※2013年春に出したコピー本の再録です。
決して南沢は同性愛者だったわけではない。それだけは強く言えた。十五年にも満たない短い人生だが、男を好きになったことは他に一度も無かったし、普通に女子と恋愛もした。ただたまたま今好きな相手が男である、それだけなのだ。
「俺、お前のことが好きだ」
そう告げた瞬間の三国の顔は、わずかに目を見開いて驚いた表情だった。そりゃそうだ。男に告白されるなんてそうそうあることではないし、ましてや相手はずっと同じクラス、同じ部活で共に過ごしてきた仲間なのだ。
「ええと……、罰ゲームか何か、か?」
「なんでそうなるんだよ」
予想していたとはいえその返しには肩を落とすしかない。南沢はまっすぐ三国を見上げて、この気持ちが湾曲せず三国に伝わることを信じて口を開いた。
「恋愛的な意味で、お前のことが好きなんだ。付き合ってくれないか」
そういえばこうやって自分から恋の告白したのはこれが初めてだ。思わず語尾が震えてしまった。自分から告白するというのはこんなにも緊張するものなのか。
暫しの沈黙のあと、ようやく三国が言葉を発した。
「よ、よくわからないが……無理だ」
だって俺達は友達だろ。そう言った三国の顔がぼやけて見えた。
南沢が三国に告白したのはもちろん軽い気持ちではない。中学に入って内申書のために入ったサッカー部、そこにクラスで見かけたような気がする、やけにお人よしそうな男がいた。そのお人よしオーラを振りまきながら南沢にも話しかけてきた、それが三国との初めての出会いだった。
「お前、FW志望なんだってな。さっきのシュートすごかったよ!」
最初は、なんだコイツ、程度の印象だった。誰とでも分け隔てなく付き合える、良い生徒のお手本みたいな、生徒手帳に載ってるようなヤツ。きっと仲良くなることは今後ないだろう。どうせ内申書のためのサッカーなのだ、部活のときは適当に話を合わせて過ごすかと思っていた。
だがいつの間にか同じファーストランクに入り込んで、車田や天城という、これまた仲良くなれそうもないと思っていた奴も交えて仲良くなっていった。常に一緒にいても飽きない存在になっていたのだ。
そして、いつの間にか三国を好きになっていた。きっかけはいつだったか覚えていない。ただ、気づけば三国を見ていたり、自分たち以外の部員を家に呼ぶところを見ると嫉妬していたり。名前を呼ばれただけで胸が高鳴ったときは重症だなと思った。
そんな日々が一年ほど続いて、これが一時の気の迷いではないと確信した。気のせいかもしれないと思って好きでもない女子と付き合ってみたりしたが、やっぱり視線は三国の方を向いていた。女子とキスをしても三国の唇の感触を想像してしまう始末。
もうこれはダメだと思った。どうしようもなく惚れている。
だから、南沢篤志、一大決心をして告白に至った。実る可能性はほぼゼロ、というよりも確実にゼロだということは分かっていた。だって相手はあの三国。生徒手帳の三国だ。彼の辞書には同性交遊なんて単語はどこにも載っていないだろう。
そして結果、やはり玉砕だったのだ。
「うわ、南沢さん、何スかその顔」
「別に何もない」
相当顔に出ていたのだろうか。部室で倉間が茶化すように南沢に声をかけてきた。不満を露わにして倉間にそう返す。彼は南沢に起こったらしい不幸を喜んでニヤニヤしていた。
「何かヤなことがあったんでしょー。そこらへんでコケたとか、フられたとか」
……この後輩は、どうでもいいところで勘がいい。しかし南沢は決して図星と覚られぬよう顔に出さず、つんとそっぽを向いた。
「お前には関係ないだろ。早く練習に行けよチビ」
「あっ、ひでえ! 今日は南沢さんと組む日だから、先に行ってもしょうがねえんだって」
「へー、そうか」
「もう、南沢さん早くしてくださいよ! 三国さんに言いつけますよ」
「…………」
