※ウォーズ時間軸での神谷コウスケ・風摩キリトの職業ネタバレです。
呼び出されたのは唐突のように見えて、きっかけも確かにあった。
「……久しぶりだね。元気だったかい」
「この通り、くたばってはいないよ。君は元気なのは、まあ……、知ってるけど」
軽く右手を上げた彼に近づいて、風摩キリトはそう応える。そこにいたのは、最後に会った数年前から成長して完全に大人になった、モニター越しに見慣れた男だった。
神谷コウスケ。彼は現在、プロのLBXプレイヤーとして活動している。
幼い頃からひたすらに美しさを追い求めていたコウスケは、その美意識から他のプロプレイヤーから一線を画し、常に一定のファンを持っていた。テレビの向こうでスポットライトを浴び、彼自身の会社の製品でもある愛機を使いこなす姿は、今のLBX界で知らない者はいない。
その、今や「テレビの向こうの存在」になってしまったコウスケによって数年ぶりに呼びだされたのは、恐らく、テレビにも大々的に放送されていた一つの試合がきっかけだった。
プロプレイヤーである神谷コウスケの操作する愛機ルシファーが、何の肩書きも持たぬ一人の少年の操作するカスタム機に負けた。
試合自体はとても白熱したものだった。ルシファーはその神々しさと悪魔的な強さをもって少年を翻弄し見る者を楽しませ、名もなき少年もまた子供らしい柔軟な発想と必死の攻防により場を沸かせていた。
一進一退の試合はテレビ的にも高評価であったようで、生中継の放送が終わった後も、何度か特集で組まれていた。光を纏うルシファーの翼が力尽きてその輝きを失い、円盤が地に落ちる場面など、もう何度見たか知れない。
だが、風摩キリトには、そのシーンよりももっと強く心を揺さぶられるものがあった。それは対戦相手の少年の操作していた機体であった。
ベースとなっていたのは竜源から発売されたリュウビ。白を基調にしたカラーリング、そしてその名前から「歴女に人気」とよく言われたLBX。
それが少年独自のカスタマイズによってオリオンの翼が生え、赤く塗装されていた。そしてその武器には剣。すると全く似て非なれど、とても見覚えのあるようなLBXに見えた。
自然と記憶が四年前に飛ぶ。ミゼル事変の前だったか、後だったか。記憶は最早、定かではない。
当時、気紛れに弄っていたCCMの、シーカーボードで見かけた一人の男の言葉。それに軽い気持ちで乗ったのは、自分自身もまだ若かったという証拠だった。
「今日はたまたま休みだったのかい? タイニーオービットは新製品の開発を急ぐばかりに休みが無いと聞くが」
「どういう噂だ、それは。確かに開発部ではそういう状況もあるらしいが、俺はそれなりに休みを貰ってるよ」
しばらくぶりの再会に、道中にて近況を話す。この数年間、キリトはコウスケをテレビや雑誌越しに見ることが多かったため、何だか奇妙な感覚を味わった。
待ち合わせの駅からコウスケの車に乗ると、彼の運転で窓の外の風景は後ろへと流れて行く。これもまた、まだ互いに運転免許など持っていなかった数年前を考えると、とても奇妙な感覚だ。
「それならいいんだが。キミは昔からあまり健康的では無さそうだからね。過労で死ぬのは、美しくない」
「別に、美しくなくていいんだけどね……」
昔と全く変わらぬ言いまわしには思わず頬も緩む。キリトは風景をぼんやり眺める振りをしながら、光を反射している窓によって車内を盗み見た。
車を運転するコウスケは、最後に会った数年前よりも髪を短く切ったが、ポニーテールは変わらぬまま高い位置に結われている。しかし癖毛のような跳ねた後ろ髪がすっきりして、大人な風格を感じさせた。それに加えて、ハンドルを握る指や首元についたアクセサリーも、どこか幼さの残っていた以前とは異なる印象を与えている。
