サージェスが騎士団長として正式に就任したことを誰よりも喜んだのはカトラだった。それはポトムリが予想した通りだった。
「サージェス、おめでとうございます。貴方の強く優しい心で率いられる騎士団を楽しみにしていますよ」
「ありがとうございます、姫様。俺は必ず姫様のお力になってみせます」
 普段は礼を弁えろと窘められるサージェスが、自ら膝をつきカトラに頭を垂れる。王族に対して敬意を表す姿勢をサージェス自ら取ったのは、きっとこれが初めてのことだった。
 カトラが驚きに口に手を当て、後ろでバンバロスが誰もいない方向へと顔を背ける。騎士団の面々も口をぽかんと開けてサージェスを見つめていた。
「サージェス……、……ええ。期待しています」
 王女の威厳を湛え、一人の騎士団長にカトラは言った。


 騎士団長ともなれば仕事の量は格段に増え、サージェスがポトムリの部屋に訪れる回数も自然と減った。しかしそれでも時間を見つけては訪れて、文字を教えてくれと自らせがんだ。
「マジソンが次から次へと変な書類を持ってくるんだ。でも全然読めなくて」
「マジソンは絶対に面白がってるな。お前が苦労する様子を見て楽しんでいるんだろう」
「やっぱりそう思うか? 俺もそんな気がしている……」
 最近ではサージェスもかなり読み書きできるようになってきていたが、それでもまだ難しい書類などを片付けることはできないようだった。
 ただのサインならばいくらでもできる。だが文章を組み立てて提出しなければならないものもあり、それはサージェスにはまだ難しい。
 根気強く文字を教えながら、サージェスと他愛のない会話をする。そんな生活は、すっかりポトムリの日常に組み込まれた。

「――あ、そういえば、この本。ずっと前に姫様が教えてくれたやつ」
 ポトムリの部屋を歩き回っていたサージェスがひとつの本棚の前で止まった。一冊だけ抜き取って表紙を眺める。
 もうずっとずっと前、サージェスとカトラが二人でポトムリの部屋に訪れたとき、カトラが懐かしがって手に取った本だった。ウシ頭の登場する物語が載っているものだ。
「今なら読めるかもしれない! ポトムリ、読んでもいいか?」
「ああ。構わないが」
 ポトムリのベッドに腰掛けて、サージェスは子供向けの大きな文字を拾い始める。特徴的な二本の角を持ったウシ頭が、挿絵で可憐な少女と楽しそうに会話をしていた。
 ――ウシ頭の物語は、よくある昔話だった。
 ウシの頭を持った人間が、その中身はとても善良な男であるにも関わらず見た目で人々に嫌われていた。しかし町の一人の少女だけはウシ頭に心を許し、毎日花を届け、楽しい会話をして過ごす。ウシ頭は長くそんな日々を過ごしていたが、ある日突然、町の長老によってあらぬ罪を着せられて追放させられる。
「なんで追放されたんだ……? そんなに気に食わなかったのか?」
「異質なものを排除しようとする者は必ずいるものだ。それが権力を持っている者であると、たちが悪い」
 だがウシ頭を追放した直後の町に、巨大な魔物が襲う。人々はなすすべもなく、ウシ頭と仲が良かった少女も死を待つのみであった。そんな時、そこに現れたのは追放したはずのウシ頭であった。
 ウシ頭は魔物を次々と倒し、町の平和を取り戻す。人々はウシ頭を排除したがっていたことを恥じ、ウシ頭に感謝をした。
「……ですが、ウシ頭は、ばたりと倒れこみました。魔物に受けた傷が、深かったのです。そしてそのままウシ頭は英雄となり、死にました。――おい、死んだぞ」
「そういう話なのだ。だからあの時、優しいカトラ様は結末を話さなかった。ウシ頭が死ぬ物語だったからな」
 物語のウシ頭とサージェスを同一に見たとしても決してサージェスが死ぬわけではないのだが、それを伝えなかったのは間違いなくカトラの優しさだった。
 サージェスは本をぱたんと閉じて、本棚に戻した。数年越しの疑問が解けたことに、少しすっきりした様子だった。
「さて、姫様の優しさも再確認したことだし、俺ももっと姫様のために頑張らないとな。やるぜ、ポトムリ!」
「もちろんだ。まずはこの東西の都との外交関係の歴史書から」
「いきなり難易度上がりすぎだぜ……」
 どこまでが冗談なのか分かりづらいポトムリにサージェスは眉を顰めて冷静に言った。