三国。その名前が出た瞬間南沢の動きがぴたりと止まった。それをもちろん倉間は怪訝に思った。
「……? どうしたんスか」
「何でもない。今行く」
「よっしゃ!」
三国と顔を合わせるのは困る。のろのろ動かしていた手を速めててきぱきとユニフォームに着替え、倉間に急かされるがままグラウンドへと出た。
告白してから一日が経っていた。昨日の放課後、帰り際に想いを伝えてから三国とは目も合わせていなかった。恐ろしくて恥ずかしくて、三国の方を見られないのだ。
男相手に告白してしまったこと。三国は男に告白されたからといってバカにするような男ではないが――そもそもそんな男ならば南沢は好きになどなっていない――普通に考えれば、男が男を好きになるなんて、軽蔑されてもおかしくないのだ。そんな、軽蔑というあって然るべき感情が自分に向けられて当然であることが恐ろしい。
そして何より気恥ずかしい。元よりプライドの高い南沢だ。告白して振られたなんて、これ以上ない面汚しのはずである。しかも相手は男、男なのだ。ずんと胸の奥に沈む錘に南沢は重苦しい息を吐いた。
だが三国はというと昨日とは変わっていないようで、何度か挨拶までしてきた。そんなものに構っていられる余裕もなくてそれに応えることすらできなかったのだが、その時の三国はどんな顔をしていたのだろう。分からない。
いや、少なくとも、今の南沢よりはましな顔をしているはずだ。
「南沢! シュートをうってこい!」
フィールドの端から声がする。三国だ。必殺技でもなんでも、全力でボールを受け止めてやるという意味。
「あれっ、南沢さん? どこに」
「ちょっと倉間と外走ってくるわ」
「えーっ!? 嫌ですよ南沢さん!」
もちろん、当たり前だが、そんな三国の誘いに乗ってやれるわけがない。倉間の首根っこを掴んで南沢はグラウンドの外へ出た。三国の声は聞こえなかったふりをして。逃げてばかりだ。我ながら情けない。
しかし許してほしい。三国を見られないのだから仕方がないだろう。南沢の告白に対して絶縁されるほど引かれていないらしいことはありがたいのだが、好きだと告白してフラれたその相手と、その翌日にいつもと同じように話などできない。どうにかできるならしている。
「ってー! もー、今日の南沢さん俺に当たりすぎ!」
「ちょうどいい高さに頭があるんだからしょうがない」
また昨日の告白から振られる一連の流れを思い出してしまった。倉間の頭をぱしんと叩いて、南沢は自分の顔の赤さをごまかした。
なんとか部活を乗り切って、逃げるようにして家に帰り、南沢は必要以上に疲れた体をベッドに投げ出した。そして布団に肺の全ての空気を出す。母親が干したのだろうか、太陽の匂いがした。
「キツすぎ……」
南沢はつとめて冷静に、今日一日の三国の様子を思い出していた。三国はどういうつもりで自分に話しかけてくるのだろう。
昨日告白してきた男に、気持ち悪いとも何とも思っていないらしいことはいい。嫌われていないらしいことはとてもありがたい。だが、多少はこう、普段と違うような意識した顔をしてほしいのだ。それが何の意味も持たないことであってもだ。この状態は、まるで昨日の南沢の告白は完全になかったことにされているも同然だ。
ふとベッドに投げたカバンの中でバイブの音がするのに気付いて、南沢は顔を上げた。手を伸ばしてカバンを引っ張り、中を漁る。携帯を開くとそれはメール受信の通知で、今一番見たくない名前が書いてあった。
『今、電話いいか?』
三国太一という名の下にあった本文はそれだけ。律儀な三国はよく電話の前に一言メールで聞いてきた。
良いわけがあるものか。南沢はすぐに親指を動かした。
「『親に呼ばれてるから、無理』」
ボタンひとつで送信。するとすぐにメールは返ってきた。
『じゃああとで時間ができたら電話くれ』
「『今日は忙しい』」
『俺を避けてるだろ?』