キリト自身も最後に会った時よりは体格も顔つきも大人になったと思っているが、所詮は一つの会社で働く男と、常に大衆の前でパフォーマンスをしている男とでは、その成長も違う。
重なるようで重ならない面影を窓越しの横顔に見ながら、キリトはそれより、と言葉を発した。
「そろそろ話してくれないかな。わざわざご多忙のプロプレイヤーが、ただのテストプレイヤーを呼び出したワケをさ」
ぴくり、とハンドルを握った指が反応する。だがコウスケは横目でキリトを一瞥して、首を振った。
「……着いたら話すよ。急ぐ話でもないしね」
「そうか」
その返事はキリトの予想通りだった。
キリトはコウスケの横顔から視線を外し、今度こそ窓の外の風景に目をやって、暫くの間車が止まる時を待った。
車は、数十分後にようやく停止した。高級住宅街の真ん中で、いかにも金持ちの住んでいそうなマンションの駐車場だった。
「ここは?」
聞かずとも分かったが、聞かずにはいられない。コウスケがシートベルトを外しながら答える。
「ボクの家さ。会社に招待しても良かったんだけどね。警備が煩くてかなわないから」
「やっぱり随分な金を持ってるんだねえ」
からかうように言ったキリトの言葉は無視された。コウスケに倣って車を降り、すぐそばのエレベーターに乗せられて最上階まで昇って行く。エレベーターから見下ろす家々がどんどん小さくなっていくのが、このマンションの高さを窺わせる。
そして、やがて一つの扉に通された。このだだっ広い高層マンションの最上階の一角こそが、LBX制作会社社長息子にしてプロのLBXプレイヤーとして活動する神谷コウスケの住まう場所であった。
日本で生活するようになってすっかり習慣となってしまった玄関で靴を脱ぐという行為もこの家では必要ないらしい。ゆっくりと体重分だけ沈む絨毯の敷かれた部屋に足を踏み入れてため息をついた。
「どこかの高級ホテルみたいだ。こんなところに一人で住んでるのか?」
「ふん。高級ホテルみたい、なんて表現が出てくるあたり、キミも随分日本の暮らしに慣れたみたいじゃないか。ホテルではなく、A国らしいと言ってくれたまえ」
どうやらそこにはこだわりがあったらしい。少し不服そうに唇を尖らせたコウスケに、ああ、そういえばそうかもしれないな、と抜けた返事をした。
さて、わざわざそのこだわりの自宅まで招待してくれたところで、一体自分に何の用事があると言うのか。キリト自身に声がかけられたそもそものきっかけに大方の予想はついていても目的までは読めない。
コウスケの後ろをついて広い部屋の中央に置かれたテーブルとその脇のソファまで進んだところで、そのテーブルの上に置かれたLBXに気付いた。
「……やっぱりコレか。俺を呼んだのは」
「おや、予想がついていたとはね。ということは、この間のボクのバトルを見ていてくれたのかな」
ソファに腰を落ち着けて、コウスケがテーブルの上のそれを手に取る。キリトの手元を離れて数年経つが、今でも塗装は丁寧に施され、メンテナンスも隅々まで行きとどいているようだった。
リュウビホウオウ。かつてキリトが気紛れに制作を担った、コウスケの愛機のひとつだ。
コウスケの手から受け取り、久しぶりにそれに触れる。四年前、持てる技術全てをこれに注いだ。コウスケの無茶な欲求にも応え、それを己の中で消化し、更なる高みを目指そうと努力した、キリトにとっても思い出深いLBXだ。
記憶の中にいたリュウビホウオウよりもずっしりと重量のあるそれを隅々まで眺め、ヘッドパーツを撫でる。久しぶりに見ても、これが自信作であることは変わらなかった。
