「市……その、少しの間、留守にすることになった……」

旦那様は言葉に詰まりながら、僕にそう告げた。
内容を理解するのに時間がかかって、理解してからも固まるしかできなかった僕は返事もできなかった。

「い、いつからでしょう?」

やっと搾り出すように震えた声で問うと、いつもの自信に満ちた表情とは反対に困った顔で、今日だ、と小さく言った。

「今日……今日です、ね。それ、では、お支度をしなければ……」

ふらふらになりながらも、準備のため立ち上がると、旦那様は僕を抱き締めた。

「大丈夫だ、市。知人の天狗が治める山を荒らすあやかし共がいるらしく、それらの討伐に参加するのだ。こちらの手勢は多い。すぐ事を終え帰ってくる。約束だ」

僕の気持ちを察してくれた旦那様が、慰めの言葉をかけてくれた。
それを聞いて僕はとっても情けなくなってしまった。
今やこの人の妻であり、二人目の子を宿している母だと言うのにたった少し離れるだけでこんな不安定になってしまうのだから。

「ありがとうございます、旦那様。心配なさらないでください。立派に留守を務めてみせます。早くお支度をいたしましょう?……そうしたら少しは早くお帰りいただけますよね?」

幾分か落ち着きを取り戻した僕は、旦那様の腕の中でそう穏やかに答えれた。
暫くは堪能できない厚い胸板の感触を頬で味わっていると、ぐっと腰を抱きこまれた。

「旦那様?」

不可思議に思って見上げると、旦那様は夜の顔になっていて。

「支度よりも市。腹の子のために、家を空ける間の分の補給をしておこう」
「え、えと、ですが、急がれるのでは……わ!」
「構わん!半刻もあれば着く。俺がいないだけで劣勢になるような連中でもあるまい」

次第に早口で捲くし立てながら旦那様は僕を寝台まで軽々と運んだ。
丁寧に、けれど性急に押し倒された僕はもう有無を言えなくなってしまった。



たっぷり愛された後、旦那様は僕に手より少しばかり大きな木の板のようなものを渡した。
それは何でも神様がお使いする物らしく“けいたいでんわ”と言うらしい。
遠くに離れた者と文を交わしたり話をすることもできるそうだ。
更には“うぇぶ”と言うどこにいても誰でも自由に書物や絵巻のようなものを見れることもできるらしい。
僕には何が何だかさっぱり理解できずにいたが、出立間際まで旦那様は僕に使い方を教えてくれた。

元々文字の読み書きはできなかった僕だけれど、ここに来てからは旦那様に教わりながらひらがなと簡単な漢字まで書くことができるようになった。
なのでその“うぇぶ”の“ぼやいたあ”という掲示板のようなもので離れた旦那様と遣り取りができるように、と計らってくださった。
本当は“めえる”という文を交わす方が良かったらしいけれど、“うぇぶ”にはたくさんの人が色んなことを書いているから寂しくないだろう、とも言ってくれた。

そして、旦那様が立たれた後、確かに僕は寂しさも気にならない程“けいたいでんわ”に夢中になった。
“ぼやいたあ”も段々使い方がわかるようになり、会話できる人もできた。
そのことで帰ってきた旦那様からたくさん叱られるとは、“ぼやいたあ”に現を抜かす僕は露程も知らなかった。

END.
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