いつの間にか眠っていたらしい。手の中でスマホが震える感覚がして目が覚めた。時間を確認すると、丁度日付けを超えた頃で竜胆くんからのLINE通知を知らせていた。ソフトクリームの日おめでとう。今日ナマエの仕事終わったら迎えに行く。という気遣いと共に、竜胆くんの描いたであろうソフトクリームのイラストが送られていて頬が緩んだ。竜胆くんやっぱりスパダリ過ぎる。ていうか!今年のソフトクリーム凄い上手!スカイブルーの背景にモコモコとした雲の様なソフトクリーム。そして日付けいり。まるで何処かの広告みたいだ。わたしも後で描いて送ろう。年々上手くなっているソフトクリームのイラストにもまた微笑ましくなって、わたしはニヤニヤしながら保存マークをタップした。


「おい」


突然さんずに呼び掛けられてビクリとする。そして一気に覚醒し始める意識。そうだ、わたし眠気に負けてさんずとラブホテルに居るんだった…。そう思うと、気分は一気に最悪で露骨にテンションが下がった。なに、と溢してさんずを見上げれば、無言でコンビニのレジ袋を差し出されたので反射的に受け取る。中を覗けばおにぎりとサンドイッチ、それからペットボトルのお茶が入ってるのが見えてわたしはパチクリと目を丸めた。


「何も食ってないだろ。腹入れとけ」

「あ…ありがと」


今日のさんずは何だか優しい。優し過ぎて逆に気持ち悪いくらいだ。でも、今日はバタバタし過ぎてお昼すらちゃんと食べられてなかったから、その気遣いはやっぱり嬉しかった。ソファに腰掛けたさんずに習って、わたしも人ひとり分くらいの間を空けながらちょこんと隣に座る。そのままサンドイッチとおにぎりどっちにしようか迷った末、サンドイッチの外ビニールを開けて早速一口頬張った。ツナマヨとレタス。美味しい。隣ではさんずがテレビのリモコンを弄っていて一瞬画面がAVでいっぱいになったのにヒヤっとしたけれど、直ぐにチャンネルを変えて映画を流し始めたのでヒッソリ安堵する。でもそれは今度、わたしが竜胆くんに一緒に見ようねと丁度約束していた映画だった。さんず、よりによってどうしてその映画にしたの。完全に今の一瞬で竜胆くんの事を思い出してしまい複雑な気持ちになる。…わたし、本当なら竜胆くんとラブホに来てイチャイチャしてるはずだったのに。何でさんずなんかと一緒にご飯食べて映画見てるんだろう。まだたまごサンドとハムチーズのサンドが残っていたけれど。一気に胸がいっぱいになってしまったわたしは、残ったサンドイッチをさんずへと押し付けた。


「お腹いっぱい、あげる」

「はぁ?おいテメェふざけんな」


そう文句を言いつつ、さんずがサンドイッチを受け取ったのであー食べるんだなぁと思ったのに。さんずが手に取ったたまごサンドは、そのままわたしの口へと押し込まれたのでむぐっ!となった。おら食え、と言いながら、ペラッペラだったサンドイッチを容赦なく詰め込んでくるさんず。流石に苦しくなって自然と涙目になる。でも、優しいたまごの味がすきっ腹の胃には丁度よくて、悔しいけどやっぱり美味しかった。両頬をサンドイッチでいっぱいにしながらモグモグ頑張って咀嚼していると、隣でさんずがタバコを吸い出したのでさり気なく距離を置く。わたしはタバコが苦手だった。主にそのほろ苦い香りと、身体に害を及ぼす副流煙が。しかしそんなわたしを特に気に留める様子も無く、不意にさんずがオレ今日誕生日だからよぉと溢すので面食らった。


「なんか寄越せ」


そう言われて、少しビックリした顔のままさんずの方を見やる。さんずは目の前のテレビ画面をじいっと見詰めていたかと思うと、突然わたしの方へと視線を移したのでドキっとした。


「は、」


何でわたしが、と言いかけた所で、さんずの手の平に両頬を掴まれてんむっとなった。必然と言葉が詰まって黙り込むわたしに、さんずが顔を近付けて来るので露骨に焦った。咄嗟に顔を逸らそうにも、さんずの力が強過ぎて叶わない。