 戦争は長い年月がかかった。
 小さな惑星を統一しようと言ったのは誰だったか。それぞれ独立した国で統治するのではなく、惑星としてのトップを決めることに意味を見出したのはいつのことだったか。
 もはやそれも分からなくなるくらい長い年月をかけて戦争を繰り返し、そしてようやく一人の王女が誕生した。
「カトラ様が……、ついに、俺達のカトラ様が」
「ううっ……! 俺、涙で前が見えねえ……!」
 フールとグーザーが声を上げる。涙の向こうにはキエルの伝統的な王族衣装に身を包んだカトラがいた。
 惑星キエルの世界が統一されて、星の頂点にカトラが即位したのだった。

 カトラの王宮が頂点に立ったということは、騎士団もこれ以上無理に戦争を仕掛ける必要がなくなったということである。
 しかし、それでも多くの魔物が棲む惑星だ。民の平和を守るため、魔物討伐のために剣を持つことは少なくなかった。

「最近、西の都で魔物が人を襲ってるらしいんだ。だから明日、マジソン達と行ってこようと思う」
 話の流れでサージェスが言った。毎日繰り返される他愛のない会話のひとつだ。
「またか。最近はやたらと多いな。人と人の戦争が無くなった瞬間に魔物の動きが活発になるとは、皮肉だな」
「本当になあ。それもこれも姫様に平和に暮らしていただくためだから、全力で頑張るけどな」
 ころんとペンを置いて、サージェスがどっかりと勝手知ったるポトムリのベッドに腰掛ける。
「ポトムリ、こっち来いよ」
 ベッドの方へと手招かれるのは、妙に身体が強張るものだ。別に生娘な訳ではないし、己も男である。怖気づくのもおかしいと心ではわかっていても、こればかりはどうしようもない。
 それでもそんな様を決してサージェスに悟られぬようにポトムリは彼の隣に腰を下ろした。成人男性二人の重力に耐えるようにできていないベッドは悲鳴を上げた。
 サージェスの腕がポトムリの腰へと回り、腿と腿がくっつけられる。ぐっと近づいた距離に胸が高鳴るのはどうしようもなかった。
「……ポトムリ」
「っ……」
 甘く低く囁かれて、唇に優しく口付けられる。
 騎士団長の一件があったとき以来、サージェスとは恐らく、恋人と呼ぶべき関係になっていた。と言ってもポトムリから返事をしたことはない。愛を囁くのは全てサージェスのほうで、キスや抱きしめてくるのもサージェスから。ポトムリは常に受け身で、ただ拒否することもなく受け入れていた。
 サージェスに言わせれば「拒否しないことがポトムリにとっての最大限の愛情表現」らしく、お前は何を知っているのだと思わずにいられない。だがサージェスがポトムリのことをよく理解しているのも事実で、ポトムリに決して無理強いはさせなかったし、ポトムリも強く拒否するつもりがなかった。その反応こそが、ポトムリがサージェスを好いているという何より証拠になっていた。
「……ふ、……っ」
 サージェスの分厚い舌がポトムリの口腔を犯す。唾液がぬるく顎を濡らす。
 サージェスの手がポトムリの腿を這い回るのがくすぐったい。やめろという意味でそれを掴むと、指を絡めて強く握られた。
「ん、……ぅ、っ」
 そのまま、熱くてごつごつとした手がポトムリの指の股をなぞる。付け根を指先で撫でられたかと思えば手のひらごと揉まれる。手のひらのマッサージを受けているような気分だ。キスの気持ち良さと手の愛撫で全てがどうでもよくなってくる。
 は、と舌を離してサージェスはポトムリの唇を舐めた。大型動物が愛情表現に顔を舐めてくるようでくすぐったい。
「なあ、ポトムリ。一回だけでいいからさ、聞かせてくれないか」
 顔中にキスを散らしながらサージェスが言葉を投げてくる。繋がれた手は今だにポトムリの手のひらを愛撫していて気持ちいい。何を、と聞き返すと、薄い瞳の色彩がポトムリを射抜いた。
「俺を好きだ、って。ポトムリの言葉で聞いてみたいんだ」
「ば……、バカなことを。女でも無いのだから、」
「それでも聞いてみたい。頼むよ、ポトムリ。俺が死ぬ前に」
 サージェスは、決して死ぬということを安易に口に出す男ではなかった。常に生きて勝利することを強く信じて疑わない。その男が、死ぬ前に聞きたい、という言葉を発するのはとても珍しく、そして印象的だった。
「縁起でもないことを言うな。死ぬなんて、そんなつもりもないくせに……」
「すぐに死ぬつもりはないさ。寿命を全うして死ぬかもしれない。でもそうであったとしても、その前に一度はお前の言葉が聞きたいんだ」
 サージェスが掴んだポトムリの指先に口付ける。ひくり、と指先が動いた。射抜いたまま離れないサージェスの瞳は、ポトムリの身体を芯から火照らせる。
「ならば……、お前が死ぬ、その瞬間に言ってやる。そのときまでは死んでも言わん」
「……ポトムリ、それってスゲエ愛の告白だぜ。死ぬまで愛してるって言ってるようなもんだ」
「勝手に自惚れていろ」
 サージェスが幸せそうに微笑んだので、逃げるように視線を外した。頬が熱いのは気のせいだと思い込んだ。



