「なあ、行こうぜって!なあ!」

それはいきなりやってきた。
穏やかで、でも胸にもやもやを抱えながら過ごしていた数日後の朝、修復したばかりの扉が乱暴に開いた。

丁度、朝食を摂り終えのんびりしていた律の前に、律が天使と称し、そして心を乱す一因でもある蛯原コウが現れた。

(蛯原、くん?何で…っ)

まさか、もうこの部屋から出て行かなければいけないのか、と瞬時に思った律は顔を蒼くした。

「なあ!魔王のとこ行こうぜ!しつむしつ、にいるらしいぜ!」

開口一番に予想外のことを言われた律は、頭がついていかず、固まってしまった。

「俺が言ってもあいつら部屋に入れてくれないんだ!お前からも言ってくれよ!」

部屋から出てはいけないとは言いつけられていないが、何となく躊躇われる。
それに、城内が静まったとは言え、魔王自身の忙しさは変わらずにいた。

(僕が行っても何もできないし…)

まだ満足に動かせる体ではないので、逆に迷惑をかけるだろう。
そう思い首を横に振る。

しかし、コウはその返事を気に入らなかったのか、元より訊く気はなかったのか、律の手首を掴むと強引に立ち上がらせた。

(っ痛い…!)

コウの手は力を加減することなく、キリキリと律の手首を締め付けた。
そして、コウはお構いなしとばかりに、ずんずん進んでいき、ついに律の意思とは反して部屋から出てしまった。





ほぼ初めて見る内装は、重厚感に溢れ、シックな造りになっていた。

(ど、どうしよう…勝手に出歩いたら怒られる…っ)

汚れ1つない、ピカピカの長い廊下を、コウは迷いもなく歩く。
その速度に、律はついていけなくなり、前のめりに転んでしまった。

「あー!何してんだよ!お前、ドジだなー」

片腕を取られているせいで、うまく体勢が取れなかった律は、膝を打ちつけ、擦り剥けてしまった。
コウは、早く立てよ、と掴んでいた左手を引っ張り上げ、再び歩みを進めた。
律は、痛みを堪え、もう転ばないように必死に歩調を合わせた。



数回曲がったところで、コウの足はぴたりと止まる。
目的の一室に着いたらしい。

「おーい!いるんだろ!開けてくれ!」

律の心積もりする前に、コウはドンドンと扉を叩く。暫くは何も反応がなかったものの、止むことのないコウのノックに、根負けしたのか、扉が少しだけ開かれる。

「…申し訳ありませんが、職務中なので、お引取り願えますでしょうか?」

隙間からは、魔王の側近、レギンが見えた。
律とは意思の疎通をしたことはなかったが、たまに魔王の寝室に資料等を届けにくるので、面識はあった。

(やっぱり迷惑だよね…もっと強く断っておけばよかった)

後悔に苛まれ、気持ち身体を小さくした。

「神子…?」

律に気付いたレギンが訝しげに見定めた後、お入りください、とため息を吐かれながら部屋に通された。
コウは意気揚々と入っていったが、律はどうすべきか迷っていた。

「どうかされましたか?どうぞ、お入りください」

至極面倒くさそうに、促されより小さくなりながらゆっくり扉を潜った。





「何で、お前まで来た」

絶対零度の第一声に、びくりと身体を震わせると、入口で動けなくなる。
あからさまに不機嫌な魔王が怖くて、顔を上げられない。

(すごく怒ってる。馬鹿だ、僕の馬鹿!)

「なあ!腹減った!」

コウは、備え付けのソファに堂々と座り、早々に寛いでいる。

「…菓子を持ってこさせるか、レギン」
「かしこまりました」

扉に向かってくるレギンを慌てて避け、部屋の隅に移動する。
今すぐ逃げ出したい衝動に駆られたが、今更どうすることもできない。

「いつまでそんなところにいる。早く座れ」

咎めるような声色に、またも身体は跳ね上がった。
魔王は既にコウの対面側のソファを陣取っていて、律は魔王の隣か、コウの隣に座るしかなかった。
これ以上、魔王の機嫌を損ねないよう、律は悩むことなくコウの隣に腰掛ける。

「ちっ」

舌打ちまでされると、とうとう自己嫌悪に陥った。
ちらっと盗み見た魔王は、不機嫌さを体現化したような禍々しいオーラを背負っていた。
律は血の気が急降下し、直ぐに視線を逸らす。

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