「あの試合のリュウビカスタムは、どことなくコイツを彷彿とさせた。だから君のことが気になってはいたのさ。本当に声がかかるとは思っていなかったけどね」
少年のLBXとリュウビホウオウの共通点など、ただ赤いリュウビに翼が生えて剣を装備していたという、たったそれだけだ。アーマーフレームのカスタマイズはLBXの醍醐味であるし、塗装のオリジナルカラーもLBXの基本中の基本、剣という武器はオーソドックスで万人向け。別に特殊なことなどひとつもない。
それでもリュウビホウオウを思い出したのはコウスケもキリトも同じだった。それが何だかこそばゆい。
キリトは手中のそれをコウスケに返して、それで、と続けた。
「俺に何をしてほしいんだ? コイツのメンテナンスは、必要なさそうだけど」
「メンテナンスは足りている。更なるカスタマイズは機会があればお願いしたいところだが、今日の目的はそうではないんだ」
コウスケはリュウビホウオウを優しくテーブルに戻し、キリトに向き直った。赤と紫の瞳に真正面から見つめられた瞬間、ふと、胸の奥に眠った記憶が蘇る。
そういえば、昔もこんな風に、テーブルの上にリュウビホウオウを置いて――。
「これを完成させた日のことを、忘れたとは言わせない」
「――――、……何の、ことかな」
唐突に、仕舞いこんでいた記憶の蓋が開けられ、その隙間からどんどん溢れ出て来る。忘れようと努力して、ようやく忘れられたはずの記憶だ。
しかしコウスケはキリトの瞳から全く視線を逸らさず、キリトが記憶の蓋を閉めるのを阻止した。
「とぼけるのはやめてくれ。もう、思い出に整理を付けたいんだ」
「……、一体何の話……」
コウスケがキリトの細い手首を掴む。突然身体が触れてキリトは思わず手を引こうとした。だがその力は思いの外強く、逃げられない。
勝手に溢れ出て来る記憶がキリトを蝕んでいく。忘れることができていたはずのそれは一度蓋が開いてしまえばもう抑えることができなかった。
四年前のあの日、リュウビホウオウが完成した。
制作は長かったようであっという間だった。テストプレイヤーとして働く合間にLBXを弄るのはとても楽しかった。
初めのうち、他人を見下したような態度を取りとっつきにくいような印象を受けたコウスケは、慣れてみると己の考えや意志が全くブレておらず、そこがむしろ清々しく扱いやすい。苦手意識を取り払えば、究極のLBXを制作するのに、この上なく良いパートナーであった。
その最後の調整が終わったのは長い夜が明けた早朝だった。あと少し、あと少し、と手を加えていくうちに朝になっていた、というのが正しい。
キリトは手に馴染んだ工具をコト、と静かに置く。完成したばかりのLBXが、キリトの手の上で生を受け凛と立ってた。
ずっとキリトの後ろであれやこれやと口を出していたコウスケは、長びく最終調整に待ちくたびれて眠ってしまっていた。キリトには、常に腹を出しているファッションのままソファで眠りこけた男に布団をかけてやる優しさはない。
眠るのは勝手だが、彼のために作ってやったLBXが完成したのだ。起こして報告するのが筋だろうと、リュウビホウオウを手にしたキリトは彼の眠るソファへと移動した。
金の睫毛に縁取られた瞼が赤と紫の瞳を覆い隠している。深い眠りについている彼は、普段高慢な態度を取っている姿とはかけ離れ、幼く見えた。
キリトは当時、コウスケに惹かれていた。
しかし、愛した女性を失った悲しみを強く背負っていた頃だ。その感情が恋愛などという色めいたものだと自覚するのがたまらなく彼女に対して申し訳なく、そして恐ろしかった。だから極力考えないように心がけ、究極のLBXのことだけを考えていた。それでもやはり認めたくない感情はキリトの胸中に渦巻いていた。