 翌日は、よく晴れていた。ポトムリは久しぶりにカトラと二人で王宮の庭を散歩していた。
 何事もなく平和に過ぎていくかのように思える日常。しかしこの日を境に、全ては変わってしまった。
「――カトラ様! 大変です!」
 常に冷静沈着であるバンバロスが、カトラの御前であるにも関わらず声を荒げて駆けてきた。それだけで、すぐに緊急事態だと察する。
「サージェスが! サージェスが……仲間殺しの罪で捕えられました!」
「なんですって!?」
 その報せはにわかには信じがたいものだった。バンバロスも額に汗を浮かべ、己の発している言葉が信じられないという表情をしていた。
 カトラはバンバロスの言葉に息を飲み、すぐに反論する。
「サージェスが仲間を手にかけるはずありません!」
「は、はい。もちろん本人も否定していますが……」
 サージェスがそんな男ではないというのは、その場の誰もが知っていた。それならば考えられる原因はひとつだけだった。
「……サージェスは罠にはめられたのかもしれません」
 ぽつり、とポトムリが零す。
「恐らく犯人は我らが倒した国の残党たち……。西の都には集落があったはずです」
 その者たちによってサージェスはあらぬ罪をかけられた。そう考えるのが自然であり、そして最も納得がいく。
 ポトムリの言葉に、カトラはそれならば、と声を荒げた。
「では! 私がサージェスを無罪にするよう議会で訴えます!」
「……恐れながら、カトラ様にはまだ議会での最終決定権はございません。この状況では厳しいかと……」
「そんな……!」
 自分でも嫌になるほど現実的な発言しかできない。だが理想だけでは物事は解決しないのだ。誰もが理解しているサージェスの無罪を証明できる仲間は、すでに息絶えていた。


