これの続きです。


 翌日も翌々日も三国は学校に来なかった。
 車田が言うには風邪らしい。あいつが何日も休むような風邪を引くなんて珍しい、と言っていた。

 原因として思い当たるのはどう考えてもあの日の雨だ。
 あの後南沢が下駄箱を見に行くと本当に三国の靴はなくて、それは三国が大雨の中を走って帰って行ったことを表していた。

「南沢、部活行くド」
「悪い。俺今日は用事あるんだ」
「そうなのか? 部活休むなんてお前も珍しいな」

 放課後、天城と車田に誘われた言葉を自然にそう返した自分に驚いた。南沢に特に用事はなかった。
 しかし天城と車田は南沢の言葉を疑いもせずに信じて、じゃあなと手を振ってサッカー棟へと向かって行った。
 一人教室に残されて、雨の日のことを思い出す。唇にはまだ三国とのキスの感触が残っていた。

「……見舞いでも行ってやるか」

 なんとなくそう思いついて、南沢は鞄を手に、よく晴れた外へと歩き出した。



 途中のコンビニでスポーツ飲料を買い、三国の家へと向かう。三年生でたまに押しかける三国の家への道のりはよく覚えていた。
 見分けのつかない団地の、その一つの棟に上がってひとつの扉の前に立つ。
 そういえば三国と顔を合わせるのはあの時以来になるんだなと、さほど考えずにインターホンを押した。

『……はい』

 しばらく待つとようやく、インターホン越しにも病人の声と分かるものが返ってきた。三国だ。

「俺だけど。見舞いに来てやったぞ」
『南沢!?』

 この家のインターホンにはカメラなどついていない。だが声で南沢を判別して、三国は驚いたようだった。

「お前が出たってことはおばさんいないんだろ。看病してやるよ」
『いい。うつすと悪いし、帰ってくれ』
「人の好意はありがたく受け取っとくもんだ」
『風邪をうつさないようにするのも好意だろ』

 インターホン越しにやりとりする。その流れから、三国が南沢に会いたがっていないことが窺えた。だがそうと分かれば南沢も頑なで、意地でも三国の看病をしてやるんだと口調に力が入った。

「いいから開けろよ。開けねえとここでお前の悪口叫ぶぞ」
『どうぞご自由に』
「分かった。おばさんの悪口にする」
『入れ』

 矛先が三国の母に向いた瞬間、三国は手のひらを返したように南沢を受け入れた。ほどなくしてガチャリと扉の鍵が開く音がする。
 無遠慮に扉を開けると、寝巻のままそこに立つ三国がいた。

「よう。具合はどうだ?」
「熱が少し。それよりお前、部活は……」
「サボった。お前のためにサボってやったんだぞ」

 いつもの癖で茶でも淹れてやらねばと台所へ行こうとする三国を制して、南沢が三国の部屋へと入った。
 布団は今しがた三国が寝ていた形に乱れている。そこに半ば無理矢理三国を寝かせて、布団をかけてやった。

「飲み物持ってきてやったぞ。薄めるか」
「いや、いい」

 汗をかいたペットボトルを手渡す。三国の枕元には同じようにペットボトルの飲み物があったが、ぬるくなって不味そうだった。

「こっち、冷蔵庫に入れてきてやるよ。洗面器も変えてきてやる」

 氷のなくなった洗面器ときっと先程まで三国の額にあったタオルを掴み、南沢は勝手に三国の家を歩きまわった。
 タオルを軽く冷水で洗って絞り、洗面器には氷と水を張る。冷蔵庫にペットボトルを戻したついでにバニラアイスを見つけたので、勝手に食器棚からスプーンをひとつ取って三国の部屋に戻った。

「……南沢がこんなことをしてくれるなんて、何だか不気味だな」
「どういう意味だよ」

 アイスを手渡して、三国のベッドの脇まで椅子を引っ張り出して座った。
 よくよく三国の顔色を見てみると確かに具合は悪そうで、インターホン越しでは気丈に振舞っていたようだが熱でしんどそうだった。

「今日、おばさんは仕事なのか?」
「ああ。大事な会議が夕方からあるらしくて、昼に出て行った」

 それでもなるべく息子の看病をしようと午前中の仕事を休んだのだろう。いい母親だ。

「ひとつ聞きたいんだけど」
「何だ」
「この間、大雨の中帰ったから風邪引いたのか?」

 ぶっ、と三国がアイスを吹きかけた。寸でのところでとどまり、ごくりと喉を鳴らす。
 熱のせいなのか何なのか、三国の頬がほんのり色づいていた。

「それ聞いてどうするんだよ……」
「だって、もしそうだったら俺のせいみたいで夢見が悪いだろ」
「勝手に帰ったのは俺なんだ、気にするなよ」

 そう言って三国はふいと顔を逸らした。三国の手の中のアイスのカップが少し歪んでいる。
 南沢は暫し黙って、ふと、それを指さした。

「アイス、一口くれよ」
「ダメだ。それこそ風邪がうつるだろ」
「いいから」

 あ、と口を開いて待ってみる。自分で食べるんじゃないのか。
 三国はそんな南沢を見て迷い、だがもうどうにでもなれとでも言うようにスプーンをアイスに刺した。
 溶けかけたアイスはスプーンを抵抗なく受け入れ、スプーンの上で小さく山になる。
 それを南沢の口に運び、ぱく、と唇が閉じたところでスプーンを引き抜く。溶けたバニラアイスが白く南沢の唇にかかる光景は、男のくせにと言いたくなるほど妖艶だった。

「ん」

 南沢の舌の上でアイスの甘い味が広がる。それを嚥下せず、南沢はベッドに座る三国のほうに身を乗り出した。
 そして左手にアイス、右手にスプーンを持ち両手が塞がっているのをいいことに、三国の唇に唇を合わせた。

「うん……ッ!!」

 突き飛ばしたくても突き飛ばせない。溶けかけたアイスのカップは手を離せば布団に大きな沁みを作ってしまう。
 南沢は三国の肩を掴み、合わせた唇を少し開いた。文句を言おうとした三国の唇の合間に舌を差し込むと三国は大人しくなった。
 もうただの甘ったるい液体になってしまったバニラが、とろりと二人の舌の上で絡み合う。
 唾液とバニラと、きっと風邪のウイルスが混ざっているそれを舌でくちゅりと合わせて、南沢と三国はそれを貪った。

「は……、何だよ、この間あれだけ消極的だったくせに、えらく積極的だな」

 唇を離して南沢が笑った。あの時感じただけでなく、やはりキスは気持ち良かった。
 ぺろりと唇を舐めるとバニラの味がする。きっと三国のもそうなのだろう、と興味本位で唇を舐めようとすると、今度こそ三国の片腕が南沢を制した。

「待て、もうやめろ……」
「何でだよ。気持ちイイだろ? 男同士、ノーカンだって」
「だからやめろ……!」

 語気を強めて三国が言った。その言葉には南沢も手を止め、眉根を寄せた。

「嫌なのか? 俺とキスするのが」
「……」

 問いかけても三国は答えない。それをYESと取って、南沢は体を離した。

「はっ。なら早く言っとけよ。2回もしちまった。まあ別に」
「ノーカン、なんだろ」
「ああ、そう……ッ、ん!」

 突然南沢の視界が揺らいで、唇に何かが当たった。焦点が合わないほど近くにあるのは三国の睫毛で、鼻先に触れる熱は紛れもなく三国の頬。
 キスをされている。
 やめろと言った矢先に三国からされて、南沢は訳が分からなかった。
 唇を食んで、舌先を潜り込まされて、訳も分からずそれに応える。着実に、確実に、上手くなっていた。

「……お前にとってこのキスは、俺なんかが相手じゃ1回分にもならないってことか」

 キスをやめて三国が南沢に問う。黒い瞳が真っすぐ見下ろしてくることに少しの恐怖すら感じた。
 南沢は質問の意図が分からず呆然と問い返した。

「何言ってんだよ、三国……」
「俺じゃ、お前の相手にはなれないんだな」

 瞬間、三国の瞳が揺れたのを南沢は見てしまった。少し寂しそうな目。
 その意味を敏感に感じ取り、南沢は戸惑いか喜びか、何かに心臓をぎゅっと掴まれた気がした。

「すまない。体調が悪いんだ、一眠りするから帰ってくれ」
「三国っ」
「見舞いに来てくれてありがとうな」

 無理矢理背中を押されて外に追いやられて、南沢はばたんと閉まった三国の家の扉を見つめることしかできなかった。


*****

2012.03.21

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