神事の目玉は巫女神楽であり、皆それまでは出店や流鏑馬式など各々楽しむ。
市と水神も境内の出店を冷やかすことにした。

「うーん、密には何が良いでしょう?褐は何か手遊びできる物が……やはりあの子達も連れてきた方が良かったですよね」
「まだ気にしてるのか。あいつらが留守を預かると言ったんだ。甘えればいいだろう」
「ですがこんな楽しいことを僕達だけが味わうなんて」
「だったら今度四人で旅でもすればいい。俺はお前と二人だけの時が過ごせて、その、悪くはないと思ったのだが……」

二人きりになれて嬉しいとは言えず歯切れの悪い言葉を選んでしまった水神だったが、市にはそれでも嬉しい台詞だった。
垂れ衣越しでもわかる程顔が真っ赤に染まった市は俯きながらも水神に聞こえる声で、僕もですと返した。
水神は眉をぴくぴくさせながら、人気のない場所に連れ込みたい欲望を封じる。
すると、市は水神の袖口をくいっと引っ張った。

「お土産を買ったらすぐに帰りましょう?」
「いや、しかし……」
「その、お屋敷でもいいのですが寄り道しても、僕は大丈夫です」

何の事かと考えて水神は言外の意味に気付く。
表に出していない水神の欲望を妻である市は感じ取り、それに応えてくれたのだ。
そうと決まれば水神の行動は素早かった。
食べ物から工芸品まで見当たり次第買い漁り、そそくさと市と共に大神社を後にした。



多くが大神社へ向かう人通りの中、水神達はその流れに逆らって歩いていた。
大柄な体躯の男と透き通るような肌の女は至極目立つ存在である。
けれど男の凄まじい形相に遠巻きに眺める程度に治まった。
市はいつもより足早な夫に左足が追いつかず、ついぞ体勢を崩してしまった。
よろめいた市に正面から子供がどん、とぶつかる。
市は水神に抱きとめられたが、男児は尻餅をついていた。
相手が貴族の装束だと気付いた十くらいの子は慌てて頭を地面に擦り付けた。

「申し訳ございません!」
「あ、そ、そんな!顔をあげて」

自分の子と同じ背格好の子供に土下座され市は大層驚いた。
すぐに止めるよう駆け寄ると、恐る恐る市を見上げる。
額についていた泥を拭ってやれば、子供らしいはにかみで礼を告げた。
素朴な面差をしているその子に、親しみを覚えた。
市はそうだ、と平包みの中から取り出した物を男児に与える。

「これ、なに?」
「先に大神社の店で買ったんです。ええと、確か醍醐と言う食べ物で長生きに良い薬だそうですよ。どうぞ」
「いいの?あっ……いいのですか?」

言葉遣いに気をつける様に市は可笑しくて笑みを零し頷いた。
ありがとう、と元気良く返したところで子を呼ぶ声がした。

「父ちゃん!あ、あのぶつかってごめんなさい。これ、本当にありがとうございます!」

そう言うと市の横を走り抜けていった。
見送るように振り返ると、市は今度こそ倒れそうになる。

「おい、大丈夫か?疲れたのか?」

ふらりとした市をまたしても受け止めた水神は異変に気付く。
その視線の先には今しがたぶつかった男児とその両親であろう男女がいる。

(ん?待てよ、どこかで……。あの男……まさか!)

「お、父さん……」

市の呟きで確信に変わった。
そう、男児の父親はかつて市の父親でもあった男だったのだ。
今の今まで市と二人きりを満喫し、これから濃密な時を過ごせるという大事な瞬間に何故現れる。
ただでさえ短気な水神は父親の登場に苛立ちを隠せずにいた。
市は父親のことをどう思っているのか、こればかりは水神にも皆目検討がつかない。
もし恨んでいると言うならば思う通りのことをさせてやろう。
捨てられた記憶が甦ると言うならば性に合わないが慰めてやろう。
けれどあの男の下に戻りたいという願いなら却下だ。
例え泣き叫ぼうが嫌われようが絶対に逃すものか。
瞳の奥に真っ黒な炎が灯った。

「嗚呼、良かった」

それは淀んだ水神の心をすぱっと切り裂く晴れ晴れしい声だった。
何と言っただろうか、と市を見遣るとそこには恨みも哀しみもない、慈愛に満ち足りた眼差しがあった。

「ずっと心配していたのです。都で所帯を持ったと聞いてはいたのですが、ちゃんと暮らしているのかが。けれど幸せそうで本当に良かった」
「会わなくて、いいのか?」

そう尋ねておきながら、水神はごくりと喉を鳴らした。
市はしっかりと首を横に振る。

「僕がこの世にいないと言うことをお父さんは知っているのです。今、現れれば混乱させてしまうでしょう。ふふ、それにしてもそうか、あの子僕の弟なんですね……だからなのでしょうか。目が合った時、唐突に何かしてあげたいと思ってしまったのです」

そうして渡した物は長生きできるようにと願いがこめられた物だった。
きっとこれは父に向けた思いだったのだろうと市は感じた。

(お父さん、今までありがとう。元気でね。どうかずっと幸せで)

もう既に遠くなった父の背に市は深く頭を下げた。
それから苦虫を噛み潰したような顔つきの水神に向き合う。

「もしも僕がはぐれてしまっても、帰る場所は旦那様と密と褐がいるところです。今の僕の家族は貴方達です」
「当たり前だ。お前が帰って来れなくても必ず俺が見つけ出して迎えに行く。絶対だ」
「はい。絶対、ですね」

慈しむように見つめ合った夫婦は暫くして町から消えた。
寄り添うような足跡だけを残して。



「ねえねえ、お母様。みこかぐらって面白かった?」

たくさんの土産を持ち帰り子供たちは大いに喜んだ。
しかし渇の無邪気な問いに市は固まる。

「やはり村と比べると大層豪華な舞なのでしょう?母上、どうでしたか?」

そこに密も加わりますます困った状況に、水神に視線を送る。
それに気付いた水神は不遜な笑みを浮かべた。

「ええと、神楽は観てなくて……ごめんね」
「えー!なんでー!?」
「そうなのですか?随分遅くに帰って来られたのでてっきり最後まで観賞したのだと」

それもそのはず。
市達の帰りが遅くなったのは"寄り道"したためだ。
うなじまで真っ赤に染まる母と、それを肴に楽しそうに酒を煽る父。
何も知らない子供達はそんな二人を交互に見比べて首を傾げるだけだった。



END.

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