だがこのLBXが完成した今、もうこの男と会うことはほとんどないだろう。後々のメンテナンスくらいならば頼まれればいくらでも請け負うが、所詮その程度の交流に終わるはずだ。
掴んだままのLBXをソファの前のテーブルに置いて、ソファで眠る彼の横に膝をつく。
すうすうと気持ち良く寝息を立てている男の顔をまじまじと見つめる。キリト自身、女性が好きなごく普通の男であるつもりだったが、よりにもよって、どうしてこんなにも雄らしい男に惹かれてしまったのだろうか。
まだほんの少し丸みを残した頬に手を添えると、コウスケの瞼がぴくりと動いた。しかし、それだけでは目を覚まさない。
最初で最後だ。もう二度と他の人間を愛さないと決めていた自分に、少しの温もりをくれた男へ感謝を。
唇と唇が触れ合う。一瞬だった。すぐに離して決別する。そうして今度こそコウスケを起こしてやろうと肩に手をやったところで、金髪の隙間から赤と紫が薄く覗いた。
「…………っ」
「――かざま、……きり……と……?」
ぼんやりと寝ぼけた声がコウスケから上がる。二つの色の違う瞳にぼんやりと見上げられる。まさか、起きていたのか。キスをしたのがバレたのか。途端に心臓が嫌な音を立てた。
だが、キリトが焦っているうちに、赤と紫は再び瞼の奥に消えた。少し目を覚ましただけで、再び睡魔に負けてしまったらしい。助かった、とキリトは頭を抑える。
己の気持ちに整理をつけるために行った行為だ。コウスケにどうこうしてほしいと思ったわけでは決してない。だから絶対にバレてほしくなかった。そっとしておいて欲しかった。もうこれきり、この感情は忘れてしまうのだから。
結局コウスケを起こすことは失念してしまい、その数時間後に起きたコウスケに「どうして完成した瞬間に起こさなかったんだ」と怒られた。しかしコウスケが言っていたのはそれだけで、キスの件については、夢でも見たのだと思ってくれたのだろうと胸を撫でおろしていた。
――それなのに、とキリトは唇を噛む。自分ですら忘れられていたことを、今更、どうして。
「思い出せたかい? ボクもつい最近までほとんど忘れていた。だけどあのバトルの後にリュウビホウオウを改めて見ていて、不意に思い出したんだ。夢にしては妙にリアルだった記憶を」
「さっきから……、何の話か、よく分からないね。もう帰らせてもらってもいいかな」
「嘘が下手だな、風摩キリト。やはりボクの記憶は勘違いなんかじゃなかった。夢でも何でもなかったんだ」
コウスケの手がキリトの腕を痛いほど強く掴んでいる。キリトは己の唇が不敵に笑おうとして失敗しているのを自覚した。心臓が不規則に鼓動を刻んでいる。
「あの時、ボクは都合のいい夢を見たと思っていた。起きて、何でもない顔をしてLBXが完成したと言ってきたキミから、そういう雰囲気が無かったからね。そしてLBXが完成したことの喜びが大きくて、その出来事は二の次になってしまっていたんだ」
コウスケは一瞬たりともキリトから視線を逸らさず真っすぐに言葉をぶつけてきた。キリトは眉を顰め話を聞くことしかできない。
「だけど、あの日からほとんど会うことが無くなって、やはりあれは本当に夢だったんだろうかと改めて考えるようになった。その答えは出ないまま、やがて月日が経って、今に至ったわけだが」
「俺には何の話か全く分からないね……。夢と現実を混同して人を巻き込むのはやめてくれないかな」
「風摩キリト。ボク達は、もう良い大人だ」
コウスケが諭すように静かに言葉を発した。まだ十代だったあの頃からは考えられない物言いに、思わず胸が高鳴る。
「十代のように友情と恋愛感情を混同する年齢でもない。そして十代の感情を思い出と笑い話にできる年齢だろう。キミが頑なに過去の感情を認めないのは、ボクにとって見れば、」
