから引き抜かれ、練習中や試合などはいいがそれ以外で上手くチームメイトと会話ができずにいた。
 円堂や他のチームメイトがいつもそんなビヨンを気にかけてくれていて、そのたびに申し訳なくも思っていた。

「す……、すみません。どうにも苦手なもので……」
「ま、ゆっくり慣れてこーな!」

 円堂の手がビヨンの背中をばんっと叩いた。その力強い手が嬉しくないわけがない。少しよろけながらはい、と返事をすると、また別の声がかかった。

「エンドウ! 今日はビヨンをナンパかい?」
「っ……!」
「ドルフィン」

 ビヨンが先程よりも大きく肩をびくりとさせた。が、円堂は気付かずにその声に返事をした。タオルで汗を拭う振りをして後ろを振り向くことを遅らせていたら、声の主、ニースがビヨンの肩に手をまわし顔を覗きこむようにしてきた。

「ほら、エンドウがビヨンをナンパするから真っ赤になっちゃってるじゃないか。あんまりたぶらかすなよー?」
「ナンパなんかしてないってば! なあカイル!」
「う、あ、は」

 よくわからない状況に返事ができず口をぱくぱくとさせた。真っ赤になっている理由を勘違いしてもらえたのは嬉しいが、今のこの状況は、困る。
 慣れない人物二人以上との会話なんて、そしてその話題が自分なんて、更に、その二人のうち一人が自分の好きな相手だなんて……

「円堂! 久遠監督が呼んでるぞ」

 天の声が降ってきたと思った。自分を見つめていた目がその方向を向く。ビヨンもそちらを向くと、風丸が少し遠くから手を振っていた。

「わかったー! 今行く! じゃあカイル、困ったらいつでも話してくれよ!」

 円堂が慌ただしくバタバタと駆けていき、そこから去っていった。救われた、と思ったが、実はそうではないと気付いたのは一拍遅れてからだった。

「エンドウ、行っちゃったな。ビヨン、俺たちも体が冷える前にシャワー浴びに行こう」
「あっ、は、ぁ」

 ニースがビヨンに肩をまわしたそのままで、合宿所に向かって歩き出した。されるがままにビヨンも歩き出したが、肩にまわされた手が気になってしまって仕方が無い。顔が熱い。心臓がうるさい。

「あっ、あの、手」
「手?」
「じ、自分でっ、歩けます……!」

 その言葉にようやくニースも気付いたのか、ああ、ごめんごめん、とぱっと手を離した。しかし離れた手を見てほっとしたと同時に何だか寂しく、勿体ないような気分にもなった。が、首をぶんぶんと振った。

「ビヨン、まだ顔が赤いぞ」
「れっ、練習後だからです! 早くシャワー浴びるんでしょう!!」
「お? 何だか機嫌悪いなあ、待てよビヨンー!」

 つかつかと歩き出したビヨンを追いかけ、ニースも一緒に歩き出した。



 日本らしいつくりの共同浴場は湯気の力を借りてなんとかやりすごして、晩御飯を食べて。
 その間もニースがずっとビヨンの近くにいたせいで、顔の火照りはおさまらなかった。

「あっ、ビヨン、その肉! くれよ!」
「……う、は、はい」
「かわりにグリーンピースあげるからさ!」
「オイオイ、それはお前が食いたくねーだけだろ!」

 ニースとビヨンのやりとりに、そこを通りがかった綱海がつっこむ。すると周囲がどっと沸き、海の男の掛け合いは場の盛り上げ役となっていた。
 その楽しそうな輪に形だけは入りながら、自分もあれだけ社交性があればもっと人と仲良くなれるのだろうな、と悲しくなる。
 ビヨンはこの人見知りな性格がとても嫌だった。
 だからこそ、誰とでもすぐに仲良くなれる、そして明るい、ついでに言えば同性としても惚れぼれするような肉付きのいい体に憧れてニースに好意を抱いたというのもある。
 そしてさらに、

「ビヨンー! オレばっかり集中砲火されてる! たすけて!」
「あっ、は、え」
「ツナミなんか嫌いだーって言って!!」
「きっ……!? ミ、ミスターツナミは好きですよ……」
「ははは! ドルフィンの味方は一人もいねーなあ!」
「ビヨンー!!」

 ニースはいつも、円堂以上に、ビヨンを気にかけてくれていた。ビヨンがうまく会話できなくても気にせずにぽんぽん話題を振ってくれたし、ビヨンがチームに馴染めるよう配慮してくれているのだということも分かった。それに何度救われたか分からない。……先程や今みたいに、困ることもあったが。

「とにかくドルフィンはグリーンピースを食え! カイルは肉が足りねえ、コイツに構ってる暇あったらモリモリ食え! なっ」
「ツナミのイジワルー!」
「気色悪ィ声出すな! カイル、コイツが調子のったらいつでも俺んとこ来いよ」
「はっ……、はい」

