最近、ジンには悩みがあった。人生相談ならずっと一緒にいる執事にするのだが、何でも打ち明けてきた彼にも相談しにくい内容だった。
また、だ。ジンは眠ろうとした矢先に訪れた感覚に眉を顰めた。
ここ一週間ほど、眠ろうとすると必ず身体が、特に腹の下のあたりがむず痒くなる。ムラムラする、という言葉が合うのだろうか。これまでそんな感覚を知らなかったジンは、この身体を持て余していた。
この春中学一年生になったばかりのジンは、未だ精通を知らなかった。知識としては保健体育の教科書で知っている。大人になるというのは大変なのだなとぼんやり思った程度だが。
ジンの周りには、下世話で低俗な話をする友達がいなかった。そういう相手を友達にするなと敬愛していた祖父に言われたというのもある。そもそもそのような相手とジンとは合わなかったので、初めから相手にするつもりもなかった。
だがそれがここにきて仇となった。ジンには一応、これが「ムラムラする」ということなのは分かった。13年間、LBXのことだけ、玩具のことだけを考えて生きてきた。それなのに性的な変化が突然身に起こっても、頭がおいつかない。
相談する相手――と、周りにいる友人たちの顔を思い浮かべる。そういうことにちゃんと知識を持ってそうな年上といえば、身近な年齢なら郷田や仙道。大人なら宇崎。だが少し、ジンには遠い。こんな相談をするのは気が引ける。
アミは女子であるから論外として、カズヤはそれなりに知識を持ってそうだ。だが少し自分に対して苦手意識を持たれているような気がするので、突然こんな相談を持ちかけては彼に引かれてしまうだろうか。
あとは、バン。彼の顔を頭に浮かべた瞬間、腹の底に溜まる血が増した気がした。
これも、ここ数日で常のことだった。腹の底に溜まるムラムラを忘れようとLBXのことを考えても、バンのことを思い浮かべただけでまた腹に血が溜まる。このムラムラとする感覚は、良い友達のことを考えると増すものなのだろうか。そんなことは考えにくい。しかしそうとなるとこのムラムラはどういう意味なのだ。
ジンは全くお手上げだと、強く目を瞑って眠る体勢に入った。これは一度眠ってしまいさえすれば治るのだ。
そして悩める少年は、今日もなんとか眠りについた。
「ジン! 今日、俺の家に寄ってかない? 軽くLBXの性能テストがしたいんだ」
教室でバンに声をかけられ、ジンは振り向いた。授業が終わり、帰り支度をしている頃だった。
昨夜はあれからなんとか眠りについたものの、なんとなく腹の底はすっきりしないままで、しかしまったくそれを覚られぬ表情で授業に挑んでいた。ポーカーフェイスを意識しているつもりはないが、自信はある。その証拠にバンもいつもと変わらぬ表情でジンに声をかけてきた。
「いいのかい? お邪魔じゃなければ」
「うん! カズもアミも今日は用事があるって言っててさ。ジンが空いてて良かった」
バンはそう言って、それじゃあ行こう、と手を差し出す。バンはすでに帰り支度を終えていて、今にも教室から駆けださんばかりだ。
そんなバンに小さく笑い、ジンも手早く支度を済ませた。ジンがバンの家に行くのは数度目だ。だがバンの家に訪問するときは必ず、ひどく落ち込んでいたバンを励ますために一度訪れたときを除いて、常にカズヤとアミがいた。つまり、ジンが一人でバンの家に遊びに行くのは、これが初めてのことだ。
ふたたび、忘れようと努力していた腹の底の何かが頭を擡げた。だがジンは気にすることなく、というよりも気にしないように努めて、バンの半歩後ろから彼の家へと向かった。
「ただいまー! 母さん、ジンを連れてきたよー、……って、いないや」
「お出かけかい?」
バンが勢いよくドアを開けたが、その声に返事する者はいなかった。玄関できっちり靴を揃えてそっと家に上がる。普通の友達の家に遊びに行くときは、いつだって必ず、少し緊張するものだ。
「そうなのかな……、あ、なんか書いてある」
リビングのテーブルに乗っていた紙を拾い上げて、バンがそれを読み上げた。『近所の人と井戸端会議してきます。夕飯前には戻るから、宿題していなさい』。井戸端会議とは、また、主婦らしい。
「げー、母さんがこういうのに行くときってめちゃくちゃ長いんだよ……」
