「…おや、みょうじくん」
 コンクリートをパタパタと打ちつける大雨を前に途方に暮れていると、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、硲さん、お疲れさまです!今から帰るんですか?」
「うむ。どうやら君も仕事終わりのようだが」
「あ〜、そうなんですけど…今朝天気予報観るの忘れちゃって。今日雨降るって知らなかったから、傘持ってないんですよね〜」
 あはは、と苦々しくへらへら笑ってみせる。いつ何時も正確無比、晴れている日でさえ常に折り畳み傘を持ち歩いていそうな硲さんに、不注意での失敗を曝すのはちょっと、いやだいぶ気が引けるのだ。こちとら凡人ですからね。
 しゃーない、なるべく屋根のある道通って濡れて帰るか…と意を決して「じゃ、お疲れさまです」また明日、と手に持っていたバッグを頭の上に掲げようとすると、硲さんが無言のままバッと傘を開いた。
「駅まで送っていこう」
「え」
「さぁ、行くぞ。入りたまえ」
「い、いやいやいや!大丈夫ですって、フツーに帰りますから」
「女性が体を冷やしてはいけない。第一、君は表舞台に立つアーティストなのだから、資本となる体を粗末に扱うのは私としては賛同しかねる」
「ていうか、まずくないですか?仮にもいちアイドルといちアーティストが相合い傘とか」
「そうだろうか?君も私も、容易に素顔が見られないよう変装をしている。それに、この傘は一般の物と比較して大きめのサイズだ。そうそう見破られることはないと思うが、いかがだろうか」
 いかがだろうか、と言われてしまった。それも至極真面目な顔で。ううん、理由と結論をこうも分かりやすく紐付けられてしまっては反論の余地もない。「…じゃあ、お邪魔します」申し訳なさと少しの照れとともに呟くと、うむ、と強めの返事が返ってきた。
「では行こうか」
 いざ一歩踏み出すと、思っていたよりも歩幅が違かったのとコンクリートの地面に水が溜まりがちだったのとで、「わ、」と硲さんのジャケットを掴んでしまった。
「す、すみません」
「いや、こちらこそすまない」
 そう言った硲さんの歩く速度がだんだんと緩まっていくのが分かってしまうのは、さっきジャケットを掴んだ手を仕舞うスペースすらないほど近い距離にいるからだ。
 どうしようか悩んだ結果、前に持ってきて自分の服の裾を軽く掴むことにした。
「赤坂見附駅までで構わないだろうか?」
「あ、はい。ありがとうございます、傘まで持ってもらっちゃって…」
「構わない。私のほうが背が高いのだから、当然だ」
 中にお邪魔させてもらっている身としては、わりと申し訳ない気持ちになる。
「私が硲さんより大きかったらなぁ」
「それは…、なかなか希少だな。確か346プロダクションに、類稀なる高身長の女性アイドルが所属していると聞くが」
「、きらりちゃん!?諸星きらりちゃんですよね、今ファッションモデル界総ナメの!!私の346の推しなんですよ、あの子ほんと〜に可愛くて!先週発売された月刊Kawaiiの表紙もきらりんだったんですけど、」
 ぱちり、とレンズの奥の双眸が瞬かれる。一呼吸置いて、「…ふむ」と興味深そうに眼鏡のブリッジを上げてみせた。
「みょうじくんはアイドルが好きなのか?」
「…アイドルがっていうよりも……どうなんだろ。でも、きらりちゃんのことは大好きですよ!これは自信を持って言えます」
「ふ、そうか。みょうじくんは勉強熱心だな。実にいい事だ」
「あ…ありがとうございます」
 ひー、ビックリした。突然推しの話題が出たから条件反射でテンション爆上がりしちゃったけど、引かれた感じではないっぽいから安心かな…。
「あ、でも、さっききらりちゃんのことだけ、みたいな言い方しちゃいましたけど」
「…?」
「私、315プロのみんなのことも大好きですよ!雑誌とかインタビューとかLIVEとか、ちゃっかり全部見てるし!だから今のところはきらりと、315プロのみんなのファンかな」
 もちろん硲さんのファンでもありますからね?とチラッと眼鏡を覗いてみたところ、思っていた以上にハトが豆鉄砲を食ったような表情をされたので居た堪れなくなりすぐにサッと視線を逸らしてしまった。ヤ、ヤバいヤバい、調子乗りすぎた。思わずいらんことまで言っちまったぜ、あっだめだ恥ずかしくなってきた
 隣を歩く彼の足がぴた、と止まる。「…みょうじくん、」と静かに名前を呼ぶその声からは、うまく感情が読み取れない。
「えっ?あ、ハイ」
「君もアーティストであるならば分かっているとは思うが、アイドルとして活動する我々にとって、ファンからの言葉は原動力そのものだ。それこそが私たちの糧となり、力となり、希望となる。
 …君のまっすぐな言葉、有難く受け止めさせてもらおう。感謝する」
 人の声が一番綺麗に聞こえるのは、雨の日の傘の中なんだっけ。
 芯の強い凛とした声が胸の奥へ沁み入るのを感じながら、ふとどこかで聞いたそんな話を思い出した。
「…硲さんって、意外と目キラキラしてるんですね」
「む。…キラキラしているとは、どのような様子だろうか?」
「なんていうんだろう…森の中でカブトムシを見つけた子供みたいな?…あっ、いい意味でですよ!?」
「……まさか、一回りも下の君に、子供のようだと評されるとは思わなかったな…」
「あああ違うんですって!そういうわけじゃ…、す、すみません…!」

20180818
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