今年も夏が来ました
「あれ、」
「…!?」
「もーしんちゃん、また不法侵入?」
がらり、滑りの悪い縁側のドアに力を込め一気に横へ引くと、何故だかそこにはしんちゃんが腰掛けて居て目が合った。私もビックリしたけど、しんちゃんはそれよりも更に驚いたらしい。目を見張り、私の頭から爪先までを確かめるように何度も視線を往復させる。
「ナマエちゃんだ」
「?うん、そうだけど」
「あ、やー、ごめんね、縁側から失礼して。ナマエちゃんいると思わなくてさ」
「まぁ夏休みだし。そりゃあいますけど。ていうか居ても居なくてもちゃんと玄関から入ってよねー」
「うん、次はそうする」
「待ってて、今お茶いれるから」
「別にいいよ、お構いなくー。それよりも俺、ナマエちゃんに渡したい物があってさ」
「渡したい物?」
「うん、だから今日会えて丁度よかったぞ」
そう、しんちゃんがリュックからお菓子の箱を手にして私にほいと差し出した。水まんじゅうと表記の入ったそれに私は目を丸めて彼を見る。
「これ、開封したあとがあるね」
「うん、俺が先にね、味見しといてあげたの。安心して、普通に美味しかったから」
「…」
箱を開けて見てみると、水まんじゅうが整列している中空洞が二つ。呆れすぎて逆に笑ってしまった。和菓子があるなら、尚更お茶を出さない訳にはいかないね。
「やっぱりお茶いれてくる、それで一緒に食べよ?水まんじゅう」
くるりと踵を返し台所へと向かう。しんちゃんは無表情で私の行動を見つめていて、それがなんとなく胸に引っかかったけど気にしないことにした。ちりん。庭先にある風鈴が生温い風に吹かれて音を立てる。今年の夏も暑いらしい。さっきテレビで確認したから間違いないと思うのだけれど、言うほど暑くないと感じるのはウチの庭にグリーンカーテンがあるからなのか。
「はい、お待たせ」
「ん、あんがと」
二人で一緒に、水まんじゅうを頬張りお茶を飲む。しんちゃんの持ってきてくれた水まんじゅうは、とても甘くて美味しかった。もちもちだ。
「しんちゃん」
「んー?」
「しんちゃん、凄く暑そう。汗、凄いね」
「まぁ夏だし。もうじっとしてるだけで汗じっとり滲みまくりだよねー」
やっぱり今年も暑いんだ。しんちゃんからは次々と汗が噴き出していて、頻繁に額の汗を拭ったりしている。私もそっと手を首筋に当ててみるけど、汗でしっとりどころか肌はすべすべしていて、さすがに少しだけ疑問に思った。
「私ぜんぜん暑く感じないんだ、今年の夏」
「…」
「何でかな」
「スイカの食べ過ぎ、アイスの食べ過ぎ、心霊番組の見過ぎ。違う?」
「う、あってる、けど」
「それでしょ」
でもそれってちゃんとした理由付けにはならないような…。私が深く考える前に、しんちゃんが「それに俺今来たばっかだから汗余計に凄いんだよね、多分。ナマエちゃんはナマエちゃんでさ、もともと低体温だったじゃん。暫くしたら俺の汗も引くって」と言ったので私もそれで納得しようと小さく頷いた。
「そういえば素敵だね、そのお花。かわいい」
「えへへ、いーでしょー。この後ある女の子にプレゼントしてくるの」
「…ふーん、そっか」
小さく束ねられた、薄い紫色の花びらを指で弄りながらしんちゃんが言う。ちょっぴり期待してしまった私を見透かしたように、「妬いた?」とかしんちゃんが悪戯に笑うものだから私もついつい意地を張ってしまう。
「なっ、そんなんじゃないもん!」
「はいはい」
「…誰にあげるの?」
「あ、やっぱ気になってるんだ」
「ぅ…少しだけ」
「…俺の好きな子に、ちょっとね」
「!…じゃあ本当は私じゃなくてその子に会いに来たんだ」
「えー、それはどうかなぁ」
「だったら早く行きなよね。こんなところで油売ってるとあっという間に夕方になっちゃうよ」
「拗ねない拗ねない」
「拗ねてないもん!」
