多奈川から忍のことを聞いた時、四條は言い様のない乾いた焦燥感に駆られた。 退学の件や、田尻を誘った意図を聞き、会わなくてはと柄にもなく冷や汗が出た。 本来、迅速果敢な性格の為か、その日の内に同じ大学の友人、知人に忍について知っていることはないか、とメールを回した。 まずは丘忍という人を知ろうと考えたのだ。 しかしそれは翌日、失敗に終わった。 四條のメール自体は、友人から更にその友人へ、という風に広大に拡散されたのだが、誰一人として確かな情報を持っていなかった。 返ってくるメールの語尾には全て“らしい”や、“しているのを見た”程度で、忍と直接係わり合いのある者はいなかったようである。 更に四條をげんなりさせたメールが、ぼんやりとした忍情報を超える忍への誹謗中傷だった。 性格が悪い、犯罪を起こしそう、ストーカーをしている等々、それらを嬉々として語る文面に四條は気味が悪くなった。 内容は嘘でもとりあえずそれだけ忍は嫌われているという点は間違いないだろう。 だが、友人はいないのにどうしてここまで嫌われているのか? これに関しては多奈川に聞けば何かしらわかるだろう、と一先ず横に置いた。 けれど、誹謗中傷メールの中に一つだけ四條には引っかかる言葉があった。 ――丘って、うちの学部のやつだろ? そのメールの相手は経済学部だった。 後に根暗だとか友達がいないだとか悪口のオンパレードが続きすぐ読むことを止める。 四條の脳裏には試験用にと残されたバインダーが過ぎる。 確かに文学部の科目も手書きで、丁寧に板書されていた。 学部が違うのに、わざわざ授業に出てまで書いたのだろうか? (そこまで俺のことが好きだったの、か?) 思考の末弾き出した結論に、四條の胸は眩暈がする程どくりと鼓動が脈打った。 それからは形振り構っていられない、と興信所を使ってまで伯父夫妻の元にいる忍を探し出したのだ。 興信所の仕事は素早く、直ぐに忍の居場所は特定できた。 それは忍が都会を離れて一ヶ月経った頃のことだった。 車を走らせれば今にでも忍に会えるという段階になって初めて四條は二の足を踏んだ。 (会って、何て言えばいい?) そもそも、自分は何の為会うのだろうか。 普段深くは悩まないからこそ、一度疑問が湧くとどんどんどつぼに嵌っていった。 会いたいと思うのは焦りから。では何故焦る? 忍がどこか遠くに行ってしまいそうだから。それの何が不都合? ひとつ浮かぶと、その答えを出し、またひとつ浮かび、答えを出す。 そうやって、四條は忍に会う理由を探していった。 しかし、いくら考えても気付けばループしていてこれといった答えは導き出せなかった。 そして、ふと数週間前の多奈川の言葉が甦る。 「ドアを開けた時、立ってたのが僕でがっかりしてたでしょ?」 悪戯っぽい笑みの多奈川にそう指摘した。 四條は何を言っているのだ、と訝しげに眉を顰めるだけだった。 そんな反応に多奈川は目を丸めて気付いてないのか、と驚いてみせた。 「気付く?何のことだ?」 「そもそも蛍はさ、何で引き篭もってたわけ?」 「そ、れは……お前に別れるって言われて、でも俺は本当にお前のことを好きだって気付いて……」 「だとしたら、今日、僕に会えて嬉しいはずだよね?だけど蛍が会いたかったのは僕じゃなかった」 そこまで言われて四條はようやく自分自身の変化を認識した。 目の前には完璧な己が荒れる程好きになった人がいる。 増してや寝室に二人きり。 にも関わらず、欲情どころか何の感情も生まれない。 何故ならたった一つの思いで胸の内は埋め尽くされているからだ。 地味で根暗で、他人の男を寝取ろうと画策したり、土下座してまで他人の復縁を願う。 大胆なのか、一途なのかまるで掴めない忍という人物に会いたい。 会って知りたい、その心の中を。 そうしてやっと重い腰を上げたのが、忍がいなくなって二ヶ月経った今日だった。 何となく、嬉しがるとか切ない瞳で見つめられるとか、そういう忍を四條は想像していたのだ。 実際は四條を見て青褪め、抱き締めれば怯えるように泣き始め、後は俯くだけだった。 その様子に、忍が自分を好いてくれている自信が一気に打ち砕かれた。 四條が思い描いていたストーリーでは、思わぬ再会に忍はその想いを告げ、自分はそれを受け入れる。 そこからはどうにかなるだろう、そんな絵空事を描いていた。 しかし忍が自分を好きだという前提が崩れては、何もかもが成り立たない。 今になって何でもっと早く会おうとしなかったのだと後悔した。 << >> |