 騎士団員六名で出発したはずが、戻ってきたのはたった一名だけであった。
 城門にて対面したサージェスは己にかけられた無実の罪に対してではなく、ただひたすらに仲間を失ってしまったこと、守ってやれなかったことを悔いていた。
「……すまない、みんな。すまない、バンバロス」
 共に出ていたマジソンの亡骸を胸に抱いて、サージェスは何度も詫びの言葉を呟く。
 血色の良かった肌の色が真っ白に失われ、常に好奇に満ちていた瞳を瞼の裏に隠したマジソンは、かつての彼の姿とはかけ離れすぎていて、一目見ただけではマジソンだと気づかないほどだった。
 何度も多くの仲間の死を見てきた騎士団、特にバンバロスも、変わり果てた軍師の姿には放心し、言葉を失った。
「――弔いは――すぐには、できないだろう。まずは……、反逆の罪となった、サージェスを……」
 あまりのショックの大きさに、バンバロスの言葉も上手く回らない。冷静に指示を下そうとしては、マジソンの姿、そしてサージェスにかけられた罪を思い出し、失敗していた。
 バンバロスのその指示を聞いて、カトラは悲痛に首を振った。
「待ってください、サージェスは……!」
 しかしその言葉は途中で遮られる。他でもないサージェスによって。
「姫様、大丈夫です。……騎士団にある地下牢でいいよな。誰か、鍵を閉めにきてくれ」
 マジソンの冷たくなった手を最後にもう一度強く握って、サージェスは自ら、ふらふらと宿舎の方へと向かって行った。フールがその後を、恐らく牢の鍵をかけるためについていく。
 ポトムリも追いかけようとしたところで、顔面蒼白のカトラを置いては行けないと、その場に留まった。
「カトラ様――」
「絶対に……、絶対に、サージェスを守ります。守られてばかりの私でも、サージェスを……」
「カトラ様」
 触れることも憚られるほど儚い少女の肩を抱く。貫禄が付き、母なる存在にすら感じられるようになっていたこの少女は、こんなにも小さくて薄い肩をしていたのか。
 震える小さな身体をどうしてやることもできず、ポトムリはただ、重く沈む城門に立ち尽くした。


 仲間殺しの件はすぐに議題にかけられ、そして異例の早さで判決が下された。
 惑星追放。カトラの必死の訴えかけの結果、死刑を免れたことは唯一の救いだった。

 ぽとり、と落ちる水の音が響く地下牢に足を踏み入れて、ポトムリはサージェスに近づく。サージェスは自ら進んで入った牢屋の中で、宙を向いていた。
 足音でポトムリの存在に気づいたサージェスが目線を上げ、軽く手を上げた。平和が訪れたはずの地下牢にはサージェス以外に人はおらず、暗く冷えていた。
「サージェス……」
 どう話しかけたらよいのか分からず言いよどむ。サージェスは地下牢の入口をちらりと見て、見張りはどうした、と言外に問いかけてきた。
「しばらく二人にしてほしいと、外してもらうように頼んだ。見張りも騎士団員だ。お前のことを疑っているわけではないし、すぐに許してくれた」
 ポトムリが答えると、そうか、とサージェスは返した。
「惑星追放だってよ。聞いたか」
「ああ。カトラ様が力を尽くしてくださった。斬首のある死刑ではないだけ良かったが……」
「そうだな。生きていられるだけマシだ」
 軽い口ぶりのサージェスに、ポトムリは自然と拳を握りしめる。
「お前は……、お前は、カトラ様のお近くにいられなくなることが悲しくはないのか」
 食いしばった歯の隙間から絞り出すような声に、サージェスがポトムリ、と名を呼ぶ。らしくもなく、抑えていた感情があふれ出てくる。突然いろいろなことが起こりすぎて、頭が追いつかない。
 鉄格子越しに向かい合い視線を絡ませる。サージェスは薄く笑っていた。
「そりゃあ悲しいさ。姫様やポトムリ達と一緒に過ごしたこの数年間は、俺にとって全てだった。それが無くなるんだ。悲しくないわけがない」
 ポトムリが鉄の柵の向こうへと手を伸ばす。それにサージェスも指を絡ませた。いつもは熱いサージェスの手のひらが、今はひどく冷えていた。
「絶対に戻って来い。お前が戻れるようなキエルにする。それまでは絶対に死ぬな。――私からの言葉も、その時まではお預けだ」
「それは、なんとしても戻って来ないとな。期待してるぜ、ポトムリ」
 いつもと変わらぬ笑顔のはずなのに、寂しそうに見えるのは錯覚ではない。格子越しに握った手をゆっくりと離す。
「そろそろ戻らねばならない。追放は明日の朝だな。見送る」
「ああ。おやすみ、ポトムリ」
 触れ合えるのはこれが最後かもしれない。それでもいつまでも名残を惜しんではいられない。ポトムリは踵を返して、恋人に別れを告げた。


