放課後ロマンス
トオル君が好き。
頭のいい彼はよく私に勉強を教えてくれる、私の憧れていた人。柔らかく、凛とはっきりした彼の声が好き。その私の好きな声で名前を呼ばれると嬉しくなる。私もトオル君、と呼び返すと照れ笑いする、その表情も好き。私の手をそっと、でも離れないように握ってくれるトオル君の手はすごく温かくて。時々喧嘩もするけど、仲直りした後はもっとトオル君のことを知れたような気がするから、嫌いじゃない。トオル君が好き、大好き。初めての彼氏、私の大切な人。
…とか、委員会に行ってしまったトオル君を待ってる暇潰しにわざとそういう気取った感じで文章を書いていたら、最悪なことにトオル君本人に読まれてしまい「ナマエちゃんってポエマーなんだね」と言われた。恥ずかしい、普通に、恥ずかしい。ぎゃあああ!と乙女には有るまじき悲鳴を上げてトオル君の持つ羞恥心の元凶を引っ手繰ろうとすれば、彼は意地悪にも私の届かない高さまで紙を持ち上げてその先に目を通す。
「いやあああっ!それ以上はやめてええ!トオル君のバカぁ」
涙目で彼の背中をバシバシ叩いてやっと、トオル君は分かった分かったとその手を下げた。
「何をそんな必死に書いてるのかなぁ、って思って」
「う、だ、って、トオル君待ってる間暇だったから」
そう、最初は何となく書き始めただけだった。ルーズリーフを引っ張り出して、ペンを握って、なんとなく。それが段々と筆が乗り熱中し出してしまったため、いつの間にか戻ってきて私の肩越しに文章を読むトオル君の存在に気付けなかったのだ。はぁ、果たして彼はどこまで読んでしまったのだろう。出来ることなら綺麗さっぱり全部忘れてほしい。
「ちなみに、ここに書いてあることって全部ナマエちゃんの本音?」
「…一応」
「へぇー」
「…」
「じゃあ、そろそろ呼び捨てで呼ばれてみたいっていうのも本当?」
いやああ!そこを読まれたんなら確実にほぼ最後まで読まれてるよ!恥ずかしさのあまりちゃんとした言葉も出なくて、口をパクパクさせるだけの私は金魚さながら、顔もすごく赤かったと思う。こくり、ぎこちなく頷けばトオル君はふっと嬉しそうな表情を見せた。そして少し間をあけてから「ナマエ、」と私の名前を優しいトーンで呼ぶ。不意打ちはダメだよ、ずるい。どきんと跳ねた心臓に、しんと静まり返る教室内。「ちょ、何でしらけるの」と言ったトオル君の顔色もそれなりに赤かった気がした。
「トオル君、もしかして照れてる?」
「いやいやいや、そういうナマエちゃんこそ照れてるんじゃないの?顔真っ赤だもん。…それにこれね、思った以上に来るものがある」
照れ隠しなのか、トオル君は頬杖をつくなりプイとそっぽを向いてしまう。それきりお互いに黙り込んじゃって、再び静かになった教室は放課後らしく夕日が差し込んでいた。あ、なんか今の私たちちょっと青春ポイかも。…でも名前、呼び捨てにされただけでこんなにもドキドキ出来るなんて思わなかった。
「…トオル」
「っ…!」
なんとなく、私もトオル君の名前を呼ばないとフェアじゃない気がした次の瞬間にはもう口から出ていた。考える間もなく、ぽろりと、零れ落ちるみたいに。あ、と指先を唇に当てる。トオル君は心底驚いたような顔で勢いよくこちらを振り向き、手の甲で口元を押さえた。
「ちょ!何でそう不意打ちに…あぁもうっ、せっかく顔の熱引いてきたのに!」
トオル君はよっぽど熱いのか、ネクタイを緩めシャツの一番上のボタンをはずしてはパタパタと掌で自身のことを仰ぐ。真面目な彼はいつもきっちり制服を着こなしているため、少しでも着崩す姿が珍しくてちょっとばかり見入ってしまう。