「ちょ、さんず、!」


や、やだ!そう身を捩ろうとした瞬間、超至近距離でふーっ、とタバコの煙を吹きかけられてゴホゴホと激しく咽せた。


「っな、ごほ、ごほ、っ!」


何考えてるの!?あ、あり得ないんだけど…!わたしの反応を見て、さんずはニヤニヤと下衆な笑みを浮かべながらタバコを再び口に咥えた。涙目になりながら怒ろうとした刹那、それよりも早くさんずが立ち上がって背を向けたのでわたしもつられて立ち上がる。


「ちょっと!さんず!」

「キャンキャン騒ぐなっての。テメェの高い声は耳に響いてうっせーんだよ」


ホテルに備え付けの冷蔵庫を開けながら、さんずがまたもやコンビニのレジ袋を取り出す。まさか、タバコの次はお酒だろうか。そう怪訝な表情でさんずを睨んでいると、さんずがボソリと小さな声でボヤいた。


「ち、やっぱ冷蔵庫じゃ溶けちまうか」

「…なに?」


ボソッと独り言の様に発せられた言葉を拾い切れなくてそう聞き返すけれど。さんずは言葉の代わりにレジ袋を無言で差し出してくるのでキョトンと目を丸めた。おずおず。レジ袋を受け取って中身を確認する。カップに入った溶けかけのソフトクリームに、わたしは分かりやすく驚いて動揺した。


「な、なん、で…」

「テメェがソフトクリームソフトクリームうるせぇから買って来てやったんだよ」

「なっ、頼んでない!」

「は〜?今日まで顔合わせる度に散々さんずの所為でソフトクリームがとかほざいてたろーが」

「うっ、確かに嫌味吐いたけど、!」

「良いから、黙って食え。オレともソフトクリームの日しよーぜナマエちゃんよぉ」


その飄々とした物言いにカチンと来て眉を顰める。やっぱりさんずは嫌な奴だ。わたしの嫌がる事をピンポイントにやってのけて、悠々とした態度で煽ってくる。段々と感情の起伏が激しくなってくるのを感じたし、ジワジワと目に涙が浮かび上がって来るのも嫌だった。こんな奴の前で泣きたくない。そう思うのに。


「っ、要らないもん!」

「あァ?」


我儘を言い張って声を荒げるわたしの事を、さんずが目付き悪く睨み付けてくるのでビクリとたじろぐ。正直、その時のさんずはちょっと怖かった。ちょびっとだけ。それでも、わたしは唇を噛み締めて思考を固めると、さんずから目を逸らしつつ不満をぶち撒ける。


「さんずの誕生日とか、そんなの知らないし。どうしてさんずなんかとソフトクリームの日を過ごさないといけないの」

「…」

「ソフトクリームだって、食べれば良いってもんじゃない…!り、竜胆くんと食べないと意味ないんだもん!」


竜胆くん。その名前が出た途端、さんずが大きく舌打ちをするのでまたビックリして飛び上がる。こ、こわい!何で、どうしてそんなに竜胆くんを敵対視するんだろう。そこまで考えてふっと思い返す。わたしが休みを取れなかった時の事。


「さんず、今日わざとラブホテル選んだんじゃないの。わたしに嫌がらせする為に」


思えば、休みを合わせられなかったのだってさんずの所為だ。わたしにわざと竜胆くんの情報を吹き込んで心を掻き乱そうとしてくるし。どうしてこの男はわたしと竜胆くんの仲をそんなにも裂こうとするのか。わたしには分からなかった。そんなにリア充が憎いのだろうか。それとも…


「わたし、さんずに何かした…?」


ぐす。小さく鼻を啜りながら聞いてみる。さんずは答えてくれなかった。これは、肯定の沈黙、だろうか…。さんずに嫌われる様な事、知らず知らずの内にしちゃったのかな…。ついに我慢出来なくなって小さく啜り泣いてしまう。涙が溢れる都度手の甲で拭って何とか泣き止もうとするわたしを傍目に、さんずがはっと鼻で笑ってわたしを見遣った。


「やっと気付いたのかよ。オマエはほんっとに鈍感だな」

「っ、なんで、」


タバコを勢いよく灰皿に押し付けて火を消したさんずに怯んで、途中で言葉を飲み込む。そのまま一歩二歩と距離を縮めて来るのが怖くて咄嗟に後ずさった。がくん。膝裏がベッドに当たって後ろへと倒れ込む。ゆうるりわたしの顔を覗き込んできたさんずに、一瞬心臓が止まったかと思った。


