いつも気まずそうな顔をする女の先輩。鳩原さんへの印象はそんな感じだった。
 昼休みになると三階ーー3年生の教室があるーーの廊下には大抵の確率で、へらへら笑いながらもただならぬ空気を纏う犬飼先輩と鳩原さんがいたのだ。
 犬飼先輩と話しているときの彼女は、ずっと、もっとなにか別のものを気にしているような挙動だったと思う。自分の言葉が相手を不快にしていないだろうか、なにか間違ったことを言ってないだろうか。犬飼先輩と目を合わせようとしない鳩原さんの振る舞いに表れる自信の無さ、不安。それが痛いほどわかってしまう私は、見かけるたびになんとなく彼女を気にかけてしまっていた。
 そうして憐憫ともつかない視線を向けるだけだった私が、ある日、さまざまな偶然が重なった結果、一回だけ鳩原さんと会話したことがある。
 休み時間に課題のレポートを提出しに視聴覚準備室へ向かっていたこと、しかし一度も入ったことがないせいでどこにあるのかわからず迷っていたこと、迷っていた私の横を鳩原さんが通り過ぎたこと。その時の彼女は教室移動中だったのか、たまたま一人で行動していたのかはわからなかったけれど、レポートをさっさと提出してしまいたかった、そしてあの鳩原さんと言葉を交わしてみたいという下心で、考えるよりも先に声をかけたのだ。
「あの、すみません、いいですか」
「えっ。あ、はい」
「ええと、視聴覚準備室……って、こっちで合ってますか?視聴覚室の隣に無いらしいことは知ってるんですけど」
 ああ、と生ぬるい感嘆詞のあと、「それなら確か、一階のここの真下じゃなかったかな……。よかったら案内しますよ」と思ってもいなかった提案をされ、一瞬言葉に詰まってしまった記憶がある。
 鳩原さんはもともと一階に用があったようで、案内中も「普段使わないからどこにあるのかわかんなくなっちゃいますよね」「この学校、ただでさえ広いし」と面識のないはずの下級生の私に対しても、なぜか敬語でよく話を振ってくれた。
「犬飼くんの後輩の……みょうじさん?ですよね?」
「あ、そうです。ご存知だったんですか」
「ああ、よかった合ってて。うん、犬飼くんよくみょうじさんのこと喋るから」
「え!?え、なに言われてます?あの人なんか変な話してないですか!?」
「はは、や、大丈夫だよ。面白い後輩がいるんだーって、嬉しそうに話すから」
 やさしい人だった。初めて会った後輩の私にも気を遣ってくれたのは、年の違う人と話すことが多いらしいボーダーの人だからなのか、それとも鳩原さんだからなのか。どっちもあるように思えた。
 少し気が弱く口下手な彼女と話しているうちに、目的の場所に到着したようだった。
「もう大丈夫?」
「はい、ありがとうございます。あの、鳩原さん」
「?」
「犬飼先輩のこと、その……怖いですか?」
 え、と重ためな奥二重がぱち、と瞬く。まさかここで犬飼先輩の話題を出されるとは思っていなかったのだろう。少し言い淀んだあと、鳩原さんは困ったようにあははと苦笑いした。
「うーん、あたし本当に情けないからさ、正直ぜんぜん怖くないよーとは言えないけど……。
 それでも、人を撃つことに比べたらまだマシかな」
 息が止まってしまった。今度は私が言い淀む番だった。
 予想だにしていなかった、自分とはあまりにも無縁で考えてすらいなかった視点。世界。そうだ、ボーダーの人たちは、みんな戦っているのだ。守られる側の一般人の私は、そんなことにも気が回らず掛けてしまった『怖い』だなんて言葉を。
 その時の衝撃と眉の下がった鳩原さんの笑顔を、ずっと覚えている。鳩原さんがいなくなったと聞いたのは、その一ヶ月ほど後のことだった。

「鳩原さん、いい人だったから、好きでしたよ。私」
 犬飼先輩は鳩原さんについて何も話さなかった。そもそも思い返してみると、鳩原さんが行方不明になってしまう前だって、先輩のほうから私に鳩原さんの話題を振ってくることなど一度もなかったように思う。
 同じチームだったこの二人がどんな関係だったか、お互いがなにをどう感じていたか、そして鳩原さんの身になにが起こったかなんて私にはわからないけれど。
 彼女のことを覚えている人間がここにいるということは、どうしても言いたかったし、言わなければならないような気がした。
「結局アイツはなに考えてるかわかんなかったなあ」
 少しの沈黙の間に、先輩は返事をしないことを決めたらしかった。独白じみたそれの意味を私も深追いしないことに決めた。
「たぶん鳩原さんも先輩に同じこと思ってたと思いますよ」
「え〜そうかな?おれ、よく人に分かりやすいって言われるんだけど」
「先輩は顔や態度よりも、目に出るタイプですもんね」
「お?なに、みょうじちゃんまで荒船みたいなこと言っちゃって」
「私わかんないですからその人」
 あのとき、彼女に声をかけてよかった。視聴覚準備室まで案内してくれたやさしい彼女が無事であることを願って、あの気まずそうな表情と苦笑いを脳裏に焼きつけることができる私の安全は彼女に守られていたのだということを、決して忘れてはいけない。もし鳩原さんが帰ってきたら、私にも教えてくださいね、なんて言いたいけれど、今はまだやめておこう。

20181212
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