「どうした?」

手に持っていた小さな箱を、テーブルに置き、隣に腰掛けると、定位置と化している膝の上に乗せられる。
驚き、呆然としていると、最後の雫がぽろりと流れる。

「お前はいつも泣いているな」

丁寧に涙を拭いながら、そう言った。
さっきまでの殺伐とした空気は一切ない。

「…いや、俺が泣かせてるのか」

優しく額に口付けられると、遂に律は何が何だかわからなくなってしまった。
魔王は頬をひと撫ですると、律の左手を取り、袖を捲った。

「ちっあの猿め…」

手首は赤くなっていた。
しかしそれよりも、魔王の地を這うような声に、再び震え上がった。
そんな律に気付いたのか、魔王はあやす様に髪をすいた。

「他に何かされていないか?」

特に、思い当たることもないので、首を横に振る。

「調べてみないとわからんな。あの猿と2人っきりでいたんだろう?」

やけに、2人きりという部分を強調したが、然して長い時間いたわけではないので心当たりがまるでなかった。
けれど、そんな思いを伝える術はなく、魔王は、肩より少し下に伸びた襟足を掬い上げると、項を吸い上げた。

「………っ…!!」

ぞくぞく、と痺れが走る。
その間に、片手で器用に腰帯を外される。
長い裾を捲り上げながら、手は胸まで侵入してきた。

唇は、首元を這うと、頬や、瞼、鼻先にキスの雨を降らせる。
そして手は、胸の飾りを親指で捏ねたり、潰したりを繰り返し、律は徐々に反応を返してしまう。

(変に、なっちゃう…っ)

唇を奪われると、息苦しさから魔王にしがみついた。
それから満足したのか、漸く解放されると、ぐったりと魔王に凭れ掛かった。
時間にして数分程度だったが、律にとっては何より長い時だった。

「もっと可愛がってやりたいが、これ以上は、な」

どことなく翳りがある声だったが、ぼうっとした律は気付かなかった。



「…これは…?」

不意に、律の膝を示した。
コウに連れられ、転んだ時にできた怪我のことを言っているようだった。
両膝共、赤く、ところどころ紫になっていて、擦り傷も認められた。

「転んだのか…?まさか、あの猿のせいじゃないだろうな」

ドスのきいた声に、一気に霞が晴れる。
ほとんど反射的に否定する。

「そうか…もう少し弾力性のある敷物に代えるか」

何か、算段をつけながら、テーブルに置いた箱から、瓶を取り出す。
少量手に取ると、律の両膝に塗りこむ。
ぴりり、と染みたが大人しくされるがままに、その工程を見守る。





手首も同様に薬らしき物をつけられ、包帯を巻かれた。
乱れた着衣も、綺麗に直してもらった頃、ノック音が響く。

「やっと来たな。待っていろ」

上機嫌にそう告げ、律を退けると、扉で何かを受け取り戻ってきた。
律の目の前に出されたそれは、ぷるぷるしたプリンのようなお菓子だった。

「前の菓子は、胃に負担をかけていたらしいな。これなら、お前の体調に合わせて作らせたから、食べてもいいぞ」

そもそも声は出ないが、律はまさに声にならない程、驚愕した。

(もしかして、お菓子は駄目だって言ったのは)

そんなはずはない、自惚れるな、と言い聞かせようにも、律にはもう、そうとしか思えなかった。

「…気に入らない、か?」

あまりの時間、呆けていたせいか、勘違いされそうになり、慌ててスプーンを持って、一口食べる。
ほわん、と優しい甘みが口に広がる。
それは、今まで食べたどんなお菓子よりも一番美味しく思えた。

「うまそうだな」

そう言う魔王の前には、同じ菓子どころか何もなく、自分一人が堪能していることに慌てる。
自分の物を差し出そうにも、口をつけたスプーンでは失礼だ、と皿とスプーンを交互に見ていた。

「どれ、味見させろ」

律の意思を汲み取ったのか、そう言うや否や、皿を取るわけでも、スプーンを借りるわけでもなく、律の唇を味わった。
口内を舌で掻き回され、最後は下唇をぺろりと舐められる。

「なかなか、だな」

満ち足りた笑顔の魔王の隣で、律は耳まで真っ赤に染め上げていた。





律が自惚れる以上に、魔王は律を思いやっていた。

例えば、律に与える衣服は必ず魔王が素材から選び抜き、細かく指示を出していること。
律のありのままの良さを引き立たせるため、色味や宝飾を抑え目にしていること。
そして、他人の目に肌を晒させないよう、露出を少なくしていること。

逆にコウには適当な既製品や、レギンに手配させた物を与えているだけのぞんざいな扱いを受けていることなど、律は知る由もなかった。

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