「楽しそうでいいじゃないか」
ジンがくすりと笑うと、バンははあと大きなため息をついた。だが母親の楽しみを邪魔するつもりもない。気を取り直したバンは、ジンを二階に誘導した。
「俺の部屋でちょっと待ってて。ジュース入れてくる」
「分かったよ、バンくん」
久しぶりのバンの部屋は、相変わらずLBX一色だ。彼らしいLBXへの愛に溢れている。ジンが普段生活している部屋よりもずっとずっと狭いなりにも、とても落ち着く部屋だった。
ぱたん、と扉が閉まって、ふたたびジンの身体にむずむずしたものが這った。バンの部屋にいること。それがこの身体に何か影響を及ぼしているのだろうか。訳が分からない。
「お待たせ、ジン。飲み物持ってきたよ」
「ああ、わざわざありがとう。いただくよ」
バンが部屋に戻ってきたことで、ジンは頭を切り替えることができた。バンの家に来たのは彼のLBX性能テストに付き合うためだ。身体のことを相談するためではない。
――それでも、時間が余れば、相談してみてもいいだろうか……。自分が思っているよりもずっと切羽詰っている様子の身体に、ジンは一瞬そう考えて、頭を振った。
バンの愛機の性能はじゅうぶんだった。最近コアパーツを交換したことで不安があったようだが、全くそれを感じさせない。むしろ以前のそれの弱点も克服されていて、より精度も増したカスタマイズがされていた。
「本気で戦えば僕もバンくんに勝てるか怪しいな。負けないように僕もカスタマイズしておこう」
「オッケー。今度またバトルしようぜ!」
一通り動作の確認をして、熱くなったCCMをぱたんと閉じる。Dキューブもないただの部屋で行う動作確認には限度があったので、今日CCMを使ってできるのはここまでだった。
ぽっかりと空いた時間。バンの母親は何時ごろ帰ってくるのだろうか。世間の夕飯の時間とは何時だろう。
「バンくん、お母様はいつごろ戻ってくるんだい?」
「んー、だいたい6時とかかなあ。その日によるけど。ジンは家には何時に帰ればいい?」
「僕は連絡すればいつでも。バンくんの迷惑にならない時間には帰るよ」
「それじゃあ母さんが帰ってくるまでいてくれよ。一人じゃ寂しいしさ」
バンもCCMを机に置いて、ぐっと伸びをした。ずっとLBXを弄っていると、どうしても指先だけに意識を集中してしまい身体が固まる。
時刻は5時前だった。授業が終わってそのままバンの家でLBXを弄っていたため、二時間近くそうしていたことになる。休憩も悪くないと、ジンも倣ってバンのCCMの隣に自分のそれを置いた。
ふと、会話も途切れる。会話のない空間もバンとなら心地いい。だが今のジンにとって、この空間は毒だった。
身体が勝手に熱を持ち始める。すぐそばにいるバンを意識すればするほど、どくどくと心臓が血液を全身に送る。気を紛らわせていたLBXもCCMも、仕舞ってしまった。
「バンくん、あのさ……」
考えるよりも先に言葉がジンの口をついて出た。この部屋にひとつしかない椅子に座ったバンはその言葉にジンを見た。
「なに? ジン」
「……突然こんなことを言うのもだけど。引かないで聞いてくれるかい?」
心臓がしきりにどくどくと脈打っている。それに伴うようにして下腹のムラムラも膨らんでくる。どうしようもないくらいむずむずして、ジンは膝を擦り合わせながらおずおずと聞いた。
バンはそんなジンの様子を怪訝に思ったのか、少しだけ眉を顰めて、しかしすぐに強く頷いた。
「もちろん。何かあった?」
「いや、大したことじゃないんだ。だけど……」
そこまで言って、ジンは口を噤んだ。どう言えばいいのだろう。最近身体がおかしい。それもバンのことを考えると特に。だがこのバンは、果たして、ジンのその言葉を理解できるだろうか。
「バ、バンくん……、こっちに来てくれるか」
「? わかった」
ジンはバンを、今自分が座っているベッドに誘った。すぐにバンはジンの隣に座る。ベッドが二人分の体重にぎしりと音を立てた。
「何度も聞いてすまない、が……、引かないでくれ」
「引かないよ。どうしたの、ジン」
バンの瞳がジンを映す。曇りのない瞳はジンを心から心配していた。
