「…んっ」


小さく身動ぎをして、何度かゆっくりと瞬きを繰り返す。薄いカーテンの隙間から差し込む淡い光をボンヤリ見つめながら、わたしはおもむろに視線を彷徨わせて寝返りを打った。


「(…ここは、)」


部屋の造りは一緒だけど、カーテンやシーツの色が違う…。わたしの部屋じゃない…?という事は、


「っ…!」


がばっと勢いよく起き上がって部屋中を見回す。わたしお気に入りのぬいぐるみが無い。ギターとちょっとエッチな本に変わっている。このデジャヴ感間違いない、ここは男の子であるわたしの部屋だ。


「…ドラミくん」


無意識のうちにポロリと彼の名前が零れ落ちて。胸の奥の方がギュッとなった。戻ってきた。本当に、ドラミくんの世界に戻って来れたんだ。完全に目が冴えた所で、そのままベッドから抜け出しカーテンを開ける。時計を見て時間を確認すると、まだ夜が明けたばかりでほんのりと薄暗かった。どうしよう。何だかソワソワして落ち着かない。ドラミくんに連絡をしてもいいのだろうか。今更、どんな顔をして会えばいいんだろう。なんて、そんな事を言ったらまたキッドくんやナマエくんに怒られちゃうかな…。正直突然の事過ぎて頭がついて行けなかったけど。それでも会いたいというのが今一番の純粋な想いだった。ドラミくんに会いたい。

意を決したように顔を上げ、寝室の扉へと手を掛ける。決めた。顔を洗って、朝ごはんを食べて、お化粧をして。ドラミくんに会いに行こう。今度はわたしから、ドラミくんの事を迎えに行こう。そう、ノブを捻り寝室を出てからはたと気がつく。テーブルの上が散らかっている。チューハイの缶と、ちょっと渋めのおつまみ。ナマエくんが飲んでたのかな。そう何気なくソファの方を覗き込んで、心臓が止まるかと思った。


「っ…!な、」


ど、ドラミくん…っ!そりゃあ、会いたいとは思っていたけど不意打ち過ぎない!?突然の事態に心臓が、ドキドキして…。つい挙動不審に後ずさると家具に当たってそれなりの音が鳴った。ドラミくんの、目元を覆い隠すようにして置かれた腕がピクリと身動ぎを見せるのでついビクビクとしてしまう。小さく呻き声を上げたものの、まだ起きる気配は無いのでホッと安堵の息を吐いた。そっか、昨夜はドラミくんと男の子のわたし、二人で飲んでたんだ…。


「(…ドラミくん)」


もっとちゃんと顔が見たい。でも今彼の腕に触れて退かしたら、きっと起こしちゃうだろうと思った。不意に鼻の奥がツンとして、一瞬だけ涙腺にジワっと来る。もう会えないと諦めていた愛しい人。再会までもう少しだけ、この気持ちは取っておこう。そう、なるべく音を立てないようにして立ち上がって、キッチンまで向かおうとした時だった。ぱしり。突然手首を掴まれたのに驚いてびくりと飛び上がる。恐る恐る振り向くと、体勢を変えずにわたしの手首を掴んだままのドラミくんが、ボンヤリとわたしの名前を呼んだ。


「ナマエ…」


ごめん、水ちょーだい。寝起き特有の、少しだけ掠れていて低めの声。色々な意味でドキドキしつつ、「うん、ちょっと待っててね」と返事をした。一拍置いてから、ドラミくんが違和感に気が付いたように「うん…?」と疑問符を飛ばす。ゆっくりおもむろに退かされていく腕。まだ朧げな瞳がわたしの姿を捉えて、そして、


「っ、えっ!ナマエちゃん!?」


弾かれたように目を大きく見開きながら、ドラミくんは改めてわたしの名前を呼んだ。







ふとした瞬間に目が覚めて何度かおもむろに瞬きをした。隣に誰かのいる気配がする。ナマエもう起きたのかな。ハッキリとしない意識の中でそう思って、その気配が遠くへ行ってしまう前に手を伸ばして引き留める。掴んだ手首がナマエにしては細過ぎる気がしたけれど、曖昧な意識の中では特に気にならなくてそのまま水を要求した。


