コウが奪い返されて3日目の夜。 事態を想定していた優秀な側近が、既に臨戦態勢を整えていたので明日の早朝、交戦をしかけることとなった。 魔王は、暫くは味わえないだろう穏やかな夜を堪能すべく、城の屋上まで足を運んだ。 やわらかな月光が夜を優しく包む中、魔王はふ、と何かが耳をくすぐった。 (歌…か?) 微かではあるが、どこからともなくメロディが聞こえてくる。 夜の精の悪戯かとも思ったが、随分生気のない声だった。 何故だか興味を惹かれた魔王は、音の元を辿ると、裏手にひっそり立つ塔だと判明した。 (あの塔に何かあったか) はて、と記憶を探るも、心当たりはなかった。 自分の興味本位で部下を走らせるのも馬鹿らしい、と自らその塔を調べてみることにした。 元々、好奇心旺盛なこの王は、少しの期待を胸に足早に塔を目指した。 東の塔へ行くには、城を一旦出て、裏庭を通らないといけないにもかかわらず、その足取りは軽かった。 螺旋状の石畳の階段を上っていくほど、歌声が鮮明に魔王に届く。 (決して上手くはないが、耳心地の良い声だ) にやける顔を隠しもせず、最上段に着くと、木の扉が破壊され無残に転がっていた。 先日の、コウ奪還時に受けた破損だろうか、と眉を顰め、中を覗くと何かが横たわっていた。 大きさは人程で、魔王が想像していた小型の妖精ではなかった。 (何だ、下級の魔物でも住み着いたのか?) 歌声はそれから、流れてくる。 面白そうだからペットとして飼ってみるか、と悪趣味な考えを巡らせ、片手から火を繰り出し明かりを灯すと、またも想像を裏切りそこには人が倒れていた。 (こいつは…ああ、) そこで漸くその人物の存在を思い出した魔王は、しばしどう対処しようか考え込んだ。 「げほっげほっ…」 そうこうしている内に、目の前の人物は激しく咳き込むと、ぴくりとも動かなくなった。 「おい…」 一声かけてみたが、反応はなく、仕方がない、と片手でいとも簡単に摘み上げた。 「魔王様…どちらに…って、それは何ですか」 城に入るや、レギンが怪訝そうに魔王を―正確には魔王の手元を―見た。 魔王は面倒くさそうに、それを放り投げた。 「とりあえず、これを洗ってから生き返らせろ」 「はあ?何を無茶な、というか死んでるんですか?これ」 「知らん。何でもいい、動くようにしろ」 「動くようにって…玩具じゃないんですから。これ、確かあの猿と一緒に連れてきた人間でしたね。あの騒動の時、逃げ出したのかと思っていましたよ」 どこからともなく、メイドが現れ、死人のようなそれをどこかへ運んでいった。 「確か、食事も見張りもいらないと3日前に指示を出しましたから、逃げていないのだとすれば、3日間飲まず食わずだったんでしょう」 それで倒れたのでは、という推測を魔王は聞き流していた。 レギンはその気まぐれな態度に、いつもの如くため息をついた。 (戻りたい…お父さん、お母さん、お兄ちゃん。帰りたいよ…皆に会いたい) 塔の扉が壊されてからどれくらい経ったのだろう。 ここ1ヶ月は、粗食だった律の身体は、たった2、3日食事をしないだけで弱りきってしまった。思考は霞み、目はほとんど開けていられなくなった。 意識だけは手放すまいと、思いついた歌を必死に歌った。 特別うまいとか好きなわけではない。 ただ、もう自由にならない身体で、唯一意識を繋ぎとめるにはそれしかできなかった。 「げほっげほっ…」 きっとこれは長い夢で、次に目覚めた時、自室のベッドかもしれない。 そんな幸せな希望を抱き、ついに意識を手放した。 << >> |