 翌朝、サージェスの処刑は行われた。
 しかしキエルにとっての「惑星追放」という処刑は、事実上「死刑」だった。宇宙船を作る技術が完全ではないキエルの試作品に乗せられて、宇宙の方向へと打ち上げられる。上手く行けば星から脱出できて惑星追放となるのだが、上手く行ったことは過去に数回も無かった。
 カトラが悲痛な表情でサージェスの後ろ姿を見送る。フールとグーザーのすすり泣く声が止まらない。
「それじゃあ」
 カトラに深く頭を下げて、サージェスは背中を向けた。未来のことは誰にも分からない。本当にこれが最後の別れになるかもしれない。
 それでもカトラはサージェスの背中を見つめて、声には出さずに小さく呟いた。
 ――うしあたま。
 どうしてこのタイミングでカトラがその単語を思い出したのか、その時のポトムリには分からなかった。



 サージェスのいない日常が始まった。
 騎士団長には再びバンバロスが就任し、元騎士団長と天才軍師を欠いた騎士団も何とか協力しあってやっているようだった。

 サージェスがいなくなったことで一番変わったのはカトラだった。一言で言えば、無理をしているように感じられる。サージェスのいた頃は多く笑っていたのに、それもほとんど無くなってしまった。
 王宮の庭からあまり出ることのなかった彼女が自ら城下を回ると言い出したのもサージェスがいなくなった後だった。
「カトラ様。今日も出られるのですか」
「はい。私はもっと民の声を聞かねばなりません。サージェスがあんなことになったのも、全ては民が私に対し不満を持っていたからなのですから……」
 バンバロスとフールに護衛してもらいながら城門に向かっていたカトラとたまたま会って話をする。彼女は微笑んではいるが、その顔には疲れが滲んでいた。
「しかしカトラ様、あまりご無理は――」
 瞬間、突如騒がしい声が城門から響いてきた。静かな王宮では聞いたことのない、地響きを伴った音だ。その場にさっと緊張が走る。
「大変です!」
 フォウがカトラの元へ駆け寄り、さっと地に膝を付く。
「何者かがこの王宮に攻め込んできました!」
「なんだと!?」
 いち早く声を上げたのはバンバロスだった。カトラは返事も忘れて音の方向へと駆けて行く。その後をポトムリも追うと、ほどなくして騒ぎの中心にたどり着く。
 そこに広がっていた光景は、にわかには信じがたいものだった。
 長い戦争の中でも、この王宮の内部まで敵兵の侵入を許したことはない。それが今、多数の敵兵によって埋め尽くされている。全員が剣を持ちカトラに攻撃的な瞳を向ける。
「俺たちの国を滅ぼした恨み! 晴らしてやる!」
「王女を殺せ! 俺たちの国を取り戻せ!」
 明らかな殺意を持った数々の瞳に射抜かれたカトラは恐怖に怯えた。大切に守られて育てられた彼女は、そうした殺意には慣れていない。ポトムリの隣で少女の身体が震える。
「まさか……、俺たちが倒した国の残党たちか」
「まずい! カトラ様を守れ!」
 バンバロスとフールがすぐさま剣を抜き敵兵の中へ飛び込んで行く。
「カトラ様! 王宮へお入りください! ここは我々が!」
「し、しかし……」
 フォウの言葉にカトラは蒼白の顔で首を振る。だが敵はもう間近まで迫ってきている。
 視界に入ってきた敵兵を引き止めるため剣を抜き、殺すために振り下ろされる敵の攻撃を受け止めたフォウが悲痛に叫ぶ。
「くぅっ! お早く!」
 ポトムリには戦う術がないが、カトラを早急に逃がさねばならないとフォウの作ってくれた逃げ道へと向かおうとした。しかし敵兵は一人だけではない。別の方向からやってきた敵兵がすぐにその道を塞ぐ。
「王女の首はもらった! 覚悟!」
 王女を殺すことにためらいもない剣が日の光を反射する。ポトムリはカトラを守るように立とうとした。だが、
「……サージェーースッ!」
 カトラの叫びと共に影が現れ、剣を一閃する音が響く。すぐには何が起こったか分からない。だが次の瞬間、敵兵のいたはずの場所に立っていたのはサージェスだった。
「サ……サージェス!?」