 綱海がそう言った頃には、メンバーもそろそろ食べ終わる頃だった。ビヨンも急いで腹に詰め、ごちそうさまでした、とフォークを置く。隣を見ると、ニースがグリーンピースとにらめっこしていた。

「あ……あの……」
「ん、ああ、ビヨンは先戻ってていいよ。俺……がんばるから……」
「……あ……、……はい、わかりました」

 ニースが全てを食べ終わるまで待っていようか、と申し出ようとしたのだが、そう言われてつい引き下がってしまった。
 言われたまま食堂を出て、少しうろうろして、やはりニースが大変そうだから待っていようかと考え、ぐるぐるまわって。
 ……やはり、このまま食堂に戻る勇気もなくて、一人部屋にとぼとぼと帰るしかないのだった。そんな自分が情けなく、泣きそうにすらなってしまった。



「――はぁ…………」

 一人になって出るのはため息ばかり。何故あそこであんな返事をしたのだろうかとか、何故ニースと一緒に残ってあげなかったんだろうか、とか。後悔ばかりの反省会がビヨンの中で行われていた。もはやこれが毎日の恒例になっていた。

 ――整理しよう。

 ビヨンはニースが好きだ。恋と言いたくはないが、やはりこれは恋なのだろう。
 そして憧れている。ニースになりたいと思うこともある。しかしどうせ代わってもらえるなら綱海がいい。そう思うということは、ニースと対等になりたいという思いが強いのだろう。
 加えて、一番やっかいな思い。ニースを独り占めしたい。ニースに自分だけを見てほしい。できれば、恋愛を伴った感情で。できれば、――肉欲を伴うもので。

「……ああ、もう、ばか……」

 ビヨンは手近にあった枕を殴った。ニースに、今の自分のような情けない男を好きになってもらいたいだなんて、傲慢すぎる。
 第一、同性だ。ビヨンだって同性を好きになったのは初めてだったが、よく知らない異性ではなく同性というだけでこうも生々しく妄想が働くものなのか、と夢を見てひどく落ち込んだこともある。
 空想ですらこんなにも生々しいのに、それをニースと実際に、だなんて。ムシが良すぎる話だ。

 しかし、ニースのことを考える度、顔が火照り、心臓が音をたてるのも苦しくなってきていた。
 想いを自覚してからしばらく経っていた。忘れようと思っていたが、想いが募るとはよく言ったもので、増えて行くばかりの欲求にビヨンの体が抑え切れなくなっていた。

「……、ん……」

 もぞもぞと右手を下肢にのばす。と、そこばかりが一人前に男らしく主張をしているのが分かった。どうせなら性格が男らしくなってくれればいいのに、なんて思わずにはいられない。
 ズボンの中に手を差し込み、やんわりと掴んで処理するために事務的に手を動かした。ニースのことは考えないように。頭を真っ白にして。

 ――コンコン

「――――ッ!」

 突然部屋に響いたノック音にビヨンはがばっと体を起こした。幸いにも慰めていたそれは驚きに萎えたが、手は先走りで濡れている。ティッシュで拭いても匂いでばれたら恥ずかしすぎる。
 しばらくうろうろと迷って、ビヨンはベッドの中で眠ったふりをしてやり過ごすことにした。返事がなければ相手はいなくなるだろう。

「……ビヨン、もう寝たか?」

 外から聞こえてきた声の主は、ニースだった。出なくてよかった、と心底胸を撫で下ろす。
 目を瞑ってじっと動かずにいた。早くいなくなってくれ、と念じた。
 ……が、ニースは予想外の行動をした。

「……ビヨン……」

 合宿所の個室に鍵はない。メンバーは全員勝手に入るようなことはしないが、ニースが控えめに扉を開けた音がした。そして眠るビヨンの姿を見つけたのか、扉を閉めた。
 ようやく帰ってくれたか。そう思ったのは一瞬だった。
 足音が、それもビヨンを起こさないように忍んだ足音が聞こえてきた。何故、と思うことはできても体は金縛りにあったように動かなかった。動かなかったから、眠ったふりも続けた。

「……寝てる、よな」

 ニースの低い声が部屋に響いた。小さな声だ。自分の心音のほうが煩いんじゃないかとすら思う。
 ニースの体がかがむように動く気配がして、そして、

「……」

 硬い指がビヨンの髪を掻き上げ、やわらかいものが額に触れた。それが何なのかなんて、ビヨンでも分かる。
 ――ニースの、唇。

「おやすみ、ビヨン。……愛してる」

 ――何で、
 ――いや、何でなんて、そんな、
 ――何が、起こって、

 ビヨンの心臓がおかしくなりそうなほど鐘を鳴らし、心は取り残されたまま、ニースが扉を閉めて出ていくまで一切体を動かすことができなかった。


***

2010.11.12
beyon top




第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -