「別れよう」


告げられた言葉を頭で理解するのに、少しばかり時間がかかってしまった。瞬きをして漸く言われたことの意味が分かる。なんで?とは聞けなかった。だって十分すぎるくらいの心当たりを、自分でも感じていたから。


「お前がずっと、俺以外の誰か別のやつを想ってる事に気付いてたよ、最初から」

「…うん」

「それでも俺はお前が好きで、一緒にいたらその目も俺に向くんじゃないかと思って」

「…、うん」

「でもいつまで経っても、俺はお前の心の中に入れなかった…全然駄目だったなぁ」

「…」


かける言葉も無かった。付き合って一年。相変わらずキスはまだだった。でも大切な記念日だったから、二人で飛び切りのデートをして、彼からはプレゼントとラブレターを受け取って、綺麗な夜景を前に彼の手は私の頬に伸び上を向かせられて。丁度いいと思ったの。一年も待たせちゃったし、私も失恋から立ち直った頃合いで今しかないって。…でも、


「ごめん、お前が振り向いてくれるまでずっと待つつもりだったんだけどさ」


私は彼を受け入れることが出来なかったのだ。あの時も優しいあなたはいいんだと頭を撫でておでこにキスしてくれたけど、今思い返すととても無理して笑っていたね。あれからなんとなく気まずくなってしまって、それでも一度は私からデートに誘って持ち直した、はずだった。彼がまた笑ってくれたのが嬉しくなって良かったと安心した私はやっぱりズルいんだろうなと思う。でもそれが彼の中では逆に踏ん切りをつけたらしい。もう無理だ。彼がとても悲しそうに笑いながら別れの言葉を呟く。


「ごめんな」

「…ううん、謝らなきゃいけないのは、私の方だよ。待っててくれたのに、好きになってあげられなくてごめんっ」


利用しちゃって、本当にごめんね。遅すぎるんだろうけど、今になって押し寄せてきた罪悪感に胸が苦しくなる。私が泣いていい立場でないのは十分承知しているためなんとか唇を噛み締め耐えていたが、やはり優しい彼は私の頭をゆっくりと撫でながら頭を振ってくれるのだ。


「いままで、ありがとうな。苦しくて切ないことのが多かったけど、それでもやっぱり楽しくて幸せで、お前が好きだった」

「っ、うん、こちらこそ、ありがとう。私なんかを好きになってくれて、ほんとうにっ…!私も、楽しかった」


もしも私の初恋がおじちゃんじゃなくて彼だったのなら、私は間違いなく幸せになれたのだろうなと、そうしみじみ思ってしまうのだ。私には勿体無いくらいの優しい人。さようならと紡いだ言葉に涙腺が崩壊する。涙が零れる前に鞄を持って教室を出た。


ごしごしと少し強めに手の甲で涙を拭い途中の土手に座り込むと、ちょうど風が吹いて髪が僅かな水気のせいで顔面に張り付くので嗚咽が漏れる。細かく震える指先でそれを払いのけたと同時、後ろからわっ!と背中を押されびっくりしながら振り向いた。すると目が合うなりぱちくりと、相手も驚いたような顔をして固まったので最悪だと顰めっ面になる。



「えっ、なに、お前泣いて」


ほんと最悪直球すぎ。おじちゃん第一声がそれってどうなの。「まぁ、なんだ、泣くなよ!何があったかは知らんが!」うちのお父さんでももう少し慰めるのうまいよ!…いや、この人の場合わざとやってるんだろうなと察しがついた。おじちゃんは泣いてる女の子を口説いて落とすのが得意だったから…


「…おじちゃんサイテー」

「冗談だーって。真面目に話聞くからさ、隣、座るぞ?」


適度に空いた距離に胸がざわついて落ち着かない。少し遠すぎないか?と思った私も最悪サイテー。全然断ち切れてないじゃない。「ほんと、さいてい」思わずぽろりと零してしまった言葉に、おじちゃんがほんの少しだけ私の顔を覗き込みうーんと何か思案するように一つ唸った。


「彼氏となんかあった?」

「…うん」

「浮気されたとかか?」

「っ、されて、ない」


寧ろ優しい彼に甘えていつまでも未練タラタラでいたのは自分の方だ。そう思うと余計に涙が溢れて睫毛が濡れた。


「私が、彼を傷つけちゃった、からっ、」

「…うん」

「いつまでも、いつまでも、彼の優しさに甘えてっ、どうしようもなく最低なのは私でっ、だから、」


ふられちゃったの、っ。大分声が掠れてしまったから、おじちゃんに聞き取れたかは分からない。でももう一度言いたくは無かった。言う必要も無いと思った。


「そんな自分を責めるなよ。最低、とかさ。そんなに酷いことしたの?お前」

「…っ、うん。他に好きな人がいたのに、今の彼に告白されて、初恋の人を忘れたかったから付き合ったの」

「その初恋の人は?」

「…入る隙間ないなって、分かっちゃったから。叶わない恋してるくらいなら、私のこと好きになってくれた彼と付き合って忘れちゃおうって」


ほらね最低。半ば自嘲気味に笑うけど、おじちゃんの顔は全然笑っていなかった。


「じゃあお前は今、なんで泣いてんの」

「っ、え?」

「何が悲しくて泣いてるんだよ」

「…わかんない、わかんないよ」


自分でも分からない。どうして私が泣いてるんだろう。辛いのは私じゃなくて、彼のはずなのに、私に泣く権利なんて無いって分かってるのに。それがまた悔しくてもどかしくて、また目元を擦りうぅ〜と声を漏らすとだから擦るなってとおじちゃんに手首を掴まれた。覗き込んできた顔の近さに思わず息を飲む。


「おじ、ちゃん」

「後悔したって遅ぇんだよ」

「…う、ん」

「確かに人の気持ちを粗末にしたのは変わらない、それでフラれるのも仕方ないと思う」

「…うんっ、」

「でもさ、相手はもっと辛かったと思うんだよ」


目頭がじんと熱くなる。おじちゃんの言葉が胸に刺さってとにかく痛い。いたいの。


「けど、それでもやっぱり…辛いよなぁ、フラれた側だって。押し潰されそうになるよな、今迄募ってきた罪悪感にさ」

「っ、う、ううっ、」

「そんな自分を責めるなーって。酷いことしたって、ちゃんと分かってるんだろ?その彼氏に悪かったって、思ってるから泣いてるんだよな」

「っ、うん、たぶ、んっ」

「だったらさ、お前は全然最低なんかじゃないよ。本当に最低な女ってのは、別れた彼氏の為に泣いたりなんてしないって」

「でも、私の涙腺弱いだけかもしんないじゃあん!私は結局、自分の事ばっかり、で、うう〜おじちゃーん!」

「…あのなぁ、人が折角慰めてやってんのに」


自分で自分の首締めんなよー、と、おじちゃんは呆れたように言いながらも私の肩を抱き背中を擦った。


「涙腺が弱いってのも、ピュアな証拠じゃねぇの?もっと大人になったらさ、きっとこんな事じゃ泣けなくなる。俺だったら多分泣けねえよ?…だからそれはお前の優しさで、いいとこだと俺は思うけどなぁ」

「…おじちゃん、」

「ん?」

「私やっぱりおじちゃんきらい」

「はあっ?いやいや何でだよ!」


そうやって私を甘やかして、慰めて、やっぱり好きにさせてしまうあなたが嫌い。この男のせいで今迄傷ついて泣いてきたっていうのに。今回の原因だって元を辿っていえばこの人なのに。


「(何でこんなに好きになっちゃったんだろう)」


大分落ち着いてはきたものの、未だに鼻をすんすんさせながら夕陽に染まっていく空を眺めていた。あのさあ、って、空に溶けてしまいそうな声で尋ねてきたのはおじちゃんの方。


「どんな奴なの、お前の初恋の人」

「…気になるの?」

「おう」


目の前にいるよ。そう言えてしまえたなら楽なんだろうなと思う。何度か瞬きをして、ずるくてサイテーな大人の人、とだけ呟いた。おじちゃんが少し顔を顰めながらおいおいおいと呟く。