 信じられない、という声がカトラから上がる。誰もが信じられなかった。だがサージェスはカトラの呼びかけに笑う。
「言っただろ? 姫様がピンチな時は必ず駆けつけるって」
「ええ! ええ……!」
 カトラがここまで安心した表情を見せたのはいつぶりだろうか。大きな瞳をサージェスでいっぱいにして頷く。
 サージェスはカトラの無事を確かめた後、再び剣を握りしめた。敵兵の群れを見つめ、その方向へと足を踏み出す。
「ポトムリ! ここは俺に任せろ!」
「馬鹿な! 一人でどうするつもりだ!」
「こうするのさ!」
 大股で駆け出したサージェスは敵兵の海へと飛び込んだ。天に剣先を翳し、大きな吠え声を上げる。
「きけーっ! 愚かな兵どもよ! 俺たちはまだ殺し合うのか!?」
 王宮中に響き渡るような声に、辺りは一斉に静まった。剣がぶつかる音も恨みを吐き捨てる叫びも、一切全てが消えた。
 そしてその場の全ての視線が、ただ一人の男に向けられる。サージェスは、まるで世界全ての人間に語りかけるように声を張り上げた。
「王女は戦争のない世界がつくられることを望まれていた! そのために戦わねばならないことに疑問をもたれていた! 戦いに勝利した日も喜んでいるところなど見たことがなかった!」
「ひとつ聞くが! お前たちがこの戦いに挑めるのはどうしてだ!? なぜここまで立ち直れたのだ!? お前たちが隠れていた集落に食べ物が運ばれていたからではないのか!?」
「全ては王女の慈悲によるものだ……。俺は思う! あの王女にならこの国を……いや、この星を預けてもいいと!」
 サージェス、とポトムリの横でカトラが呟く。サージェスの語ったことは全て事実だった。心優しきカトラのそうした行動を知る者は王宮でも一握りだ。そうした行いを無暗に言いふらしたりしないことこそ、カトラの素晴らしさだった。
 サージェスは続ける。
「お前たちの決断はこの俺の身体が受けよう! もし王女に刃向うというのならこの俺を斬り捨てて前に進むがいい!」
 信じるもののために命を捨てられる男は気高かった。敵の真ん中で「俺を殺せ」と言い放ったサージェスにどよめきが走る。敵兵は戸惑い、剣先を彷徨わせた。
「な、なんだこの男は……。死を恐れていないのか?」
「いや……、こいつは王女のためならば命など惜しくないと思っているのだ。それほどに忠義に厚い男なのだ」
「あの王女にそこまでの価値があるというのか……?」
「わからぬ。だが、この男が王女を信じるように俺たちもまた、この男を信じてもいいのかもしれない……」
 ざわめきが広がっていく。揺らぎないサージェスの瞳に未来を見た男たちは、憎しみと恨みに染まっていた表情を変化させた。
「これが惑星キエルの騎士団長。千人斬りのサージェス。大きな男だ」
 そしてどこからともなく、サージェス、と名を呼ぶ声が上がり始める。それはやがて、
「サージェス! サージェス!」
 王宮を轟かせる、大きな声援に変わっていた。
「な、なんだ……?」
「あいつの言葉が、敵の心を動かしたのか……」
「サージェス……」
 全てを高台から見届けていたポトムリとフォウ、カトラは、目の前で起こった一連の出来事を信じられないという表情で見合わせた。
 サージェスの言葉によって、本物の平和は取り戻されたのだ。サージェスが惑星キエルの英雄になった瞬間だった。
 止まないサージェスコールを背に、剣を鞘におさめたサージェスら騎士団がカトラの元へ戻ってくる。だがあと数歩でカトラの元へ辿りつくという瞬間、男の身体は地に崩れ落ちた。
「ぐっ……!」
「サージェス!?」
 どさりと倒れこんだサージェスの脇腹から、どくどくと血液が溢れ出す。尋常ではない速さで石畳に広がる赤い鮮血にすぐさま傷の深さを察する。
「まさか、先ほどカトラ様を守ったとき、すでに傷を……!?」
 傷口を確かめるためポトムリはサージェスの身体に触れた。医者ではなくとも一刻も早くなんとかしなければならない傷だということは一目瞭然だった。
「サージェス!」
 カトラの悲痛な叫びが響く。その声にサージェスの瞳は一瞬薄く開かれ、すぐにまた閉じられた。



