あの時は気が動転していて気がつかなかったけど。全てが終わったのにホッと安堵の息を吐いて、自然と視線が手元の雑誌に落ちたと同時にうわと思った。ナマエのお気に入りのグラビア雑誌、確かに自分は今これでゴキブリを引っ叩いてしまった。ポロリと落ちた死体と雑誌にこびり付く破片にゾワゾワと全身に悪寒が走る。

僕もゴキブリだけは本当に駄目だし叫んでしまいたかったけど、目の前で震えながら涙目になるナマエちゃんを見たらそんな事も言っていられなくなった。顔色を悪くしながらやつを仕留めた瞬間に膝が笑い出す。こんな情けない姿をナマエちゃんに見せる訳にも行かなくて、後片付けついでにナマエちゃんにはもう少し顔を伏せていてもらう事にした。

初めて自分の手でゴキブリを始末したかもしれない…。いつもはお兄ちゃんに頼む事が多いし、無理な時はナマエを呼び出して何とかして貰っていたから。よーし、任せろ!とか、いつも笑いながら絶対に仕留めてくれるナマエと、見るのも無理で泣きそうになりながら縮こまるナマエちゃん。同じナマエでも、ナマエちゃんはやっぱり女の子なんだなぁとか当たり前の事を思った。



で、今の問題はそこじゃなくて。ここで冒頭の問題に戻る訳で。思わず雑誌丸ごと捨てちゃったけどあれはナマエのお気に入りのグラビア雑誌だった。グラビアにお気に入りとかあんの?キモ、と思わず零してしまった事がある。表紙を飾るグラドルがナマエの元カノに似ていたらしかった。見た目だけは超タイプだったんだよねぇとボヤくナマエは、女の子と付き合ってもあんまり長続きしないタイプで。彼女って一緒に居ても息が詰まるし疲れるだけだと年中のように言っていたし、その元カノとが何だかんだ一番長かったと思う。


「…未練タラタラなの?」


一瞬躊躇った末に聞いてみた。ナマエはフラットに笑いながらいや?と首を横へ振る。


「言ったじゃん。顔がタイプなだけだよ」


確かに吹っ切れた顔をしていたし、それは本心なんだと思うけど。その雑誌はナマエのお気に入りで大切にした事も知ってるし、多分無くなった事にはすぐ気付いてど突かれるだろうなと想像して、僕はせめて代わりになる物を買ってあげようとコンビニに立ち寄った。

片っ端からパラパラとページをめくってナマエ好みの物が無いか物色していると、突然後ろからポンと肩を叩かれて大袈裟な程に飛び上がる。嫌な予感を察知しながら振り返ると、ニヤニヤと下劣な笑みを浮かべるエルマタドーラの姿。思わずげっと顔を顰めてしまうとエルも眉を顰めながらお前なぁと言った。


「出会い頭にげっ、とはなんだ。げっ、とは」

「…だって、」

「まぁまぁ、そんな恥ずかしがんなってぇ。健全な男だったらこういう雑誌の1つや2つくらい」


別に自分用に買いに来た訳ではないけれど、否定してこれまでの経緯を話すのも億劫で適当に流していると、僕の隣でエルが同じように雑誌を物色し出したのでつい凝視してしまう。なんか横に知り合いがいると選びにくいな…。


「…お前好み変わった?」

「え?」

「それ、ナマエの好みって感じ」

「あ、やっぱり?」

「え、なに、いくらナマエと一緒にいたからって色々感化されすぎじゃね」

「ちょ、やめて。そんなドン引きの目で見ないで。そういうんじゃないし!僕の好みは前から変わってないからね」


ああ、結局事態が拗れてややこしい事になってしまった。でも弁解する必要も特にないかと判断してナマエへの償いの品は今手に持っているのに決めた。ナマエの元カノ、にちょっと似てる気がする女の子が表紙のソレを手に一応別のもチェックしていると、エルがあっと短く声を発するのでついそちらを見る。


「なぁこれ、ナマエちゃんに似てない?」


トン、と、エルの長い指が差した女の子は、確かにどことなく雰囲気がナマエちゃんに似ていた。少し濡れた髪が肌に張り付いていて、同じく濡れたシャツに透ける肌が官能的で。照れたようにハニカムその表情に思わずどきりとする。


「うわ、意外と過激なんだな」


しかし次のページを捲ったエルがそう零す程、急激に次のカットがR18禁並に過激になったから純粋にビックリした。モザイクはあるけど出るとこ出ちゃってるし、表情もさっきと一変して色気が増しているし。着せられている衣装やメイクもさっきとは打って変わって大人びた印象になっていた。きっと純情なイメージからの艶やかな一面を際立たせようっていう魂胆なんだと思う。ていうかよく見たらそれグラビア雑誌じゃなくて普通にエロ本じゃないか。ちょっと呆れ顔になりながらさっさと会計を済ませて帰ってしまおうと思った所に、エルが「ナマエちゃんも乱れたらこんな風になるのかな」とか良からぬ事を言うのでピクリと眉が反応する。


