襖を開けると、不貞腐れた時のように主はこちらに背を向け、寝台で横になっていた。
市は、静かに近づくと、水神の横に腰掛けた。

「旦那様……どうしていけないのか、教えていただけませんか?」

まるで子供をあやすような柔らかい口調で尋ねる。
暫し、沈黙が訪れた。
が、水神がぼそぼそと話し始めた。

「お前の……身体に……負担がかかる」

その答えに市はたいそう驚いた。
よもや、自分の身体を気遣っていたなどとは。
こんなに拗ねているのは市の物言いか、何か気に障ることだったのではないかと思っていたからだ。

「それなら、平気ですよ。この前仰っていましたよね?僕はもう人間ではなくなっていると」

そう、市は生贄として屋敷にやって来て早四年。
長い間、常世に住まい尚且つ神の子を産んだ体は、最早人間ではなくあやかしに近い存在になっていた。
更には水神の神気に中てられているため、歳もほぼ取らず、見目は四年前とさほど代わり映えしなかった。

「だが、お前は華奢だし……まだまだ不安定な存在だ。それに俺はもう子はいらん」

きっぱりと拒絶されると、市は悲しくなった。

「それは、僕が不出来だから……ですか?やっぱり、あの子は……っ」

市の脳裏に最愛の我が子、密(ひそか)が浮かんだ。
まだ三歳にも関わらず、人間の姿を取ると七歳児程の姿が取れるくらいにまで成長していた。
それは水神が元々動物の怪であったため、成長速度が人間とは違うからだった。
そしてすくすくと育ち、大きくなればなるほど水神そっくりになっていった。

けれど、問題はその中身で。
見目は麗しい父親に似たにも関わらず、性格は生みの親、市をそのまま描いたようになってしまったのだ。
神の子は神。
なのに、自分のように控えめで遠慮がちな気性ではきっと務まらない。
そのことに負い目を感じていた。




(不出来?あの子……?何だ?何の話だ?)

一方水神は、急に飛躍した市の話についていけず、いじけていたのはどこへやら、思わず振り向いてしまった。
すると、市は今までにないくらい追い詰められた表情をしており、予想外の展開に飛び起きた。

「市?さっきから何を言っているんだ……俺はお前の身体を心配していただけで」
「ですから、僕が!……僕の身体では、立派な子は産めない、と仰られているんでしょう?」
「待て、待て、待て!何でそうなる!?お前は立派に密を産んだではないか!」
「でも、でも……っ!密は、あまりにも……おっとりしすぎている、ではありませんか」

水神は話を聞けば聞くほど混乱した。
実のところ、水神にとって密は今では目に入れても痛くない程可愛がっていた。
産まれた当初は、段々と自身に似てくる息子に苛立ちを感じていた。
このまま、自分そっくりに育つと必ずや市に手を出すに違いない、水神はそう信じて疑わなかった。
しかし、その片鱗は全く見えず、寧ろ妻に似ていく倅に目じりが下がりっぱなしだった。
それが市には気懸かりだと言われても、水神にはさっぱり理解できない。

「そうだ、密はおっとりしていて、優しく物分かりの良い子に育っただろう?それのどこがいけない?」
「そ、そんな子が、神として……やっていけるのでしょうか?」
「神として?充分だろう。俺より向いているのではないか?」

今度は、市が首を傾げる番だった。
村から出たこともなく、学もない市の中で神と言えば水神ただひとり。
市は神の在り方を水神で測っていたのだ。
傲慢で、強気で、横柄。
荒魂と呼ばれる性質そのものを神の品格だと思い込んでいた。
そのことを懸命に説明した市は、水神に盛大にため息をつかれ、己の間違いを知ったのだった。

「良かった……良かった……あの子は、ちゃんと神として務めを果たせるのですね」

食い違いを解消した後、市はほろほろと泣きながら微笑んでいた。
水神も悲しんでいるわけではなさそうな様子に安堵しながら、艶やかな黒髪をひと撫でした。
そうしてまた、ほっこりした時間が流れた。
すると、突然、泣き止んだ市が口を開く。

「……では、旦那様……思い違いとわかったことですし……」

そう言うと、色を含んだ目で見上げてきた。
水神はごくり、と唾を飲み込む。
ゆっくりと水神に体を寄せると、耳元で囁いた。

「僕を……孕ませてください」




数ヵ月後、少し腹に膨らみがある嬉しそうな妻と、時折自己嫌悪に陥りながらも幸せそうな夫の姿があった。



END.

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