コンコン、小気味よくノックをしてみるけど返事はない。呆れ顔で扉を開くと案の定そこに人の気配はなくて、私は資料を机の上に置くとフッカフカの応接ソファへと勢いよく腰掛けた。今日は定時で帰れるはずだったのに、悪いけど至急の仕事があるんだと上司に言われてしまっては帰れないじゃないか。あー、もう、頑張って終わらせたのに。人に仕事を頼んでおきながら何処へ行ったんだあの人は。署長が戻ってきたらブツブツ文句を言ってやろう。そう意気込むものの、それが一体いつになるのかもメドが立たなくてため息を吐いた。


「…早く帰りたいんだけどなぁ」


8連勤目の残業は心身ともにしんどい。うんと伸びをしてソファの背もたれへと凭れかかれば、どっとした疲れが一気に押し寄せてきて自然と瞼が下がってくる。寝ては駄目だと分かっているけれど、ちょっとウトウトするくらいなら…とかいう悪魔の囁きに後押しされて益々瞼を持ち上げられなくなった。そうだ、それもこれも、私に仕事を押し付けておきながら何処かへ行ってしまった署長が悪いんだ。もし見つかって怒られてしまったらそう言い訳をしよう。なんて考えている間にもどんどん意識は遠退いていく。



一体どれくらいそのままでいたのか。時折誰かの指先が耳に触れる感覚に身動ぎをしたので目が覚めた。ぼうっとした意識の中でまず目に飛び込んできたのは、私が探していたはずの黒岩署長で。一気に脳が覚醒して意識がはっきりとし出す。驚いて身体を仰け反ろうとした所で、後ろはソファの背もたれなので逃げ場はなかった。署長の長い人差し指の先ではクルクルと、私の髪を巻き付けて遊ばれている。纏めてあったはずの髪がさらりと肩口で揺れて動いた。


「…ちょ、何してるんですか、」

「いやぁね、大きくなった娘の髪を結わくのってこんな感じなのかなぁ、なんてさ」

「署長の娘になったつもりはないんですけど…」

「それはそうだ。僕もキミみたいな娘を持った覚えはないよ」


一体全体なんなんだ…。署長はふふんといつもみたくキザに笑うと、私の隣に腰掛けて言葉通り私の髪を編み出した。男の人に髪を結わせると大体ボサボサのゆるゆるになるイメージを勝手に抱いていたけど、署長に結わかれた髪は綺麗に纏まっていて意外に思う。


「上手いですね、署長」

「当然だよ」


娘が小さい時はよく色々な髪型にしてあげたものさ。そう続けた署長の表情はどこか憂いを帯びていて、一瞬だけ言葉に詰まってしまう。そういえば署長には年頃の娘さんがいらっしゃると前に風の噂で聞いたっけ。思春期であんまり仲は宜しくないとか…。私は思春期でもお父さんと普通に仲が良かったから、娘さんに嫌われているらしい署長を少しだけ不憫に思ってしまった。今はきっと、こうして髪に手が触れるだけで嫌悪されてしまうんだろうなぁ。と勝手に想像して感傷に浸る。


「署長…」


可哀想!つい憐れみの視線を向けてしまうと、署長は表情を引攣らせながら「キミ、何か勘違いしてないかい?」と呟いた。勘違い?思ったけれど、私からすれば署長が可哀想なのには変わりないのだ。署長は今愛に飢えている。娘さんに嫌われてしまった挙句離れ離れでなす術なく、きっと心の隙間を誰かに埋めて欲しいのだろう。


「じゃあ好きに弄り倒していいですよ、私の事」

「おや、いいのかい?」

「はい。娘さんだと思って、好きにして下さい。遠慮はいりませんよ」


私も家を出て一人暮らしを始めてからは全然両親に会えていないし。署長の寂しい気持ちはよーく分かる。だから、髪を触られるのくらいどうって事ない。署長も一人で赴任してきた身なのできっと寂しいのだろうと思った。思春期の娘に煙たがられているのだとしても、離れて暮らす家族が恋しいんだろうな、なんて。勝手に署長の気持ちを想像して自己完結をした。


「もしかして私って、署長の娘さんと似てたりするんですか?」


だとしたらこうして私にちょっかいを掛けるのも納得だったのだけれど、署長は相変わらずの澄まし顔でいや?と否定するので面食らってしまう。


「寧ろ、キミくらい可愛げがあれば良かったんだけどね」


ほら出来た。そう言って私が元々使っていたゴムで留め直すなり、署長は満足気に一つ笑うと私の横髪を掬ってそっと耳へ掛けた。ついでといったように耳朶へと触れてきたのでつい敏感に反応してしまう。無意識にも逃げるようにして身を捩れば、署長は益々笑みを濃くして私の耳朶を執拗に指で弄り続けた。


「あの、擽ったいのですが」

「おや、それは失敬」


とか言いつつ署長は手を止めようとしない。少しこちらに寄ってきた署長との距離が異様に近い気がして、私は肩を強張らせながらピンと背筋を伸ばし直す。


「ちょっと近くないですか…?」

「そうかな。別に普通だと思うけれどね」


確かに、上司と部下ではなく父親と娘の距離だと考えれば普通の距離、なのか…?と思い直し、私は署長にされるがまま、大人しく頭をポンポンと撫でられる事にした。のだけれど…、その手がスルリと私の頬を滑りいよいよフニュっと唇をなぞった時はさすがに驚いて声を上げてしまった。


「あのっ!しょちょ、」

「うん?どうしたんだい?」

「いったい何、を」


顔を真っ赤にして狼狽する私に対し、署長はクスクスと上品に笑って涼し気な表情を崩さない。それどころか私の腰に手を回してその距離をぐっと詰めに来る始末だ。署長は一つ不敵に笑みを零すとそのまま顔を近づけて、至極楽しそうに私の目を超至近距離で見つめてきた。


「や、やめて下さい」

「おや、可笑しな事を言うね。好きに弄り倒していいと言ったのはキミなのに」

「それはそうですけど!普通娘相手にこんな事出来ないのでは!?」

「うん、全くもってその通りだよ」

「??」


否定をするどころか開き直ってきた署長に目をパチクリさせて。大人しく次の言葉を待った。「セクハラ?今更だね、そんなの」黒岩署長の声が耳元のすぐ近くで囁かれる。どこかねっとりとした物言いにビリビリと鼓膜が震えて全身へと伝わった。


「僕は初めから、キミの事を娘だなんていう目で見てはいないよ」


さぁ、親子の間柄では出来ない事をしようか。そう、署長に肩をゆっくりと押されて、私の体は柔らかいソファの上へと沈み込んだ。



20190430


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -