ドラミくんとサヨナラをして、早くも1ヶ月が経とうとしていた。失恋だってきっと時間が心の隙間を埋めてくれる。そう思っていたし、実際巡るましく忙しい時間を過ごして少しずつ日常を取り戻し始めていた。あぁ、なんだわたし、意外と元気じゃん、なんて。けれどふとした瞬間にドラミくんの事を思い出してしまうから堪らない。些細な事一つ一つがドラミくんを連想させて、その瞬間堰を切ったようにぶわっと涙が込み上げてくる。元気なのは本当だけれど、大丈夫かと聞かれたら正直大丈夫ではない。わたしは今でもドラミくんに未練タラタラだし引きずりまくりだ。


「……ふぅ」


長い沈黙の末、そうしてずーんとしたオーラを纏いながらため息を吐く。最近は時間に余裕があるといつもここに来ている気がしてヤバいなと思った。ドラミくんに告白された森林公園のベンチに座って、わたしの脳内ではあの日の思い出が鮮明に思い起こされる。顔が赤いのは夕陽の所為だったのか。彼が緊張しているのはすぐに分かったし、想い人から紡がれる好きという言葉の破壊力が凄まじいというのに、その時始めて気付かされた。膝を抱えて、ベンチの上でちょこんと丸くなり目を潤ませていると、不意に隣へと腰掛ける人影があってびくりと身構えた。


「…、キッドくん」

「よっ」


ニカッと眩しく笑ってみせるキッドくん。久し振りに会ったこちらの世界線のキッドくんは、同じキッドくんなのにやっぱり別世界のキッドくんよりも柔らかくて親しみやすい気がした。なんて、別世界のキッドくんが聞いたらなんだと!?と言ってまた怒られちゃうかな。微妙に口角が緩んで笑みが零れる。隣にいる穏やかな方のキッドくんが、どこか気まずそうにしながら言葉を発した。


「…あー、その、元気か?ちゃんと飯、食ってんのか?」

「うん。元気だしご飯もちゃんと食べてるよ」

「そ、そうか…」

「うん…ふふ、キッドくん、慰めるのヘタッピだね」

「ううううるせぇ!」

「ふふふ、あはは」


慌てた挙動のキッドくんが可笑しくてつい笑ってしまうと、キッドくんが溜息を吐いた後になんだと笑った。僅かに首を傾げながらキッドくんの方を向く。


「ちゃんと笑えてんじゃん。もっとショック受けて、大号泣してんのかと思った」

「…だから言ったでしょ?元気だよ、わたしは」


真っ直ぐと前を向いて遠くの景色を見据えていると、不意に視線を感じて再び横へと視線を戻す。キッドくんがじいっとわたしの顔を凝視しているので、ついその気迫に押されてたじろいだ。


「…?えっと、なぁに?」

「…いやぁ、お前さ」

「うん…?」

「前より可愛くなったな」


……へ、と。中途半端に開いた唇をそのままについ呆けてしまう。そしてワンテンポ置いてじわじわと顔に熱が集まりだした。確かに、わたしはドラミくんに恋をして少し変わったかもしれない。ドラミくんにもっと可愛く見られたいと思うようになって、お化粧の仕方を変えたり髪型のアレンジにチャレンジしてみたり。けれどそれをまさかキッドくんに指摘されるとは思っていなかった。彼女の親友にそんな直球に可愛い、だなんて。不覚にもドキッとしてしまった。キッドくんがフリーでわたしに好きな人が居なかったらうっかり恋に落ちていたかも分からない。そんなんだから天然垂らしだとか言われちゃうんだよ、キッドくん…。なんて、ドラミちゃんの怒る理由がよく分かった気がした。


「お前の言う通り、俺は慰めるのとか上手くないし、こういう時どんな言葉掛けたらいいのかもよく分かんねぇけどさ」

「…うん」

「話ならいつでも聞く。ナマエが泣きたい時は、ずっと泣き止むまで側にいてやる。だからさ、」


無理だけは、すんなよ?って。キッドくんが苦笑いしながらポンとわたしの頭を撫でた。あれ、可笑しいな。なんか、急に涙が込み上げてきて、


「(止まんないや)」


ポロポロ。キッドくんの優しい言葉に感激しているのは一目瞭然で。わたしは次々溢れ落ちる涙を指先で拭いながら、やだなぁと同じ様に苦笑いを零す。


「駄目だよ、ドラミちゃんの彼氏がわたしにそんな事しちゃあ」

「そのドラミから頼まれた事だからいいんだよ!ギリギリセーフだ」

「え…?」

「…自分が側にいたら、ナマエにまた思い出させて辛い思いをさせちまうかもって。だから代わりに、今は俺がお前の側にいて欲しいんだと」

「…」


ドラミちゃん。とことんわたしの事を思って、心配して、気に掛けてくれるドラミちゃん。ほら、これ使え。そうキッドくんに手渡されたのは紛れもなくドラミちゃんのハンカチで。どうしようもなく胸がギュッと詰まった。つい咽び泣いてしまうと、キッドくんがあやすようにトントンとわたしの背中を叩いてくれる。そうしてわたしが泣き止むまで、本当にキッドくんはずっと隣に居てくれた。







不思議な夢を見たのは、丁度その晩のこと。沢山泣いたからかな。何だか凄い疲労感に襲われてその日はすぐ眠りへと落ちたはずなのに。ガクガク身体を揺さぶられて目が覚めた、はずだった。けれど視界いっぱいに広がるのは何もない不思議な空間。…何だか変な感じ。少し歪んでいるような、ボヤけているような。なんなんだろう此処はと混乱していると、「ここは夢の中だ」と聞き覚えの無い声がした。声のした方を見てみると、何処と無く見覚えのある青年が一人、わたしの前に立っていた。


「…夢?」

「そう。本来なら交わり合う事のない、別々の世界線にいる君と俺を繋いでいられる唯一の空間、とでも言おうか」


そんな事を言う彼に確信を持ってやっぱりと一歩あゆみ寄る。この人はもう一つの世界線のわたしなんじゃないか。直感でしかないけど、何となくそう思ったし恐らくその推測は正しいんだと思う。ゴクリ。密かに唾を飲んでまじまじと彼の顔を見つめてみる。彼もじいっとわたしの事を見つめ返していて、まるでお互いにお互いを品定めしているみたいだった。

…それにしても意外だ。正直わたしの写し鏡だし、もっと冴えなくてパッとしないイメージだったのに。男の子バージョンのわたし、結構カッコいいかもしれない…。だなんて、つい見惚れてソワソワしていると、急に顰めっ面で「あのさ」と顔を寄せられビクっとする。


「は、はい、」

「ドラミに聞いたけど君バカなんじゃないの」

「なっ、ば、バカ!?」

「バカでしょ。折角掴んだ幸せ自分から手放してんじゃねーよ」

「そ、れは…」

「二人して俺の事気遣っちゃって…本当、バっカじゃないの」


男のナマエくんは、何というか、とても辛辣で遠慮がない。思わずヘコんでしまいそうになるけれど、それはツンデレさんがよく使う台詞だと気がついて何とか持ち直す。実際、ナマエくんはわたしとドラミくんの事を思いやって苦々しい表情を浮かべていた。


「あの後ドラミってば抜け殻みたいにボケっとしちゃってさ。そのくせ俺の前では強がって大丈夫だとか言って。嘘つき、どこが大丈夫なんだよ」

「…そう、なんだ」

「…ほら、やっぱり君も。嬉しそうな泣きそうな顔してさ。そんなお互い辛いだけなら、自分の幸せ貫けっつーの!」

「なっ、ナマエくんは何も知らないからそうやって言うけど…!わたし達だって一緒にいる分の代償はあったんだもん!両思いになったら強制生還だよ!?キスもハグも出来ず好きだとすら言えなくて。そのもどかしさに耐えきれずに遅かれ早かれわたしはこの世界に帰ってきてたと思う…!」

「大体そもそも君の願い事が甘いんだよ…!どうせだったら男のドラミに出会ってビビッと来るような恋愛して結ばれたいってトコまで祈っとけよ!」

「まさか本当に叶っちゃうなんて思わなかったんだもん!仕方ないじゃないっ、そんな風に攻めないでよ!」


ナマエくんがあまりにも無神経な事を言うからついカチンときてわたしもわぁわぁと、色々言い返してしまったけれど。お互いぜぇぜぇと息を荒くしながらも、「…まあ、今更カリカリしてもしょうがないか」とナマエくんの方が先に折れてくれた。そういえば、他人を相手に声を上げて言い合いになるのは、久しぶりな気がする。自分の裏返しだから遠慮が無くなってしまっているのだろうか。冷静になって考えながら、わたしも自分の子供っぽさを反省してつい俯く。


「…ううん、わたしの方こそごめんなさい。言い過ぎました」


そう零すと、ナマエくんは小さく笑って「ん、」と手を差し出した。何だか、聞いていた通りサッパリしていて引っ張ってくれる、凄く爽やかな人だなぁと思いながらその手を握り締めた。


「まぁ、今回俺がここに来たのはそんな事を言う為じゃあ無くて」

「う、うん」

「朗報を持ってきたんだ」

「朗報…?」


にっ、と彼の口元が綺麗に弧を描く。明るくて親しみやすい、とても人懐っこい笑みだった。


「戻れるよ。ドラミの、君の愛した人のいる世界線に」

「…え」

「結論から言うと未来道具を買ったんだ。そういうパラレルワールドを行き来出来るやつ」

「ほんとう、に…?」

「あぁ。やっぱり持つべきものは未来道具だよな。今度は一方通行じゃない、行ったり来たりが出来るから、俺も君も親友を失う事はないって訳だ。良かったな」


じわりじわり。夢の中なのに。確実に涙腺が緩んで目元が潤んだ。そんなわたしを見て泣き虫だなぁとナマエくんが笑っている。


「で、でも、未来道具って結構高いんじゃあ…?」


鼻声になりながらそう訊ねてみると、途端にナマエくんがピシリと石化するので唖然とした。彼の笑顔が引き攣った物に変わってぎこちなく視線を逸らされる。え、あれ、これはもしかして相当な額なんじゃ…。そう思うと段々わたしの顔色も悪くなってきた。


「ま、まぁ、ローンを組む羽目にはなったが、…大した事じゃねーよ」

「ローンっ…!わっ、わたしも払うよ…!割り勘でいい…?」

「はあっ!?いらないから!」

「でも、元はと言えばそれはわたしの為に…」

「いいのー!女の子に払わせられるか!」

「そういう訳にはっ!」

「そんなに言うならさ、君が俺の金で買った服やら化粧品やら、その分払ってくれたらもう十分だから」

「うっ、も、勿論です。でも、」

「君もしつこいな!俺がしたくてしてるんだからいいんだよ。どーせだったらドラミに払わせるし。つーか、これで君の幸せが買えるなら安いもんだろ」


わたしは、幸せ者だ。わたしを大切にしてくれる親友がいて、わたしを想ってくれる大切な人がいて。裏側にいるもう一人の自分ですらわたしの事をこんなにも気遣ってくれる。こんなに幸せで、いいのかなぁ。閉じた瞳から涙がじんわり滲んで溢れていく。


「ドラミと喧嘩でもした時は遠慮なく入れ替わってくれよ」

「ふふ、そうする…ありがとう、ナマエくん」

「…彼氏いた事無いって聞いてたからどれだけブサイクなんだと思ってたけどさ、君フツーに可愛いじゃん。地味で冴えないだけで」

「なっ、え、ええっ!?ひどっ、」

「はは、一応褒めてるんだけど…じゃあな、ナマエ。俺の分まで、ドラミとお幸せに」

「…うん、ありがとう。わたしも、ナマエくんに沢山の幸せが舞い降りる事をお祈りしてるよ。入れ替わる時は、お礼に高級なお菓子用意しておくね」

「はは、それは楽しみだな」


君に出会えて良かった。最後にお互いそう呟きあって、わたしは白く霞んでいく視界にそっと瞳を伏せた。



20201128



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