「どうして、こんなこと……四條くんに、は、多奈川く、んが……」

自分で口にして忍は青褪めた。
次からどんな顔を多奈川に会わせればいいと言うのだろう、と。
しかし、四條の口から発せられた言葉は忍を更に青くさせた。

「岬がどうだって言うんだ。俺は岬を取り戻すまで誰とも寝ないって決めてるからな」

忍は困惑した。
今まさに、その誓いを破ったことになるからだ。

「はっ、何だその顔。まさかこれがセックスだとでも思ったのか?んなわけねぇだろ。穴使ってオナニーしただけだ」

心底馬鹿にした笑みを浮かべ、四條は楽しそうに述べた。
目を見開いたままの忍がおかしくて仕方がない、とでも言いたげだ。

「ははは、自意識過剰だな。もしかしてセフレぐらいにならしてもらえるとでも?お前如きが?顔も悪けりゃ身体も楽しめねぇお前が?」

ガタガタ震える忍を、四條は言葉のナイフで切りつける。
服装の乱れていない男の前で、肌を露出している忍は何とも哀れだった。

「でも良かっただろ?お前は男に飢えていたみたいだし、俺も出せれば何でも良かったからな。それにこれ以上付き纏われるのも迷惑だ。毎日、毎日うざかったんだよ。これで満足しただろ。もう二度と俺の前に現れるな」

からかう口調から徐々にトーンが下がり、最後の一言は威嚇に近かった。
それから忍の上を大きく跨ぎ越え、四條は部屋の奥に消えていった。
忍は、小刻みに揺れる指先で服を拾い集めると、ほとんど裸の状態で部屋を出た。
ジーンズのボタンを留めることなく、引っ掛ける程度でお座成りに服を着込むと、縺れる足でマンションを出る。

アパートに帰る道すがら四條の言葉が何度も頭に駆け巡った。
四條の望むことならば何でも叶えてあげたい。
それが忍の生きがいと言っても過言ではない。
その夜、アパートに着くまでの五分間はとてつもなく長い道のりだった。
自分の部屋に帰宅して初めて、忍は何もかも失ったのだと気付いた。
自らが壊してしまった恋人達の幸せを取り戻すことも、長年慕っていた男の顔すら見ることはなくなってしまった。
全身に虚脱感が広がり、まばたきすら億劫になる。

(消えなきゃ……四條くんの目の前から消えなきゃ。でも、その前に)

虚ろな瞳に、少しだけ灯が点る。
男のことを想い、もう一度だけ、と拳を握った。



「多奈川くん、少し話したいことがあるんだけど、いいかな?」

三号館前の広場で友人達と談笑していた多奈川は、忍の姿を見止めるとあからさまに嫌悪感を滲ませた。
それを感じ取った友人が多奈川と忍の間に割り込もうとしたが、多奈川が制した。

「とりあえず、場所変えよう?」
「うん、ありがとう」

物言いたげな友人に多奈川は手を振ってから、忍を促した。
人のいない空き教室に落ち着くと、忍よりも先に多奈川が口火を切った。

「あのさ、君何がしたいわけ?僕のこと嫌いなの?」
「え!ううん、そんなことないよ!僕はただ、多奈川くんと四條くんに仲直りしてほしくて」
「仲直りって……。別に子供の喧嘩じゃあるまいし。それだったら田尻のことは何で?君が襲い掛かってきたって聞いたけど?」
「そ、それは!多奈川くん、まだ四條くんのことが好きだよね?それなのに、その田尻くんと」

そこで多奈川は盛大な溜息を吐き、片手で柔な髪を掻き上げた。

「つまり何、田尻と僕の仲を邪魔しようとしたわけ?それで蛍とよりを戻させようとしたの?」

忍は小さく頷いた。
多奈川は深く眉間に皺を刻む。

「何度も言ってるけど、僕はもう蛍に欠片も愛情なんて残ってないよ」
「そんな……!」
「それと、僕と蛍が別れたのは君のせいでもない。元々あいつは浮気ばっかりしてたし、どんなに怒っても泣いても止めなかった」
「それは多奈川くんに嫉妬してほしくて!」
「そんなの誰が嬉しいの?浮気して嫉妬されなきゃ愛情確認できないなんておかしいし、そんな行為誰も幸せになんてなれない」

多奈川の正論に忍は押し黙った。

「君の前で別れ話をしたから責任を感じているのかもしれないけど、はっきり言って君は無関係だよ。僕と蛍が別れたのは二人の問題だし、もう終わったことだ」
「でも、四條くんは多奈川くんに戻ってきてほしくて、ご飯もあまり食べていないし」
「それだってあいつの勝手だろう。本当に僕とよりを戻したいならあいつ自身僕のところに来ればいい。そうしないのは蛍の勝手だし、君が出張ることじゃない」

そこで一度会話は途切れた。
お互い無言のまま、重苦しい空気が圧し掛かる。
忍は、そっと膝をつくと多奈川に土下座をした。

「お願いします。これが最後のお願いです。一度だけ、たった一度だけでいいから四條くんに会ってください。これは僕の勝手です、僕の我侭です。お願いします」

多奈川が息を呑んだ。
しかし動揺したのは一瞬で、またしても溜息を落とした。

「そこまでするくらい蛍が好きなら君があいつを励ましてやりなよ。僕はもう蛍とは関わりたくないし、正直君がこうやって話しに来ることも迷惑なんだ。田尻にちょっかい出されるし、本当最悪」

どれだけ言われようと忍は絶対に頭を上げなかった。
多奈川はそんな忍の決意を感じ取ったのか、この話は終わったよね、と教室から出て行ってしまった。

(終わった……僕にできることはもう全部なくなった。全て終わったんだ)

忍は空を見てふっと笑みを浮かべた。

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