 ただちにサージェスは王宮の医務室に運ばれたが、医者の努力ではどうしようもないほどにサージェスの傷は深かった。
 そして、サージェスはそれから再び瞼を開けることなく。そのまま静かに息を引き取った。


 風が優しく吹く庭で、カトラと共に歩く。本物の平和を取り戻したキエルは、しかし平和な日常で最も必要としていた男がいなかった。
「サージェスは、本当にウシ頭でした」
 ぽつりと、カトラは零す。ポトムリはそのカトラを優しく見つめた。
「ウシ頭の英雄の話。あれは間違いなくサージェスのお話でした」
「惑星追放、後に世界を救って英雄になる。カトラ様がサージェスをウシ頭と慕ったのは間違いなかったということですね」
 カトラは静かに頷いた。瞳を天に向けて、手を胸の前で組む。
「サージェスが与えてくれたこのキエルの平和を、私は守ってみせます。見ていてください、サージェス――」
 カトラの頬を一筋の涙が辿った。少女のその姿にポトムリの目頭も熱くなる。
 サージェスの死。それはキエルの英雄の死であり、伝説の騎士団長の死であり、そしてポトムリにとっては何よりも、長年の友、唯一の恋人の死だった。
 王の死ですら流れることの無かった涙が勝手に溢れ出る。カトラの前で醜態を晒してはならないと、思わず顔を手で覆う。しかしカトラはポトムリの手を引くと跪かせ、ポトムリの頭を抱き寄せた。
「カトラ様――」
「大丈夫です、ポトムリ。誰も見ていません。貴方はもっと涙を流す権利があります」
「……っ」
 カトラの包み込むような優しさを受けて、ポトムリはもう抑えることを諦めた。泣くなんて何年ぶりだろうか。熱い涙が頬を濡らしていく。
 ――結局、言えなかった。死ぬまでは言わないと言った言葉。そんな女々しいことに拘る人間ではなかったはずだが、悔いは強く残ってしまった。
「私は……、私は、サージェスに会ったら謝らねばなりません。約束を違えました。つまらぬ意地で奴を悲しませました」
 主君に対して何を言っているのだとどこか冷静な自分が叫ぶ。しかし協会で懺悔をするような語りは止まらなかった。
「それなのにあの男はもういません。謝ることも伝えることも許されない。私は……」
「ポトムリ」
 カトラの腕がポトムリを強く抱きしめる。
「また、必ずどこかで会えます。絶対に、どこかで」
「しかし!」
 目の前で息を引き取った男にまた会えるわけがない。そう反論しようとする。だがカトラはただ温かく微笑みながら、ポトムリに頷いた。
「……会えます。必ず。そう信じましょう」
 カトラがそう言うと、なんだか真実であるように感じられる。
 カトラの胸に抱かれながら、ポトムリはただ涙を流した。


 そうして惑星キエルの英雄は、キエルの歴史に名を残した。
 ――しかしその歴史すらも抹消させる、惑星をも飲み込む巨大ブラックホールが現れたのは、それからたった数ヶ月後のことであった。



2014.04.06


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