「やめろ!ナマエちゃんで下品な妄想すんな」

「悪かったって、ちょっとした冗談だよ」


随分とムキになってんじゃん。とか、目を細めながら喉の奥で笑うから気に入らない。


「友達の女の子を庇うなんて当たり前の事でしょ」

「ふーん?」

「…なぁに」

「別にぃ?」


ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、エルマタドーラが次のページを捲ろうとするのでつい雑誌を取り上げてしまった。あっ、とまた小さく声を零して、エルが反射的に僕を見るので僕もエルを見返してやる。「買うのか?」「買わない」「じゃあ俺が買う」すっと手を差し出してきたエルの手をピシャリと叩いて、僕は雑誌2冊を持ってクルリと彼に背を向けた。


「…だめ」


何となく、エルにはこの雑誌を買われたくない気分で。多分このセクシーモデルとナマエちゃんを重ねて見られるのも卑猥な妄想に使われるのも嫌だったのかもしれないと、僕は胸の奥底でひっそりと思って目を伏せた。


「あっそう」


エルがゆうるりと口角を緩めて笑う。幸い店頭に並んでいたのはこの一冊だけのようで。また別の雑誌に手を伸ばしたエルを傍目に、僕は今度こそお会計を済ませて帰路に着いた。しかしそこではたと気が付く。いつか帰って来たナマエに雑誌を渡すという事は、裏を返せばナマエちゃんはもうここにはいないという事になるのだと。そう考えると胸の奥がキュッと小さく痛んだ気がした。



家に帰るなりお兄ちゃんがお帰りと僕の事を迎え入れてくれる。コンビニの袋をリビングのソファに置いて、そのままキッチンで飲み物を入れているとお兄ちゃんがうわと短く声を上げた。


「ドラミにしては中々際どいの選んできたね」

「ちょっと、見ないでよ」

「はいはい」


とか言っておきながら、お兄ちゃんはよりにもよってエロ本の方をパララ、と試し見するので内心気が気でない。それで、見事に、例のページを見つけて僕に言うのだ。


「えっ、この子ナマエちゃんに似てる」


ちょっと顔を赤らめてまじまじと見つめるお兄ちゃんの手から雑誌をひったくった。「似てない」そう一蹴してみてもえ〜?そうかなぁと訝しげに首を捻るお兄ちゃんから顔を逸らす。


「…そういえば、この前ナマエちゃんと一緒だったね、お兄ちゃん」

「あぁ、うん。一緒だった」

「……デート?」


その三文字を紡ぐのに少しだけ時間が掛かってしまったように思う。お兄ちゃんは一瞬だけキョトンと僕を見て、その内ううんと穏やかに首を振った。


「偶然ばったりしただけ」

「そっか。あそこ縁結びで有名な場所みたいだったからさ、ちょっと気になって」


そうなんだ、お兄ちゃんじゃないんだ。ほぅと口から息が漏れる。でもお兄ちゃんじゃなかったら誰なんだろう。考える前に、お兄ちゃんに「お前こそ好きでもない女の子と縁結びに行くの止めろよな」と耳が痛い事を言われてしまって言葉に詰まった。


「う、分かってる、けど」

「程々にしないと、その内痛い目見るぞ?」

「…うん」


でも誘いを断った時の、女の子のしゅんとした顔を見ると胸が痛むから。そんな姿を見たくなくてつい毎回オーケーしてしまうのだ。いつもは女の子とデート中だったら他の人には手を振ったり話しかけたりもしないんだけど、この前はお兄ちゃんとナマエちゃんが一緒にいるのを見てつい手を振ってしまった。案の定女の子には咎められてしまったけど、お兄ちゃんと友達だという事を説明すると渋々というように納得してくれた。

あの日の出来事を思い出して今度は浅くため息。雑誌を手に部屋へ戻ろうとすると、お兄ちゃんが思い出したように言葉を足す。


「それ、絶対セワシくんに見つからない所に隠してよ?」

「…わかってるー」


隠し場所はベタだけどベッドの下でいいか。棚だと漫画と間違って漁られそうだし、布団の下もセワシくんは割と捲ったりするからな…とかおおよその場所を決めつつ、もう一度エロ本のページを捲って例のナマエちゃん似のモデルを改めて見てみる。特集が組まれているのか、他にも卑猥なページが多くて後ろに行けば行く程過激なショットになっていた。ただ、後ろに行けば行く程ナマエちゃんにも似ていないなと思った。大人びたクールな雰囲気が似合ってないっていうのもあるけど。何て言うか、下品。エロければいいってもんじゃなくて。この後ろから玩具で攻められてるやつとか全然似てない。うーん。

首を傾げるように1つ唸って、最終的には一番初めに見たページへと戻ってくる。結局これが偶然ナマエちゃんに似てるってだけだったなぁ。ハニカム表情を見せるモデルさんを目に、僕は自然とナマエちゃんのことを思い出す。それでふと、濡れて透けたシャツを着て照れ笑いするナマエちゃんを想像してしまって。無性に恥ずかしく、そしてとんでもなく申し訳なくなった僕は雑誌を片付けてはあ〜!と自己嫌悪に溺れた。



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