話があるんだと、ナマエちゃんにそう呼び出されて素直に違和感を感じた。中々夜も遅い時間だったので迎えに行くと言ったけれど、ナマエちゃんは大丈夫と断り電話を切る。電話越しでも分かる程暗い声をしていて、僕は胸の奥でザワザワとひしめく嫌な物を感じ取りながら出掛ける支度をした。

約束の場所に着くとナマエちゃんは一人、静かに月や星の浮かぶ空を見上げていた。お待たせと声を掛けるとはっとしたみたいに僕へと視線を向ける。泣いていたのか、彼女の目元が僅かに腫れて赤らむのが街灯越しに見えてヒヤリとした。


「ナマエちゃん…?」

「ごめんね、こんな時間に。どうしても話したい事があって」


嫌だ、聞きたく無い。何でそう思ったのかは自分でもよく分からない。でもよくよく考えるとその時から僕はもう嫌な物を感じ取っていて、殆ど直感のような物だったんだと思う。それでも駄々を捏ねるだなんて大人気ない事をする訳にも行かず、僕は小さく頷いてナマエちゃんへと向き直った。


「…あっちに行こっか。大きな湖があってね、蓮の花が沢山咲いてるの。月明かりに照らされてて、凄く綺麗なんだよ」


空は満点の星空で、それが湖に反射するのがまた神秘的なの。そう続けたナマエちゃんにゆうるりと頷いた。知ってるよ。それは僕のお気に入りの場所だったし、きっと君の好きな場所でもあるんだよね。よくナマエと二人でここに来ては寝そべって夜空を見上げていた。男二人で虚しくなるかなと思ってたけど、存外そんな事はなく。いつかお互いにさ、本当に好きな子が出来たら、その子達連れてダブルデートしようよなんて、ナマエが楽しそうに笑いながら言っていた。俺に本気で好きな子が出来るまで、ドラミ待っててくれる?そう、星を見つめたまま訊ねるナマエは凄く寂しそうな横顔をしていたっけ。


「…当たり前じゃん」


僕たちがそんな約束を交わしていたのと同じように、女の子の僕とナマエちゃんもきっと、この場所で何か思い出深い事があって大切な場所にしていたんじゃないかなぁ。そしてその場所で今、僕はその好きな子とこうして星を見上げていると思うと何だか不思議な感じがした。そっと草の茂る上に腰掛ける。ナマエちゃんにはハンカチを貸してあげて、ありがとうと落とされた声が静かな夜にそっと溶けた。


「…綺麗だね」

「ねっ。…ずっと、ドラミくんと来てみたかったの。いつか本気で好きな人が出来たら、ここで並んで星を見上げるのが夢だった」


ふふ、本当に叶っちゃったや。そう言うナマエちゃんの表情は確かに綻んでいたのに、どことなく寂しそうで儚げで、またさっきの騒めきがぶり返す。何だろう、この感じ。…凄く、嫌な予感がする。咄嗟にナマエちゃんの手を取って握り締めた。ドラミくん…?ナマエちゃんが不安そうに僕の方を見やり首を傾げる。


「…ごめん、なんかナマエちゃんが遠くに行っちゃう気がして」


そう胸の内を綴ると、ナマエちゃんは困ったように眉をハの字に下げて苦笑いを浮かべた。否定しようとしないナマエちゃんに、疑念が確信へと変わる。もしかして、ナマエちゃん、


「帰ろうとしてる…?」


真っ直ぐナマエちゃんの瞳を射抜きながらそう訊ねた。ナマエちゃんはギクリとしたように一度跳ねて、耐え難くなったように僕から視線を逸らして。少し間を空けた末、うんと頼りなく頷いてみせたのに自然と眉根が寄った。


「…どう、して」


嫌だ、キミを帰したくない。ずっと一緒に居たいよ、なんて…。女々しすぎるのは分かっているけれど。今引き留めなかったら絶対に後悔すると思った。けれどナマエちゃんはもう決めたのか、申し訳なさそうに僕の手をやんわりと振り解くのでショックを受ける。ごめんね、小さく放たれた言葉が余計に僕の心を抉ってクラリとした。


