しまった、やってしまった。今日は午後からゲリラ豪雨に見舞われるから窓を閉めておくようにと言われていたのをすっかり忘れていた。雲行きが怪しくなってきて、思い出した時にはもう後の祭り。全開だった窓から大雨が吹き付けて廊下は既に水溜りだらけだった。青ざめた顔でひぃひぃ言いながら長い廊下を駆け回り、片っ端から窓を閉めていく。漸くひと段落ついた頃には上半身がびしょ濡れで、わたしはため息混じりにふぅと手の甲で顔を拭った。は〜、次は廊下をモップ掛けかぁ。モップを取りに行く為小走りでいると、丁度曲がり角から出てきたディストさんに驚いてぶつかりそうになる。「わっ、!」慌てて急ブレーキを掛けるけれど。ツルっ、と、廊下が雨に濡れていたのもあって足を滑らせて前のめりになる。転びそうになったわたしの事を、ディストさんが軽々受け止めて抱き寄せた。


「…大丈夫ですか?」

「…大丈夫です、」


ち、近い。普通に抱き締められている状態で何だか気恥ずかしいし。上手くディストさんの顔が見られない。堪らずばっ!と勢いよくディストさんから離れて、わたしはえへへと強引に笑顔を浮かべる。


「すみません、ありがとうございます。助かりました!」

「全く、あなたは相変わらずおドジさんですねぇ」

「いやぁ、面目ないです」

「待っていなさい。今モップを持って来て差し上げますよ」

「えっ!良いですよ、わたしが行きます!」


ディストさんにそんな事させられないと思って声を上げるけど、ディストさんは聞く耳持たずでさっさと行ってしまうのでディストさーん!!となる。…行ってしまわれた。ディストさん、本当に優しくて良い人なんだから。

あー、それにしてもドキドキした!吊橋効果もあるのだろうか。未だにドクドクと揺れる心臓に苦笑いを浮かべて右往左往していると、不意に何かに躓いてまた転びそうになる。…流石に、何もない所で転ぶ程のドジっ娘ではない、はず…、現に、躓いたというよりは足が何かに引っかかって払われた気がしたのだ。心臓がヒュッとして肺から乾いた空気が吐き出される。でも何故か、わたしの身体は地面に叩き付けられる事なく宙でピタリと止まっていた。


「…、」


腕を、誰かに掴まれている。やっぱりわたしはこの人に足を払われて転ばされたんだと確信しておずおずと振り向けば、特徴的な仮面と目が合って心臓が暴れ出した。えっ、しんく、!瞬時に慌てふためくわたしに気付いてか、シンクがふっと冷笑しながらぱっとわたしから手を放した。バランスを崩したわたしは見事にすっ転んで胸と顎と腕を打つ。い、痛い!痛いよぉ!?え、わたし虐められてる?それとも、遊ばれてる…?よく分からないシンクの挙動に少し不安になりながら起き上がると、シンクが無に近い表情でわたしの事を見下ろしていた。うっ、がっごいい!!そんな腕を組みながら冷たい面持ちでわたしを見つめないで、カッコいいから。もっとドギマギしちゃうから。シンクの行動も意味不明だけど、わたしの思考能力も大分ズレてるなと思った。

お互い何も言わず無言の状態が続く。何か、何か話を。そう思うのに。好きな人を前にすると思考も身体も硬くなって動けなくなってしまう。痺れを切らしたのか、先に言葉を発したのはシンクだった。


「…廊下、びしょびしょなんだけど」

「うっ、すみません」

「この間も花瓶割って怒られてたし。その前は何だっけ、破棄した資料が実は超必要資料だったんだって?」

「な、何故それを、」

「言われた事一つ出来ないなんて、相変わらず使えない使用人だね」


ぐさり。シンクの放った言葉が容赦なく胸の真ん中を貫いて確実に刺さっていく。グゥの音も出ません、申し訳ありません…。痛い所を突かれている。流石に傷付いて、肩を落としながら俯いた。「挙句の果て、何も無い所ですっ転ぶし」と言われたのには少し反論したい。いやいや、あなたが転ばせて来たんでしょう!と。でも一瞬だけシンクに腕を掴まれてしまったと思うと直ぐに気持ちが舞い上がって来るから超がつくほど単純なのだ。正直、ディストに抱き留められた時よりもドキドキした。


「…あんな、顔真っ赤にしたりしてさ」

「そそそ、そうですか!?」


えっ、やば、顔に出てたかな。なんて、今のこの反応だって凄く分かりやすい。そしてそれを見たシンクがまた鼻で笑って言うのだ。「良かったね」と。…良かったね?よく意味が分からなくて首を傾げると、顔面に何かを投げつけられてわぷっ、となる。…タオルだ。


「ディストと仲良く廊下掃除でもしてれば?」


なんて、そんなよく分からない捨て台詞を吐いて、シンクは行ってしまった…。え、何でそんな、期待してしまう様な事を言うの。




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