する、とコウスケの手がキリトの腕から離れたかと思えば、今度は指と指の間に絡められた。きゅっと握り込まれて、そのキリトの手の甲に頬を寄せられる。
「キミが忘れていただけで、今でもまだボクに対して恋慕を抱いていると、そう受け取ることも可能なんだよ」
「はっ……、流石に、馬鹿馬鹿しい」
キリトは思わずふっと笑った。不機嫌に眉を顰めるのも、不敵に唇を吊り上げるのも止めた。常に自信に満ち溢れた彼らしい言葉には完敗だった。
「……今更、蒸し返されたくなかっただけさ。もうケリをつけたつもりだったんだ。俺だってもう忘れていたことだから」
「勝手にキスをして勝手にケリをつけられた側にもなってくれ。こっちは何にも解決していない」
「確かにそうだね」
コウスケの言葉にも一理ある。頭を下げて、キリトはようやく自然に唇を緩められた。
「俺は確かに君に惹かれていた。好きだったさ。でも、君にどうこうしてもらいたいと思っていたわけじゃない。だから一度だけ拝借して、それで終わりにしたつもりだったんだ」
「ボクの気持ちは必要なかったと?」
「そういうことだね。事実、君は自分自身が一番の男だ。他人に興味なんて無かっただろう?」
キリトが冗談めかして言うと、コウスケは握ったままの指に少し力を加えた。
「……そんなことはない。ボクだってキミに惹かれていた」
思わぬ返答に、キリトは目を丸くする。
「へえ……? それは、とんでもなく意外だね。ここしばらくで一番の驚きだ」
「茶化すのはやめたまえよ」
コウスケは眉間に皺を寄せて、頬に寄せていたキリトの手の甲に唇を合わせた。ぞっ、とキリトの右腕に鳥肌が立つ。男の行動に対する悪寒か。
「……何だその顔は。キミだってあの時ボクにキスをしただろう。あれがボクにとっての初めてのキスだったんだぞ」
「それは悪かった、って……、だからって今わざわざ俺の手なんかにキスすることはないだろう」
「ある。改めて言う。風摩キリト」
再び、二色の瞳がキリトを見つめた。ここまで来て、この後に来る言葉の予想がつかないほど、キリトも馬鹿ではなかった。
「忘れようと努力して、実際にリュウビホウオウから離れてルシファーを再び操作することで忘れることにも成功していたが、やはりボクはキミが好きだ。この子を再び手に取って思い出してしまった。思い出したら止められなくなってしまった」
コウスケが一度瞳を伏せてLBXを見やり、そして再び、熱の篭った視線をキリトへと向ける。
「愛している。キミの気持ちは、この年月で変わってしまったかな」
そうして黙ったので、キリトは次に発言しなくてはならないのは自分なのだと悟った。逡巡して、リュウビホウオウに視線を移す。雄々しく、そして力強く、光を受けて輝く赤い機体に、ようやく言葉を見つけていく。
「俺は……、今でもこのLBXのことを、自信作のひとつだと思っているさ」
「LBXのことじゃない。ボクのことを」
「勿論。これを完成させるのに必要不可欠だった君のことも、まあ……、良いパートナーだったと思っているよ」
ぼかして答えたキリトに、コウスケは歯がゆそうな表情を浮かべる。彼が欲していたのはもっと直接的な言葉であるとキリトも十分に気付いている。しかしだからと言ってすぐにその言葉を出せるほど若くない。好きだとか好きじゃないとか、何事も若気の至りだと笑い飛ばせる段階は過ぎてしまったのだ。
だから、キリトがはっきりとした返答をした瞬間に、この関係は本物になってしまう。何年も前の感情を今も抱いているかどうかなんて、今すぐ分かるわけがない。それなのにコウスケは返答を急かしてくる。
キリトが黙ったまま数秒経って、分かったよ、とコウスケが言った。