「当たり前だろ!!」
思わず南沢は携帯に向かって怒鳴った。振られたばかりで傷心の男に、振った本人が優しく話しかけないでほしい。
南沢はこのままでは埒が明かないと、携帯のアドレス帳を開いた。さの行、佐藤の羅列の下にある名前を探して発信ボタンを押す。数コールもしないうちに相手は出た。
『南沢?』
「お前は昨日のこと、忘れたのか」
もしもしの言葉も言わず南沢がそういうと、三国は電話の向こうで閉口した。
「俺は昨日フられたショックをまだ引きずってるんだよ。そんな時にお前に話しかけられても反応のしようが無いって」
『そ、そうなのか……? すまん』
苛ついた口調に三国は恐縮した声を出した。やはり三国はそんなことなどまったく思っていなかったようで、南沢ははあと溜息をついた。
「あのなあ、三国。俺は一応、昨日の告白はかなりの決意を持ってしてるんだ。お前とその、恋人らしいことをしたいって思ったから、男同士だけど告白した。昨日も言ったけど、罰ゲームでもない」
『ああ、それは分かった』
罰ゲームではない、という南沢の強い言葉に三国は頷いた。そこだけはどうしても分かってもらいたいところだった。
「正直、フられてもお前が好きなわけ。だからまだまだすごくショックなわけ」
『あ、ああ……』
三国の返事ははっきりしない。南沢は眉間に皺を増やして、三国に聞いた。
「……お前、俺とキスするところ、想像してみろ」
手なぐさみに傍らにあるカバンのファスナーを弄りながら問いかける。何聞いてんだ俺、と思いながらも、ここまで言ったのだからついでだった。
『ええっ!? み、南沢と……!?』
「そう。俺とキスしてるところ。場所はそうだな、親のいない家で」
『む――無理だ!』
三国の返事は予想通りだったので、もうさほどのショックは受けなかった。
「無理ってどういう意味だよ。想像自体ができないってことか? それとも男相手が気持ち悪くて無理?」
『そんな――そんなことを想像できない。お前がどうとか、男がどうとかじゃなくて……』
「じゃあ女子相手にはどうなんだよ」
つい苛立ちが声に表れてしまうのは許してほしい。ファスナーを開けたり閉めたりしているうちに、三国がようやく口を開いた。
『……お、俺にはまだ早い』
――ぷっ、と口から空気が漏れた。一瞬にしてさっきまでの苛立ちがすっかり立ち消え、南沢は笑いが腹の底から湧くのを感じた。
「ッはは、何だよ、それ……!」
『わ、笑うなよ! キスとか、俺には遠くて』
「じゃ、今度俺としような。キス」
冗談九割、本気が一割。大丈夫、もう振られているのだから無理なことはしない。無謀な望みも持たない。南沢の言葉に三国は小さく咳払いをした。
『もう、俺をからかうのはやめてくれ』
「好きなんだよ。許せ」
軽く言って、南沢は笑った。ここまで悩み、意識していたことが馬鹿のようだった。それほどまでに、三国の言葉で気持ちは晴れていた。
「俺、やっぱりお前が好きだ。フられても、今更友達としての感情だけにしろなんて言われても無理。もう近づかないほうがいいか?」
『いや……でも、俺は応えられないぞ……?』
「いいんだよ。お前はそのままでいてくれ。でも俺がお前を好きってこと、忘れないでくれ」
我ながら卑怯だと思う。三国が決して自分を拒否しないことを知っている上で言って、己の欲を満たしている。今後この恋は発展することはないだろう。永遠に片思い。それでも三国の隣にいられるならいいと思った。
「そろそろ飯の時間だ。また明日、学校で」
『ああ。……南沢、ごめ』
「謝るくらいなら、今度ロールキャベツでもごちそうしてくれ。じゃ」
三国の言葉を待たず、南沢は通話終了ボタンを押した。それなりに長かった片思いに、ひとつの整理がついた気がした。
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