初めて物吉くんを見た時、うちの本丸に王子さまがやって来たのかと思った。それほど甘く、ふんわりと笑う男の子だった。
「主さまに幸福を運びますよ!」
私にとって物吉くんのそのセリフはどんな言葉よりも眩しく見えて。もう、物吉くんの笑顔もキラっキラで、それに負けないくらい私の目もキラキラと輝くのを感じながら、私は深く深く頭を下げる。
「宜しくお願いします」
不幸体質。自分でも自覚があった最低最悪の体質。よく転ぶし、傘を忘れた日に限ってドシャ降りの雨が降るし。鍛刀でレア刀が来たことはない…。これだけならまだね、日常茶飯事だし。今に始まった事じゃないし、ついてないの一言で終わらせられるけど。でも最近は不幸さに勢いが増して死にかけたこともあったのでさすがにヒヤヒヤしてる。
演練中、ちょっとした手違いでお相手本丸の光忠さんカッコ刀の方が私目掛けて飛んできた時は本当に…心臓止まるかと思った…。事態に素早く反応して刀を弾き飛ばしてくれた堀川くんのおかげで彼が私に刺さることは無かったけれど。本当に、今思い出しても冷や汗が止まらない。相手の審神者さんと光忠さんも顔面真っ青にしながら何度も何度も頭を下げてくれて、私と堀川くんも苦笑いに顔色を悪くしながらかぶりを振って。
だから物吉くんがうちに来て、例え社交辞令であってもそう言ってくれたのがね、嬉しかったんだと思うの。でも物吉くんは、その言葉通り本当に、私に幸せを運んでくれてるのかもしれない。そう気が付いたのは、彼と初めて一緒に買い物へ行った時。
「やった〜!見て見て物吉くん!お醤油があるよっ?卵もちゃんとある!」
きょとんとしてしまった物吉くんにはっとして、私は苦笑いしながらそれらをカゴに入れた。
「えっとね、いつもは品切れで買えない事が多いの」
「そうなんですかっ?じゃあ今日はラッキーでしたね」
「うんっ」
でも油断は厳禁だ。これは帰り道にすっ転んで卵を潰してしまうパターン。ぐっと気合いを入れ直して買い物袋を持ち直すと、不意に物吉くんが「持ちますよっ、主さま」と微笑んだ。
「あっ、ううん。大丈夫」
「あれっ、そうですか」
少し残念そうに俯く物吉くんに少しだけ胸がちくりとする。でも物吉くんはすぐにまたにこっと笑って、すっと私に手を差し出した。
「じゃあ手、繋ぎませんか?」
「え…」
「主さまは転びやすいと聞いたので」
うちの本丸には幾つか暗黙のルールがある。その一、いかなる時も私の側には一人以上の刀剣男士がつくこと。その二、刀剣男士はなるべく両手を空けて、すぐ刀を抜ける状態にしておくこと。
主に大事なのはこの二つで、最初は皆も荷物を持ってくれてたり私が転ばないよう手を繋いでくれてたりしたんだけど。最近は外部からの危険が一段と増してどこから何が飛んでくるのか分からない状態にあるので自然と今のルールが出来上がってしまった。今はもう殆どお使いなんて頼まれないんだけどね!今日はたまたま。…でも、来たばかりの物吉くんは、そんな事知らないわけで、
「…うん、わかった」
大丈夫だよね。手ぐらいならいざという時にすぐ放せる。ほんの少しだけ躊躇ったのち、私は物吉くんの手に自分の手を重ねた。瞬間ぱあっと弾けた笑みを見せる物吉くんになんだか胸の奥がきゅんとする。わ、かわ、いい。
「ありがとう、物吉くん」
たとえ本丸に着いても油断は出来ない。台所まで無事辿り着くことがお使いだから!と気を抜かさずになんとか台所までやってきて息を飲んだ。やった、ついた?ついたっ?今日は転ばなかったし卵は割れてない。
「やった、やったよ堀川くーん!」
歓喜余って台所にいる堀川くんにそう伝えると、彼はくるっと振り返って驚いたように目を丸めた。
「ちょっと!主さんに卵のお使い頼んだの誰ですかっ、て…割れてない…?」
「割れてない」
「転んでも卵だけは死守したんですか?」
「今日は転ばなかったの」
「…主さんっ!」
受け取った買い物袋を恐る恐るテーブルに置くと、堀川くんはいつしかの私と同じみたく目をキラキラさせてひしっと私を抱きしめた。
「やったね主さん!」
「うん!やったよ〜」
離れたあとも手を取り合ってきゃっきゃとはしゃぐ私と堀川くん。不意に物吉くんへ視線を向けると、とても穏やかな顔で私たちのことを見ていて。目が合うなりふわっと笑うので、やっぱり胸の奥がきゅんとした。
「はい、主さま」
「…うん、ありがとう」
あの日から、物吉くんと一緒にいる事が増えた。出掛ける度に物吉くんは私に手を差し出してくれて、そっと手を重ねると優しく握り返してくれる。そして私に降りかかっていた不幸がぴたっと止まったのは、物吉くんを近侍にしてから。
「…えっと、なんですか?」
最初に言われた通り、物吉くんは私に沢山の幸せを運んでくれていて不幸の渦から救い出してくれた。手を取って微笑む姿が、私には本当に王子様に見えてつい凝視してしまうと目が合って首を傾げられる。
「ううん。物吉くんは、私にとっての王子様だなと思って」
「えっ」
言おうか迷った挙句言っちゃった…。物吉くんはぱっと頬を赤く染めて、照れたようにはにかむ。
「そ、そんなっ、大袈裟ですよ。わっ!」
「…!ちょ、大丈夫っ?」
物吉くんがすっ転んだ。ちゃんと手を繋いでいたはずなのに何故か彼が躓いた瞬間手が滑って…
「すみませんでした。主さま、怪我は無かったですか?」
「私はなんともないよっ、それより物吉くんが、」
「僕は大丈夫です」
どうしよう、私が変な事を言ったせいで物吉くん動揺しちゃったのかもしれない。って、その時は自分のせいだと思って反省したのだけれどどうも様子が可笑しい。
「あぶねぇ大将!」
物吉くんと二人、縁側でゆっくりしていると頭上からパラパラ釘が降ってきて。ぽかんとしていた所に響いたのは薬研くんの声。そして続けざまに降ってきたのは工具の入った木箱で、「あいたっ!」と声を上げたのは、私じゃなくて物吉くんの方だった。えっ、可笑しい。いつもだったら私の脳天にぶち当たるのに…
「物吉くーん!?大丈夫っ?」
「うぅ、…はい、大丈夫です」
「すまねぇ!…って、当たったのは物吉の旦那の方か?」
薬研くんも呆気にとられたようにきょとんとしていて。けどすぐに物吉くんの頭をさすりながら「悪かったな、手当てするから手入れ部屋行くか」と物吉くんを連れていった。取り敢えず、散らばった釘を掻き集めて工具箱にしまっておく。物吉くん、痛そうだった。大丈夫かな。
最近なんだか変だ。あれから物吉くんはよく転ぶしよく痛い思いをしている。あと、鶴丸さんのいたずらにピンポイントで引っかかる。これってなんだか、
「主を見てるみたいですよね」
思っていた事を言い当てられてびくりとする。振り向くといつの間に私の隣に座ったのか、鯰尾くんがいて木箱をさり気なく回収された。
「そういえば最近不幸減ったんじゃないですか?」
「う、うん…」
「良かったですね!いやぁ、スカートが風でめくれなくなっちゃったのは残念だけど」
「ちょっとー!」
心底残念そうにする鯰尾くんを笑いながら肘でついていてはたと気がつく。そういえば、私のスカートがめくれなくなった代わりに物吉くんがよく真剣必殺して脱いでいるような…
「…?主?」
「う、ううん、なんでもない」
慌ててにへっとした笑みを貼り付ける。誰かー、買い物行ってくれる人ーって声がどこからか聞こえてきて。気を紛らわすみたく私ははーいと声を上げた。
「あ、じゃあ俺も、」
「ううん、大丈夫!」
咄嗟に鯰尾くんの申し出を断ってしまう。なんとなく私の気持ちは焦っていて、早く本丸から出たくなった。じゃないと、一緒にいる人みんなを不幸にしてしまう気がしたから。
「…ふぅ」
大丈夫、卵も味噌も小麦粉も、ちゃんと全部買えた。品切れじゃなかった、大丈夫。あとは転ばないように気をつけて本丸に帰るだけ。そう気合いを入れ直した直後の事だった。バケツをひっくり返したようなどしゃ降りに襲われてずぶ濡れになったのは。ひいいい、嘘でしょ〜っ。
「っ、ひゃ!」
透ける衣服に焦りながら荷物を持ち直して走り出すと、今度はワンピースの胸元をとめていたボタンが一気に三つ弾け飛んでしまって思わずその場に佇んだ。確かに胸元のきついワンピースを着ていたけれども。ど、どこぞのトラブるなの…!ボタン、ボタンっ!と思って留めようとするけどどこかに弾け飛んだのかボタンはついていなかった。土砂降りの雨の中、同じく慌てたように走り去る人たちがすれ違いざまに私を見る。その視線で更に羞恥心を煽られて、涙目に赤面しつつ荷物を抱えてとにかくがむしゃらに走った。早く、早く本丸に帰らないと、
「あっ!」
ずるっ、て、雨で滑りやすくなってたサンダルに足を取られて。派手に転ぶと同時にべちゃりと嫌な音がした。抱えていた荷物は潰れていて割れた卵がはだけた胸元にぶちまけられている。…うわ、最悪…うわっ、
「…もう、さいあく」
のろのろ起き上がると見事に卵だらけ泥だらけ…。ゴロゴロと空が鳴りだしたのにビクリとして、取り敢えず残されたケチャップと味噌を抱えながら木の下に小さく疼くまった。はあ、一人になった瞬間この様。…やっぱり、物吉くんが私の不幸を吸い取ってくれてただけなんだ…。これからは少し距離を置くようにしないと。万が一私の不幸のせいで物吉くんが折れたりしたら、
そこまで考えて、ぞわりとした。物吉くんがいなくなってしまうくらいなら、私は不幸のままでいい。あの甘くてふんわりとした笑顔を失う方がよっぽど怖い。もう充分、普通の幸せは味わったから。
「…幸せになる前に、戻るだけ」
ああ、雨に濡れて寒い。もしかするとこのまま雷に打たれて死んでしまうかもしれない。なんて。いままでの経験上あり得なくないなと思って自嘲しながら顔を膝にうずめた。鯰尾くん、ちゃんと連れてくれば良かった。もし私に何かあった時、後悔するのはまず彼だろうと思ったから。あー、一人で出てくるもんじゃないなぁ。
ふと、雨が止んで顔を上げる。雲の合間からは太陽が見え隠れしていて、通り雨だったのかなと思っていたら前方から傘をさした物吉くんがやって来て目を瞠る。私を見つけるなり嬉しそうに目を細めて手を振った。
「良かった、主さま発見です」
「物吉、く」
「主さまが一人で買い物に出たって聞いて。皆さん怒ってましたよ」
また随分と派手に転びましたねぇ、って、物吉くんが苦笑いしながら自分の上着を脱いで私に着るよう促すので咄嗟に首を横へ振る。
「汚れちゃうよ、物吉くんの服真っ白だし」
「服は洗えばなんとでもなりますよ。それよりもこんな状態の主さまを放っておけません!」
物吉くんは持っていたハンカチで私の腕や胸元の生卵と泥を拭き取ってくれて、そのまま上着を羽織らせると丁寧に前をとめてくれた。
「…ありがとう」
「いえいえ」
「…でも、もう少し離れた方がいいかも」
「主さま?」
「じゃないと、私のせいで物吉くんが不幸になっちゃう」
「…なりませんよ」
私の手をそっと取って、しっかり握りしめると私の額に唇を落とす。
「主さまを守れたのなら、それが僕の幸せになります。主さまの幸せが僕の幸せですから。折れたりなんてしません。主さまが不幸になるような事は、絶対にしないって約束します」
ね?って、私の大好きな笑顔でそう言う物吉くんに胸の奥がじんとして目が熱くなった。
「やっぱり、物吉くんは私の王子様だね」
物吉くんは一瞬きょとんとした顔をして、けどまたあの時のようにふわりとはにかんだ。
「僕が王子様なら、お姫様は主さまですね」
つられて照れる、言葉につまりたがらも、なんとかはにかみ返す。
「やだ、こんなに泥だらけなお姫様なんていないよ」
「たとえ泥だらけでも、主さまは僕にとって可愛らしいお姫様ですよ」
ね、帰りましょう?って。優しく微笑みながら私の手を取る、そんな物吉くんはまぎれもなく王子様だった。
20171129