「ね、もう一回呼んでみてよ、僕のこと」
まだほんのりと赤みの残る頬を隠すように、彼は頬杖を付きながら私の目をまっすぐ見つめて言った。
「トオル」
今度は意識して口にしたからだろうか。心臓が一回どきんと跳ねて、それを誤魔化す様にはにかんだ。
「改めるとなんか照れちゃうね」
「でしょ?」
「うん」
「…ナマエ」
「トオル」
「ナマエ」
「トオル」
お互い見つめ合ったまま名前を呼び合う。もしネネちゃんが見ていたら「このバカップルが」とか舌打ちされそうな状況だ。でも目を逸らしたら負けな気がするとかいう変な意地のせいで、私からは逸らせそうにない。
「普段の学校生活でもこう呼んでいい?」
「それは駄目!」
「うわ即答…何で?やっぱり恥ずかしい?」
「恥ずかしいっていうのもあるけど、」
付き合い始めてからも、学校ではずっと名字で呼び合っていた。下の名前で呼ばれるのは二人きりのときとか、主に学校外で。だから私たちが付き合ってることを知っている人はそんなに多くないらしい。でも友達はさすがに知ってるから、たまにそういう話題になるんだけれども、
「私がトオル君のこと名前で呼ぶと、友達も真似してトオル君って言うんだもん」
「え、それって…」
「ごめんね、独占欲強くて」
「いやいや全然…うん、そっか」
焼き餅を妬く側はモヤモヤしたり切なかったりするけど、やはり妬かれる側は嬉しいらしく、トオル君は緩む口元に手を当て微笑していた。がたん。彼が椅子を引き、座りなおす。先程よりも近くなった距離に無意識のうちにも身構えた。
「僕も時々あるよ、そういうの。特にしんのすけがべたべたナマエちゃんに絡んでるの見るとモヤモヤする」
「へ、そうだったの?」
「うん」
知らなかった。だって野原くんは誰にでもフレンドリーに絡むし、優しいし、何よりそれ以前に同年代の私は年上好きの彼には恋愛対象外なのだから。…へ〜、そうだったんだ。今度は私がにやにやと口角を緩める番。しかしトオル君は何を思ったのか、不意に私の手を引き寄せ握りしめると、やんわり私の好きな笑みを浮かべて言った。
「僕もナマエが好きだよ。勉強を教えてるとき、真剣に取り組む君が好き。柔らかくてふわふわした声が好き。手を握ると、僕のよりも小さい手でしっかり握りしめ返してくれるところが可愛いと思う。あとは何だっけ…そう、喧嘩は辛いけど、仲直りした後にもっと距離が縮まった気がして僕も嫌いじゃないかな」
じわじわと、顔に熱が集っていくのが分かった。極め付けに「僕もナマエが好きだ、僕の大切な人だよ」と相変わらずの柔らかい笑みで言われては堪らない。
「う、ありがとう…けどそれはもう忘れて、本当に忘れてっ!」
「えー、どうしようかなー」
「…トオルって時々意地悪だよね」
「こんな僕は嫌い?」
「ううん、好き」
「…そう」
未だ握りしめたままの手を愛しげに撫でた後、彼の指はするりと私の頬を滑りぬけ熱を持つ熱い首に触れる。じっと熱っぽく見つめられまたもや目が逸らせない。
「ここ、学校だよ?」
「知ってる。でも僕らの他には誰もいないから」
確かめるように言ったセリフが見事に上書きされる。いたずらに笑ったトオルが顔を傾け、唇を寄せる。掛かる影に、そっと瞳を閉じて身をゆだねた。
−放課後ロマンス−
(こらー、もう下校時間過ぎてるぞー)
((っ…!))
(ほ、本当だ大変!風間くん今日はありがとう、勉強助かっちゃった!)
(ううん別にっ、じゃあ帰ろうか!)
(お前ら暑いのか?すごい汗だぞ)
((顔が熱いのは夕日のせいです!))
(いや夕日関係なくね)
20140610
べったべたな展開