ふい。怒ったように顔を背けるのは少し子供っぽかっただろうか。いじけて体育座りするけれど、しんちゃんは相変わらず花びらをくるくると指で弄っている。しんちゃん、好きな子いるんだ。そっか。切ない気持ちでこっそり盗み見たしんちゃんの横顔が、やけに大人びている気がして、あれと思った。しんちゃんてこんなに落ち着いた雰囲気してたっけ。そりゃまぁ私たちももう子供ではないから当たり前なのだけど。でも可笑しいな、前に見たときはもう少し、…あれ?そういえば私たち、
「ナマエちゃん」
最後に会ったのって、いつだっけ。何か思い出そうとしたところでしんちゃんが私の名を呼ぶ。驚き顔を向けると、目の前には薄紫の花。
「え、なに?」
「ナマエちゃんに」
「…でも、さっき、」
「あれはただのジョークだぞ。う、そ。ほんとにナマエちゃんてばからかいがいがあるよねー」
「え、」
なんだそれ。やっぱりしんちゃん全然変わってない、なんだそれ!じんわりと、脳の奥から痺れていくような感じに見舞われて、ついでに胸の奥がきゅんと疼いたような感じがした。あ、やば、い。嬉しい。
「どこからどこまでがジョーク?」
「ご想像にお任せするぞ」
「なにそれズルい」
恐る恐るしんちゃんの手から花束を受け取り、そっと顔まで持ってくると甘い匂いがした。
「これ、なんていうお花?」
「ナデシコだって。店員さんにね、夏に咲く可愛らしいお花ですよってオススメされて」
花言葉とか、期待してもいいのだろうかと考えた私のそれは早々に打ち砕かれてしまう。あ、だよね、しんちゃんそこまでロマンチックじゃないか。それどころか店員さんチョイスだもんね。
「可愛らしいナマエちゃんにピッタリだと思ったから、それにしたんだ。ほら、よく似合う」
花の束からするりと一本抜き取って、私の髪に上手く括り付けると柔らかく笑ってみせる。二人の距離が縮まって緊張した。確かめるように、とても愛おしげに私の頬を撫ぜる彼の手が熱い。熱すぎて、溶けだしてしまいそうだった。
「ナマエちゃん」
「うん」
「好きだぞ」
「…」
「ふはっ、照れてるの?顔真っ赤だぞ」
「っ!うーるーさーいー!」
頬にあった手を払い除けて、咄嗟にそっぽを向く。しんちゃんはクスクスと笑うのを止めない。
「しんちゃんちょっと目瞑ってて」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「えー、可愛いのに」
「いいから早く」
「やーだ」
「もうっ、意地悪」
渋々といったように彼の目が伏せられたのを確認してから、私もゆっくり彼に向き直った。
「いつまでこうしてればいいの」
「私の顔から熱が引くまでだよ」
「えー、」
「えーじゃありません」
パタパタと手を使って仰ぎ、早く元に戻れと自分に言い聞かせる。それでふと見たしんちゃんの顔に、何故だかは分からないけどなんとなく切なさを覚えて、
「…、私も、大好き」
今言っておかないと、駄目な気がしたから。
ー今年も夏が来ましたー
真っ暗な視界の中で聞こえた声に、そっと目を開けた。しかし、目の前にはさっきまでいた少女の姿はない。
「…ふぅ」
もう長い間人が住んでいない彼女の家はとても埃っぽく、縁側に腰掛けると木の軋む音がした。だから先ほどここの引き戸が開いたときは心底驚いたものだ。それも何事もなかったかのように出てくるから、尚更ね。
飲みかけのお茶に、食べかけのお饅頭。ナデシコの花束は彼女と一緒に消えてしまった。会いに来たつもりだったけれども、どうやら会いに来てくれたのはナマエちゃん方の方だったみたいだ。
「…おやすみ、ナマエちゃん」
ぽつり、呟いた独り言はしんと静まり返ったこの場に消えた。生温く吹いた風に風鈴が鳴る。いつの間にか聞こえなかった蝉の鳴き声と、じっとりとしたような暑さに、もうすぐ夏も終わりかとしみじみ思った。
20140820
自分が死んだことに気づいてない女の子としんちゃん