居酒屋にて
ガチャガチャ食器のぶつかる音があちらこちらから聞こえる。空とはいえあんなに沢山のビールジョッキを一気に運んでしまうお店のお姉さん凄いなとか思いながらグラスに口をつけると、ほんのり苦くて思わずうんと唸った。隣が空席で私が手持ち無沙汰なのに気付いたのか、野原くんがよっ、と親しみやすい笑顔で私の隣へと座った。
「あ、これなに?」
「えと、はいぼーる?です」
「え、随分強いの飲んでんね。てか何これでかっ!このジョッキでか!」
「ここの名物なんだって。通常の三倍量があってね、普通に飲むよりお得みたい。ネネちゃんが私の酔ってるとこ見てみたいからって」
「あー、なるほど」
比較的おとなしい部類に入る私が酔っ払ってハイになるところを見たいらしい。ネネちゃんは飲み会の度に私には度がキツいお酒を注文する。ハイボールとか、コークハイとか、焼酎類とか。正直喉は焼けるように熱くなって飲みにくいし私にとっては苦いだけだしであまり好きではないのだけれど、主導権はネネちゃんにあるため断れなかった。
いわゆる弄られキャラというやつなのです。まぁ私は別に皆とわいわい出来ればそれでいいかな、とか、思ってたりして…。さすがに三倍ジョッキはキツいけど(テーブルに置かれた時思わず二度見した。凄い重いし、強いし)でもネネちゃんにはこの一杯飲み終えたらナマエにも梅酒ソーダ注文してあげると言われてるので今はこれで我慢だ。とか思ってたら横から野原くんの手が伸びてきて私のハイボールを掻っ攫う。からんと鳴った氷の音にあと思う間もなく野原くんの喉が上下した。
「…うわ、濃っ」
んげーと歪められた顔にぽかんとしてると、野原くんのカシスオレンジが目の前にやってきて首を傾げる。「口直ししなよ」野原くんがもう一口私のハイボールを飲んだのにつられて、私も鮮やかオレンジをそっと口にする。甘くてすっきりする、ジュースみたいだ。
「何これおいし、すっごい飲みやすい」
「でしょ。ナマエちゃんもハイボールなんかよりこーいうの飲みなよ。てかこのハイボール強くない?ナマエちゃんこれ何杯目」
「えーとね、まだ2杯目、だね、うん」
「まだって言ってもでかジョッキなんだけど。見かけによらずお酒強いんだねー」
「いやいや、普通だよ。氷で大分薄まってきてたし」
えーなどと、野原くんが信じられないとでも言いたげな顔をしておつまみの合鴨をつまむ。私は後味スッキリーの甘いカシスオレンジの魅惑にやられてもう一口だけ口に含んで、ゆっくり味わってからごくんと飲み込んだ。これはもうハイボールには戻れないわというか戻りたくない。
「…でもナマエちゃんが酔ったとこ見てみたい気持ち分かるなー」
「え?」
「ね、酔うとどうなるの?」
「うーん、…あんまり大きな変化はないと思うけど…強いて言うなら、ハイテンションになる?くらいしか」
「ちょーふつーじゃん。なんか上戸になるとか、甘えたになるとか、キス魔になっちゃうとかなんかないの」
「うーん、そうなれちゃったら可愛いんだろーねぇ」
お酒を飲むようになったら顔を真っ赤にしながら男の子に絡んじゃったりするのかなとか思っていた時期もあったけれど、実際飲める歳になってから実感したのはあ、私お酒強い方なんだということだけで、二日酔いとかもあんまり経験した事が無かった。ちなみに、酔ったふりで甘えることが出来るほど私は器用じゃない。
「一度は自分でも覚えてないくらい酔っ払ってはじけてみたいとも思うんだけどね」
「お、いいじゃん。でも記憶だけは飛ばないようホドホドにしといた方がいいぞー」
言いながら、ぐびっとジョッキを傾け一気に半分くらい飲んでしまった野原くんに目を瞠った。えっ!と反射的に出てしまった声を慌てて抑えつつ野原くんの顔を覗き込む。
「そんな一気にいっちゃって大丈夫?」
「ん、へーき。ナマエちゃんも早く飲んじゃえ。一緒に空にしてさ、じゃないと
ネネちゃんにばれちゃうぞ」
「え…」
胸がきゅっとなる。野原くんて、さりげなく優しいんだよなぁ。とか考えつつ言われた通りアルコールを煽ると、不意に野原くんが私の頬に触れてきてむせた。「ナマエちゃんほんとザルなんだねぇ、全然顔熱くないし」いや、そんな事はない、はず。寧ろ上昇中だったりして。
「ほら、ナマエちゃんも一気一気」
「えー、」
「ナマエちゃんの酔ったとこ見てみたい!はいっ飲ーんで飲んで飲んで」
「野原くん」
「んー?」
「…酔ってる?」
「そんな訳ないじゃーん。ちょーっとだけね」
「うん、酔ってるんだね」
よく見ると野原くんの顔が赤らんでる。いつもテンション高めの野原くんが更にハイテンションになってて、ほらぐーっと!と言われ私も一気にカシスオレンジを流し込んだ。ジュースみたいでもちゃんとお酒らしく私の頬も熱を持ち出す。心なしかぽーっとしてきた意識にふわふわしていると、野原くんが私の肩にこてんと頭を預け凭れかかってきた。なにこれ可愛い。いつもだったらきっと狼狽して慌てるのに、今は思考回路が鈍くなってるせいであまり気にならない。私もこんな風に酔えたらなぁとすら思えてしまう始末で。
「野原くん顔真っ赤。お水いる?私もらってくるよ」
「…だいじょうぶ」
「ほんとに?」
「うん」
のっそり、野原くんが起き上がって私のことをじっと見つめてきたので見つめ返すと、「なんか心拍数上がってくるとさ、恋でもしてる気分になるよね」と突拍子もないことを言われて。え?聞き返す前に唇が触れたか触れてないかの距離でキスをされた。
「…」
「…」
「のはらー!ちょっと聞いてマジこいつ酷いからぁ!」
「…んー、今行くー」
呼ばれた野原くんが席を立ち上がる。しかも私のハイボールを持って行ってしまったし。結局全部飲んでくれるんだなー、ってね。その優しさに溺れてくー、みたいな?
「…あつい」
顔が熱いのは、多分お酒のせいだけじゃなくて。残された野原くんのカシスオレンジを少しだけ口に含むと、とてつもなく甘くて胸に染みた。
ー居酒屋にてー
(ちょ、野原飲み過ぎ。そんなんで帰れんのかよ)
(…ヤバイ、一気に回ってきた)
(酒強くないくせにハイボールなんて飲むなよな)
(だってハイボール辛そうにしてたんだもん。かっこつけたいじゃない、好きな子の前ではさ、)
20151120
みさちゃんの遺伝でしんちゃんはお酒弱かったらいいなって