「…ぶーす」


そう暴言を吐いて、さんずは浴室へと消えて行った。がちゃん。ドアの閉まる音を聞いてどっと身体の力が抜けていく。


「…」


モヤモヤとした感情だけが残りつつ、わたしがその日さんずと言葉を交わす事はもう無かった。さんずはソファ、わたしはベッドで寝たから勿論一線を越えるなんて事も無かったし。朝早々に起きてホテルを出た後は、必要最低限の言葉だけを交わして黙々と仕事をこなして終わらせていく。仕事が終わって本社に戻って来た後も、さんずは無言で立ち去ろうとするので後味が悪かった。何あの態度!おつかれの一言くらいあっても良いのに!そう思って、スタスタ先を行くさんずを咄嗟に呼び止める。一応足を止めてこちらを見やったさんずに一言、「お疲れ様!じゃあね!」と呼び掛けた。フルシカトされた。再びわたしに背を向けて歩き始めたさんずにギリギリと歯軋りをしてキツく睨み付ける。ほんっとムカつくな!そんなにわたしが嫌いですか、そうですか。

しかしカリカリしていた所に竜胆くんからの着信を受けて一気に気持ちが切り替わる。約束通りわたしの事を迎えに来てくれたらしい。いつもの路地にいる。そう短く告げられて、わたしはニヤける表情をそのままに足早でいつもの道を駆け抜けた。


「竜胆くんっ!」

「おう、10連勤おつかれ」

「お疲れ様ぁ」


助手席へと転がり込んで着席するなり、竜胆くんがペットボトルのカルピスを差し入れに渡してくれたのでお礼を告げる。本当にしんどくてデロデロ状態だったのに、竜胆くんと会った瞬間元気が出るから不思議だった。これが好きな人パワーというやつか。おいで。と、腕を広げて微笑んだ竜胆くんにパァッと表情が明るくなって、遠慮なく飛び込んだ。はああ、久しぶりの竜胆くん。凄い、癒される。好きな人とハグして分泌される幸せホルモンをオキシトシンと呼ぶらしい。それは付き合い立ての頃、竜胆くんが教えてくれた事だった。


「あー、今オキシトシン出てる、分かる」

「はは、分かるか?」

「うん、凄く」


竜胆くんにギュウギュウに抱き締めて貰った所で、わたしはゆっくりと離れながら言いづらそうに口を開く。ん?と、柔らかい表情で首を傾げた竜胆くんに、わたしは今から自分の罪を告白する。


「…あのね、実は昨日、ビジネスホテルが見つからなくてさんずとラブホテル泊まったの」


ピシリと、その瞬間空気が凍ったのを感じて背中の方がゾクっとした。


「ご、ごめんね!事後報告になって!でも何も無かった!本当に!さんずはわたしの事嫌ってるし、わたしも竜胆くん以外となんて考えられないし!!」

「…ナマエ」

「な、なぁに?」

「悪い。今日はゆっくり休ませてやるつもりだったけど、付き合ってくんねぇ」

「う、うん。どこへ?」


ラブホテル。淡々とした物言いの竜胆くんに終始肝がヒヤヒヤと冷える。「わたしの事、信じられない…?」恐る恐るそう訊ねてみると、竜胆くんは長めのため息を吐きながら信じてるよ、信じてると溢した。わたしの手をぎゅ、と握りながら、何も無かったんだろ?ともう一度確認してくる竜胆くん。しっかり竜胆くんの目を見ながらコクリと頷いた。そのまま手を引っ張られてもう一度竜胆くんの腕の中に閉じ込められる。


「…ナマエの事は信じてる。でも、三途の事は信用してねぇし今すぐナマエの事抱きたくなった」


ダメか。なんて、そのまま耳元で囁かれてビリビリと電気が走ったみたいに甘く痺れる。これからされる事を想像して、思わず耳まで真っ赤になった。ダメかと聞きつつ、それを拒否させない雰囲気を醸し出す竜胆くんにドキドキと心臓が爆ぜる。「…ダメじゃないよ」そう返して竜胆くんの上着を軽く引っ張ると、顎をくいとされて荒々しく唇を奪われた。





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