「でもね、好きなの。いつも子ども扱いされてばっかりで、全然相手にされてないのわかってるけど、…それでもスキ」

「…どこで知り合ったんだよ」

「え?うーん、どこでっていうか。普通に…?時の流れるままに?気づいたら出会ってた」

「なんじゃそら」


率直に産まれた時からとか言ったらさすがにばれるに決まってるのでそれとなくはぐらかす。嘘は言ってないもんね。


「…私はね、運命だと思ってるよ」


あなたと出会えたこと。おじちゃんから目を逸らさずに、まっすぐと目を見て言った。伝わらなくていい。響かなくてもいい。ただ言っておきたかった。それほど好きなんだって。何度諦めようと思っても、諦めきれないから。でもおじちゃんは呆れ顔でばっかでー、とか言いながら私の額を小突く。


「運命ってのはな、好きな人と一緒になって初めて使える言葉なんだよ」

「えーっ!ちょっと違うよ!だって私と彼は、あの時出会ってなかったら一生出会えないはずの存在で、きっとこんなに好きにだってなれなかったはずで」

「ほんっとにピュアピュアだな。まあいいんじゃねぇの?今はそれで」


なんだかイマイチ釈然としない言われ方だなと思ったけど、それ以上なにも言わないことにした。


「ていうか、お前その初恋の人にゾッコンじゃん」

「え、」

「そりゃあ彼氏も耐えられなくなるわぁ」


ちくりと胸が痛んで唇を噛む。と、私の反応を見てぎくっとしたらしいおじちゃんに頭をぐしゃぐしゃに撫でられながら「まぁそれ程一途だってことだしいいんじゃね!」とまたフォローになってるのかなってないのかよく分からない声をかけられモヤモヤする。そして今私がこんなにも苦しい思いをしているのは全てこの男のせいなのだと思うとイライラする。ああ全く、一層の事全部おじちゃんのせいだよって言ってやりたい。


「…でも、お前の気持ちも分かるんだよなぁ、俺」

「嘘ばっかり。おじちゃんに私の純粋な気持ちなんて分からないもん」


何人も彼女を作ってきたおじちゃんに、私の初恋の人を思い続ける気持ちなんてきっと、分かってもらえない。少しだけ感傷的になりながらも横目でおじちゃんを見ると、意外にしんみりとした表情で「分かるさ」と言ったので心臓が短く音を立てて鳴った。


「好きなうちはどんなに忘れようと頑張っても忘れられないもんなんだよ。だからお前も、無理する必要ないと思うけどな」

「…本当にそう思ってる?」

「ああ、思ってる。無理やり恋愛なんてするなよ。疲れるだけだぜ、きっと」


おじちゃんの言葉にはなんとなく重みがあって、説得力があった。肩の力が抜けて行く気がしてほうと重たい息が漏れる。


「好きでいても、いいのかなぁ」

「好きになるだけなら自由だからな」

「…例えその人に好きな人がいたとしても?」

「それでもお前は忘れられなかったんだろ?なら諦めがつくまで待つか、相手を振り向かせるかの二択だと俺は思うぜ」


つかなに、まさかの既婚者じゃねぇだろうな、とおじちゃんが珍しく厳しい顔を見せるので苦笑してしまう。


「もうすぐ結婚しちゃうかもしれないんだ、その人」

「どんだけ年離れてんだよ、大丈夫かそいつ。おじちゃんは心配だぞ」

「えへへ、大丈夫だよ。その人は知らないと思うんだ、私がこんなにも好きなんだって事。完全に私の片思いだから。それに意外としっかりした人だと思う、私はね」


凄く素敵な人なの。変なところで優しくて、なんだかんだ甘やかしてくれる。ぼやくと、おじちゃんは訝しげにふーん?と首を傾ける。


「悪い大人にだけは気をつけろよ」

「…うん、わかってるよ」



(だからあなたの言う通り忘れられるまで思い続けてみようかなとか思っちゃうの)
(それがどれだけ辛い事かも知らずにね)


20160615




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