「それならば、今ここであの時を再現しよう。それで嫌な気になれば、ボクも諦める。しかしそうでなければ……」
「腹を括れって言うのか?」
「その通りさ。良い考えだろう」
そう言って疑わないコウスケから距離を取るため、キリトは身と腕を引く。が、変わらずその手はがっちりと掴まれており、嫌な汗が背中を伝った。
生娘ではないのだ。今更初めてでもないキスのひとつやふたつでどうこう騒ぐタイプでもない。男とするキスが嫌だと言うのなら、まず四年前の己自身を殺さねばならない。
キスをした先に待っているものが恐ろしいのだ。逃げられない場所に追いやられているような気がする。
「風摩キリト。目を瞑れ」
「や、やめッ……、……ッ」
制止も聞かず、コウスケが身を乗り出して一気に距離を詰めた。指を絡めた手はそのままきゅっと握られていて、反対の手で薄い顎をなぞられる。ぞわぞわと全身に鳥肌が立った。
コウスケの顔が近づいてくるので、思わずキリトは目を瞑る。とん、と唇に何かが触れた。
喪失感、――とは違う。そもそも、この感触自体が。
キリトが恐る恐る瞼を開けると、コウスケの顔は間近にあった。けれど、キスができるほどの距離ではない。それでは、今この唇に触れているのは一体何だ。
「……そんなに大人になった今ボクと関係を繋げるのがイヤなのなら結構さ。この気持ちは諦めるよ」
コウスケが寂しそうにゆっくりとキリトの唇に宛てた指を離す。キスをされたわけではなかったのだと理解した。が、コウスケのその行動はむしろキリトを逆上させた。
「ふ、ざ、けるな。馬鹿にするな」
「しかし……」
「勝手に逃げ場を失くしておいて、勝手に身を引くなよ。神谷」
離された指を再び絡め、キリトはコウスケの腕を引いた。先程とは立場が逆だ。コウスケは引かれるがままキリトの方へと身体を倒した。その顎に手をかけ、ぐっと固定させる。
「っは、風摩、」
「上等じゃないか。そんなに堕ちたいのなら付き合ってやるよ。後悔しないことだな」
「んんッ……!」
キリトは、今度こそコウスケの唇にそれを合わせた。コウスケの手が退けるように動く。だがそれも離させまいと、子供騙しのようなものではなく深く重ね合わせる。
コウスケにされた時は全身に走った鳥肌が、全く現れなかった。下唇を唇で食み、薄く開いたところへと舌先を潜り込ませ、何年もしていないようなキスを施す。
しばらくそうしてようやく唇を離すと、あんなにもキリトに対して真摯に迫ってきたコウスケの勢いは鳴りを潜め、キリトの目の前で赤く萎れていた。
「どうしてこうなるんだ。いや、嬉しいことは、嬉しいが、」
「嬉しいんならそれでいいだろう。満足だろう? 好きな相手にキスされて」
「そういうことじゃない……」
どうやら免疫がないせいで参ってしまったらしい。そういえば確かに四年前のキスが初めてだったと言っていた。彼の性格を考えると、それ以来決まった相手が出来たこともなかったのだろう。お眼鏡に適う者が現れなかったということだ。
自らキスをしようと提案していたくせに、これでは拍子抜けだ。むしろ罪悪感が募る。
キリトはため息をついて、コウスケから手を離した。その手をぽんと金髪のてっぺんにやって、まあ、と言葉をかける。
「君の言った通りに、俺も腹を括ってやるよ。……久しぶりだな。よろしく頼むよ、神谷コウスケ」
「う……、風摩キリト」
結局、直接的な愛の囁きも、何も応えていない。だがこの言葉とキスで十分に伝わったようだった。
コウスケはふっと、悔しさに顰めていた表情の力を抜き、テレビの向こうでは絶対に見せない顔でキリトの言葉に頷いた。
引かれ合った二人の間に存在し繋ぎ合わせた赤いLBXだけが、彼らの全てを知っていた。
2013.12.31
ダン戦 top