「うん、ちょっと待っててね」


返ってきた返事に、というよりは声に、分かりやすく戸惑って狼狽する。目元に置く事で光をシャットアウトしていた腕をゆっくりと退かせば、そこには会いたくて堪らなかった僕の大切な人がいて。思わず自分の目を疑った。夢でも見ているのか、それとも、まだ酔いが覚めていないのか。そんなフワフワとした寝起きの頭で混乱しながらも、僕はこの現実を確かめるように、大好きな人の名前を呼んだ。泣きそうな顔で、でも満面の笑みで、ナマエちゃんは大きく「うんっ」と頷いてみせる。

なん、で…パラレルワールドを行き来出来る未来道具を買ったんだと自慢げに話していたナマエによれば、ナマエちゃんがこの世界に来るのは明日だったはず。それに備えて僕は大きな花束を用意してナマエちゃんの目が覚める前から彼女の側にいて一番におはようとお帰りを言うはずだったのにちょっと待って何この状況!?えっ、


取り敢えず起き上がり、アルコール独特の気怠さを感じ取りながら視線を彷徨わせる。すると、散らかるテーブルの上に一枚の走り書きを見つけて手を伸ばした。間違いない、ナマエの字だ。カッコ悪いトコもちゃんと見てもらえ笑。読んだ瞬間思わずくしゃりとメモを握り潰した。ナマエのやつ、騙したな…!笑じゃないよ笑じゃ!カッコつけてんじゃーねぞという意味らしいが、男だったら好きな女の子の前では常にカッコ良くありたいじゃないかと僕は思うのだ。ありのままのドラミを見てもらえ、ナマエはそう言いたいんだろうけど。それにしても酔っ払いでヨレヨレで寝起きのだらしない姿を見られるのはしんどいって!機嫌悪そうに顔を顰める僕の事を、ナマエちゃんが心配そうに呼ぶのではっとする。


「ごめん、カッコ悪い所見せちゃった」

「え…?」

「…ゆうべ、結構飲んでて。お酒臭いでしょ。寝起きだから髪もぐしゃぐしゃだし、瞼重いし」


はぁ…。零れ落ちたため息に、ナマエちゃんは一瞬キョトンと呆けた顔をしたけど。直ぐにクスクスと笑って柔らかい眼差しで僕の事を見つめた。


「それを言ったらわたしも寝起きでノーメイクだし、寝癖酷いよ」

「… ナマエちゃんは寝起きだって可愛いから」

「なっ!も、う、直ぐそういう事言うっ…ドラミくんこそ!寝起きでフワフワしてるのが可愛いもん」


二人して向き合いながら、殆ど同じタイミングでふっと吹き出して笑う。エルマタドーラやキッドが見ていたら、このバカップルがと一蹴されてしまうだろうか。それとも、呆れられてしまうかな。淡く口元に笑みを浮かべて微笑むと、ナマエちゃんがそれにねと続けるのでチラリと視線を向けた。


「…少し嬉しかった。無防備なドラミくんが見られて」


そう悪戯に笑った表情に目を奪われてキュンとする。ナマエちゃんがおずおずと僕の手を取って、柔くしっかりと握り締めた。


「一緒に過ごす朝はきっと、こんな感じなんだろうなって思った」


本来ならば、来るはずの無い朝だった。手を握って、抱きしめて。好きだと伝えて唇を重ねる事。今なら許されるだろうか。ナマエちゃんも考えている事は同じらしい。少しだけ期待の込められた瞳で見つめられてドキッとする。伸ばした手で髪に触れ、そのまま頬へと滑り込ませれば緊張したように肩を強張らせるナマエちゃん。おずおずと僕の服の裾を握る。どこかソワソワと落ち着かない、不安そうなその表情を宥めようと、僕はゆっくり腕を回してナマエちゃんの事を抱き締めた。


「これでもう、ずっと一緒にいられるのかな」

「…確かめてみる?」


そう訊ねるとぎこちなく頷いて、ナマエちゃんは睫毛を震わせながら瞳を伏せた。そっと寄せた唇から柔らかい感触が伝わる。初めてのキスは、サヨナラのキス。二度目のキスは、おかえりなさいのキス。ギュウと抱きしめたナマエちゃんの身体は柔らかくて温かい。夢でも幻でも無い、そこにナマエちゃんがいるという実感にほんの少しだけ目元が潤んだ。


「おかえりなさい、ナマエちゃん」

「…うん、ただいまっ」


大好き、もうキミを離したくない。そう囁くと、ナマエちゃんも涙声で頷いて。わたしもと笑った。まるで今まで言えなかった分を補うように、何度も何度も好きという言葉を紡ぎながら。僕らは朝焼けに染まる中でもう一度だけ静かに唇を寄せ合った。



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