「…わたしの願い事は、ドラミくんとビビっとくるような恋愛をする事だっていうのは、前にも話したよね」

「うん」

「わたしが恋愛で悩んでいたように、男の子のナマエくんも恋愛に悩んでいたの、友達であるドラミくんも知ってるよね」

「うん、知ってる」

「…おんなじだと思うの。わたしがドラミくんに出会って恋に落ちたのと同じように、ナマエくんもきっと、ドラミちゃんの魅力に惹かれて好きになったんじゃないかな、って」

「…うん」

「でも、ドラミちゃんにはキッドくんがいる。ナマエくんの恋は叶わなくて、同時にドラミくんという親友も失っている訳で…わたしだけ幸せになる事に、躊躇いを感じてしまったのね」


そう語るナマエちゃんの声は少し震えていて、涙声のように感じた。つられて僕の目頭もじんと熱くなって視界が揺れる。ふと頭に過ったのは、いつも僕の隣で笑っていた男のナマエ。俺さぁもう彼女いらないわぁ。ドラミやドラズの皆が居てくれたら十分。なんて、前いた彼女と酷い別れ方をした時、ナマエは珍しく涙ぐみながらそんな事を言っていた。ナマエか、ナマエちゃんか。親友か、想い人か。どちらか片方しか取れないだなんて、神様は意地悪だ。


「…それがナマエちゃんの決めた事なら、僕は、」


僕はキミを見送るよ。泣きそうな顔でそう笑い掛ける。ナマエちゃんも大概泣きそうな顔で僕を見つめ返していて。もしかするともう少し強く引き留めていたら結果は違っていたのかもしれないけれど。ナマエちゃんの言う通り、もう一つの世界で一人ぼっちなナマエを想うと、もうどれが最良の選択なのかもよく分からなくなっていた。


「っ、ごめんね、ドラミくん、」

「ううん、謝らないで。僕こそごめん。ナマエちゃんを幸せにしてあげられなかった」

「そんな事、ないよっ…ドラミくんと一緒にいるだけで毎日が幸せで、楽しかった。こんなの初めてだったの。多分もう、ドラミくん以上に好きな人なんて巡り会えないと思う」


短い間だったけど、わたし本当にドラミくんの隣に居られて幸せだった。そう、ホロホロ涙を零しながら言葉を落とすナマエちゃんに胸がギュッと掴まれたみたいに切なくなる。僕も、僕も同じ気持ちだ。ナマエちゃんといると楽しかった。恋人らしい事が出来なくてもいい。ただ隣に居てくれるだけでいい、友達のままでいい、そう思っていたけど…。それもこれで終わりなんだね。キラキラと透けていくナマエちゃんの身体に、突き付けられた現実を痛感して泣きそうになる。


「さようなら、ナマエちゃん。キミと出会えて良かった」


きらきら。殆ど半透明になってしまったナマエちゃんの頬に手を滑り込ませると、ナマエちゃんが伏目がちに僕の顔を見つめ返した。彼女の初めてのキスを僕が頂いてもいいものなのか。迷ったものの、そんな時間すら惜しくて結局触れるだけのキスをした。ありがとう。そう言うナマエちゃんの瞳にはまだ涙が滲んでいたけれど、最後に見れたのがキミの笑顔で良かった。ナマエちゃん、元の世界に帰っても元気でね。キミの幸せを、僕はずっと祈っているよ。

ギュウと、離れないようにキツく抱き締める。目の前の光がより一層強くなって、やがてシャボン玉が割れるようにパチンと弾けた。「ドラミ…?」僕の腕の中にいる人物が小さく身動ぎをして僕の名前を呼ぶ。それは何処か懐かしい声をしていて、思わずまた涙腺が緩んだ。


「…うん」

「…もしかして、泣いてんの」

「はは、そう言うナマエこそ、涙声じゃん」

「うるさい。あといい加減離れろ。男と抱き着く趣味は無い」

「それはこっちの台詞だし」


なんて言って、お互い笑いながら距離を取る。僕もナマエも泣き顔を見られるのが何となく嫌で、誤魔化すように星空を見上げた。星は相変わらずチラチラと輝かしく光っている。ナマエ。静かな闇の中で彼の名前を呼べば不思議そうに僕へと視線を向けて、キョトンとした様子の彼にフンワリと微笑んで言ってやる。


「おかえり」


一瞬だけ呆気にとられたような顔をしてから、ナマエもゆうるり口角を緩めてとても穏やかに笑った。ただいま。そう返すナマエの表情は、当たり前だけどナマエちゃんに凄く近しい物があって。今サヨナラしたばかりなのに、早くもナマエちゃんが恋しくて切なくなった。



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