ベッドに無造作に置かれているバンの手を取り、ジンは指を絡めた。ジンの名を呼び怪訝そうな顔をしているバンをよそに、その指先に唇を近づける。少年らしい爪がジンの乾いた唇に触れた。
「ジ、ジン……?」
「バンくんは、」
小さく唇をつけたバンの手を、おそるおそる自らの下腹部に誘導させた。バンはされるがまま目を丸くしている。とん、とバンの指先が自らの下腹部に触れた瞬間、自分で誘導したにも関わらず、ジンはふ、と息を漏らした。
「ここが、むずむずしたことはあるかい……?」
「えっ……!? ジン!?」
バンは己の右手が触れている場所とジンの顔とを何度も見、声を上げた。信じられないという表情だ。それはそうだろう。そこは同じ男のものがある場所だ。そして、それはバンの知らない形に膨らんでいる。
「な、何これっ」
「やはりバンくんはまだ経験がないのか……? ここが、こうなるものを」
「わ、わ……」
ジンの手がバンの手の上からそこを摩る。ズボンの形が歪んでいる。ジンがこうなった自分の身体に触れたのはこれが初めてだった。いつも怖くて触れることはできなかったが、バンの手なら触れて欲しいと思った。
バンは目を白黒させながらも、知らないことに興味が隠せない様子だった。ジンの、普段とは違う色気を含んだ表情や息遣いに感化されたというのもある。ジンに誘導され触れたそこを、ズボンの上から確かめるようにして撫でた。
「何、これ……? ジン、」
「っふ、は……、僕も、初めて……で、」
バンの手は決して性器を愛撫しているわけではない。愛撫の方法も知らないのだから当たり前だ。だがジンはバンの手がズボン越しにでもそこに触れている、それだけで熱が上がってしまうのだった。
「バンくん……っ、バンくん……」
「どうなってるの……? これ……」
バンの手がジンのズボンを探る。初めて感じた性欲と、性的なことに関して初めて抱いた興味。それを隠しきれない表情でバンはジンのズボンのホックとファスナーを下げた。
同じ男だからよく知っている下着を掻き分けて、その奥。穢れを知らないバンの指先が、ジンの性器を引きずり出す。
「うわあ……、すごいよジン、熱い」
「ッあ、バンくんっ……、触って、」
「えっ?」
たまらずジンはバンの手を取った。自慰の方法も知らない。だが気持ちよくなるように、思うまま、ジンはバンの手を動かした。そのさまはとても稚拙で、子供らしかった。
「あ、あっ、バンくん、きもちいいっ……」
「ジン、気持ちいいの……? こうしたらどう?」
「んッ、は、ああ……っ」
バンも、ジンの反応を伺いながら手を動かした。大人になりきっていない性器を、ひたすらに擦り、撫で、擽る。バンの手の動きひとつひとつにジンは身悶え、吐息を漏らした。
「あっ、あ、バンくんっ、バンくんっ……!」
「ジン、」
「っひ、あ、あ……!」
か細い悲鳴を上げて、ジンは身体を大きく跳ねさせた。どろりとした液体がバンの手を汚したことで、ジンはようやく己の身体が完全に変わったことを理解した。
喪失感と、昂揚感。大きく乱れた息を肩で落ち着かせながら、ジンはしばらくそれを味わっていた。
「ジン……? 大丈夫?」
「大丈夫だ……、だけど、バンくんの手を汚してしまった」
「これ、なんなの?」
バンが己の右手をジンの前に翳して聞いた。べっとりと付着した濁った液体。ジンも初めて見た。これが大人になった証拠だ。
「精液、っていうやつだよ、バンくん。君も、まだなんだね」
「まだ、って何が? これ、俺もなるの?」
保健の授業を聞いていなかったのだろうか。その上長く父親のいない家庭のバンには余計に遠い話なのだろう。
「その話はいずれちゃんとしてあげよう。……突然、悪かったね」
「ううん。ジンが何だかスッキリしてるみたいで、良かった」
ずっと溜まっていた性欲を吐きだしたのだ。そりゃあスッキリもするだろう。バンは何も知らない表情でにっこり笑った。
だがこれでは何も解決していないと、ジンはここで気づくべきだった。一時の性欲が解消されただけであって、バンを思うと身体が火照ることの解決はなされていないのだ。
ジンが再びその悩みに頭を抱えることになるのは、そう遠くない未来だった。
2013.05.27
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