律としては、平和な日々が続いた数日後、またも城内は慌しくなった。
誰もいない広すぎる部屋の真ん中で、ぽつんと何をするでもなく座っていた。

現状を把握できる情報源もなく、寝室から出ることもない律は、何が起こっているのか全く掴めなかった。

(あの人…最近来ないな)

最初はただ、怯えるだけだった漆黒を纏ったその人物を思い浮かべる。
鋭い濃紫の瞳は、未だに見れないけれど、その人から不意に香る、柔らかな花を匂いに、律は安心感を得られた。

どんなに忙しくとも、昼食か就寝時には顔を出していたのに、ここ2日、それがなかった。
国王の国との間に諍いが起きている、と理由まではわからないが察していた。

(もしかして、蛯原くんが関係してるのかな?)

――ズキン。

その瞬間、胸の奥が絞めつけられた。
初めて、魔王と出会った場面が鮮明に甦る。

(嫌だ、)

律の心は全身を掻き毟りたくなるような、感情に支配された。

(嫌、)

逃げるように、ベッドへとまだ覚束ない足取りで急ぎ飛び込むと、うさぎのぬいぐるみを抱き締めた。
枕元には、うさぎの家族と称したぬいぐるみだらけで、仏頂面で続柄を説明していた魔王を思い出し、ふっと笑みが零れる。

けれど、次にコウと魔王が微笑みあう光景が浮かび、堰を切ったかのように、ぼろぼろと大粒の涙がシーツに染みこんでいった。

(嫌だ、お願いだから―――僕を選んで)





その日、魔王は珍しく謁見の間にいた。
王座に構える魔王を、数人の近衛兵が守備している。
そこに、現れたレギンが足早に近づく。

「ミズガルズの軍勢が、もうすぐ突入を開始しそうとのことです」
「中々時間は稼げたな。アレはいけそうか?」
「接触は成功したようなので、もう暫くかと…」

和平交渉が決裂した、という名目でミズガルズは強行的にニヴルヘイムを攻めてきた。
それに対し魔王は、迎え撃つことよりも籠城を選んだ。

「フォラスにはちゃんと伝えたか?」
「ええ、神子を保護するようにと」

その返答に、頷き、魔王は来るべき時を待った。



泣き疲れて、そのまま眠ってしまった律を起こしたのは、扉を蹴破る破壊音だった。

「…っ…!」

飛び起きた律の前に立っていたのは、思慕していた人物ではなく、国王の兵だった。

「おい!誰かいるぞ!」

ぞろぞろと、集まる兵士達を前に、覚醒したばかりの頭では、追いつかず茫然とするしかなかった。

「こいつは…魔物か?」
「"魔王様"の寝室にいるくらいだ、とりあえず連れて行くか」

律よりも何倍も図体の大きい兵が近づき、荷物のように抱え上げられた。
その反動で、ぬいぐるみを落としてしまい、拾い上げることは叶わず、ぐしゃり、と兵に踏み潰された。

(あ…っあ…!)

そのぬいぐるみに駆け寄りたい一心で、手足をばたつかせた。

「っ!こいつ!暴れるな!」

兵士は剣の柄を律の後頭部に振り落とし、その衝撃で、くたりと力が抜けた。

「ったく、手間かけさせやがって」

抵抗も空しく、律は連れ去られた。





一方謁見の間では、両国の王が対峙していた。
100人近くの人間側の兵士に対し、魔王は数人の側近達が控える程度だった。

優位な状況に、自信に溢れた笑みを浮かべる国王。
しかし、魔王は慌てることも顔を青くすることもなく、どこか退屈そうに鎮座していた。

「まさか、貴様自ら、我が城に乗り込んでくるとは。まだまだ青いな人間の」
「お前の最期を見たくてな。はは、今は災害で、戦争どころじゃないだろう?どうだ?俺の神子に手を出した天罰は」
「天罰?まさか、まだそんな迷信を言ってるのか」

クスクス、と魔王の側近達が忍び笑いする。
圧倒的な数の人間に取り囲まれているにも関わらず、魔王側は至って平静だった。
その態度に、国王が苛立つ。

「お前こそ、負け惜しみを言うな!」
「確かに、神子によって損害を与えられたことは認めよう。だが、それは神子の力ではない」
「何を…っ!」

反論しようと身を乗り出した国王に、1人の兵が耳打ちをする。
興奮していた様子から一変、不適に笑った。

「ここに連れて来い」

そう指示し、国王の前に投げ落とされたのは、律だった。
つま先で、顎をすくい見定めると、ふっと息を漏らす。

「お前の愛妾らしいな。それにしても、こんな男が趣味なのか」

国王は律とは気付かず、先程の仕返しとばかりに笑うと、兵達も大げさに笑った。
けれど、魔王は眉ひとつ動かさず、淡々としていた。
側近達は国王に哀れみの目を向けるも、当人は気付いていなかった。

「フォラスめ…」
「間に合わなかったようですね」
「そんなわけあるか、どうせまた研究だ何だと指示を忘れてどこかへ行ったに決まってる」




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