ユグドラシルに神子が降臨してから十年という時間が過ぎた。
律にしてみれば、その十年は比喩などではなく本当にあっという間で、体感にして凡そ1年くらいにしか感じなかった。
それを言えば、魔王は時間の流れが魔族になり変わったからではないか、と答えた。
魔族は人間に比べると長寿で、種族によっては三千年も生きるという。
実際律の見目も実年齢より遥かに若く、まだ十代の少年のままだった。

この十年間、律はニヴルヘイム国内を転々と見てきた。
と言うのも、かつて起きた大災害の傷跡が大きく被災地へ訪問しに行く魔王に伴われてのことだった。
蛯原コウが元の世界に戻り、律が魔族になってから、悪夢とも呼べる天災もぴたりと止まった。
しかし、だからと言ってすぐに元通りになるはずもなく。
魔王は暫しの間、復興に力を注ぐことを国民に誓い、自らの足で各地を回った。
それには律も同行した。
ほとんど城から出たことがなかった為、最初は少しばかり怯えていたが、城下町とは違った独特の街並みに興味をそそられた。

まず初めに降り立ったフィヨルムは大きな産業都市だった。
震災により建物はところどころ崩壊しているものの、街の美しさは損なわれていなかった。
中心地には貿易を司る雲にまで届きそうなくらい背の高い建物があり、そこに向かうよう四方八方からレールが伸びていた。
そしてレールの先々には様々な店が多く立ち並んでいた。
今は復興に向けてそこかしこで工事が行われているが、本来は活気があり毎日が祭のような雰囲気だ、と魔王は言った。

(お祭りか……見てみたいなぁ)

律がそう考えたことが魔王に伝わったのだろうか。

「街が再興した時に、また連れてきてやる」

小さな頬を、その大きな手の甲で擦る。
ほぼ条件反射のように、律はその手を握り甘えた。
そして近づいてくる魔王に、唇を差し出した。

その後も色んな街を視察した。
工業が盛んでたくさんの電車が走っている街や、貝殻の形をした家々が並ぶ港町、夜しか店が開かない鉱山近くの街など。
そのどれもが幻想的で律はいちいち目を奪われた。
そして、この世界は律が思っている以上に発達していることにも気付いた。
着ている服や城下町の様子から、中世ヨーロッパぐらいの文化だと思い込んでいたがとんでもなかった。
まず、魔法と言う概念が存在していることから空を飛ぶ、速く移動する等、科学の力がなくても可能なのだ。
だからと言って科学がないわけではなく、今や魔法と科学の力を融合させているせいか、律からすればオーバーテクノロジーと思える物が随所にあった。

例えばフィヨルムのレール。
そこには貨物列車が走っているが車輪はない。
車輪がないばかりか、新幹線以上にとてつもないスピードで走る。
街全体の生産品を回収するのにはそのくらいではないと追いつけないそうだ。
一方でその生産品は、魔法と科学の力で自動化されているのかと言えばそうではない。
布一つ取っても、織るのは人、糸紡ぎも人が、糸の原料は人の三倍もある大きな芋虫が吐き出している。
視察の際、律はその芋虫を見て卒倒しそうになったのは良い思い出だ。



そうしてフヴェル城に腰を落ち着けたのも今年に入ってからだった。
今年は原初の年と言い、律の世界で言うなれば正月を迎える大事な年だった。
魔族は長寿故に、人間と年の数えが違った。
人間にすれば十年を、魔族は一年と数えた。
だから、実際律は魔王の元に残って一年しか経過していない、と言うことになる。
原初の年は人間で言う上半期が大晦日の如く年越しの準備に勤しみ、残りの半年は己の信仰対象に誓いを立て、厳かに過ごす。

一口に魔族と言ってもその種族は様々で、例え夫婦であっても信仰対象は各々違ってくることもある。
妖精は精霊王に、獣人は獅子王を象った星座に、人魚は海の神に。
もちろん魔王を信仰対象としている者も多く、下半期になると公務は全て謁見になる。
そこで、只管国民の誓いを聞き続けるのだ。
年の終わりには城下町の住民は城前の広場に集まり、魔王が王城のバルコニーから国民へ誓いを立てた。

それらが全て済み、後数十分で年が明けるという頃、魔王と律は城の屋上にいた。
朝日を見ようと魔王が誘ったのだ。
律は身体を冷やさないようにと幾重にも着せられた服のお陰で寒さこそ感じられなかったが、そっと魔王に寄り添ってもその体温までも感じないので少々不満気だった。

「律、この一年各地を回りこの世界を目にしてきただろう」
「は、はい」
「どうだった?この世界でもやっていけそうか?……正直に言ってみろ」
「どう……えっと、慣れたかと言われるとまだ馴染めません」
「そうか……」
「はい……で、でも、最近は言葉も少し書けるようになったし、もう一度行ってみたいな、って思える場所もありました。もちろん、機会があれば、です」
「何だ、あの芋虫をもう一度見たい、と?」
「ちが!違います!……い、芋虫はできれば……」

律が顔を青褪めると魔王はくつくつ笑っていた。
からかわれたことを理解した律は口を尖がらせる。
透かさず魔王はその唇を奪うと、拗ねた気持ちは一瞬で吹き飛んだ。

「あ、後一つ。……色んな場所を巡ってこのお城に帰ってきた時、落ち着くなぁって思いました。その……図々しいですが家に帰ってきたなぁって」

最初の頃、元人間の魔族で人間が召喚した神子、更には魔王の恋人となれば顰蹙を買うだろうとびくびくしていた。
しかしながら予想は斜め上をいった。
と言うのも元来魔族とは非常に大らか、悪く言えば大雑把な者が多いのだ。
何でもかんでも受け入れてしまう為、“魔族”と一括りにされても種族は入り乱れていて、その実情こそ国民性が滲み出ていた。
だから元人間だろうが、神子だろうが、魔王の恋人だろうが、自分達の王が幸せならそれでいいと思える者ばかりだった。
そして齢十七の律は、魔族としては赤子のようで使用人にも魔王の恋人としてよりかは、生まれたての幼子のような扱いを受けていた。
魔王にも周りの人々にも虫歯になりそうなくらいベタベタに甘やかされる内に律の不安など溶けてなくなっていた。
それどころかいつしかそんな扱いも心地良く思えてきたのだ。

「図々しくなどない。お前はもうこの城の一員で、皆の家族だ」
「ありがとう、ございます」

すると突然、魔王が律の前に跪いた。
驚いている律の手を取るとこう言った。

「魔王としては国民の前で誓ったが、俺個人としてお前に誓おう。必ずお前を幸せにする。お前を傷つけることなく、悲しい思いをさせることなく、生涯笑っていられるよう俺はお前を守る。この先もずっと俺と共に生きてはくれないか。俺の后になって欲しい」

律は身体の芯から震えた気がした。
寒さでもなく、恐怖でもない。
にも関わらず、瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。

「よ、よろしく、お、おねが、します……っ」

心のどこかで諦めていた。
魔王はいずれどこかの令嬢と結婚するのだろうと。
その時、自分の処遇はどうなるかわからないが、できるだけ近くにいられるといいと。
恋人としていられるだけでも贅沢な話なのに、それ以上望むことは強欲だ。
けれど魔王はそんな律の悩みをあっさり越え願いを叶えてくれた。
涙を拭おうとする魔王よりも先に、律はその逞しい胸に飛び込んだ。



終生を共にすると誓い合った二人を、朝日は神々しく包んでいた。



END.
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