「野原くんおはよう」

「おはようミョウジさん」

「どうしたのー?今日早いね」

「今日はねー、ミョウジさんに納豆克服レッスン第二弾、試して欲しいなぁ、と思って」


てんてんてん、って感じで一瞬無言が続いた後、もしかしてそれ?と持参してきたクーラーボックスを指差された。うんと頷くとさっと一歩下がり露骨に嫌そうな顔をするから思わず笑ってしまう。


「納豆持ってきたから、朝ごはんに食べよう?まだ出勤時間まで時間あるよ」

「うええええいきなり難易度上がりすぎだよ野原くんっ、ううう!」

「大丈夫、このまま食べさせたりしないから。明太子混ぜてあげる」


納豆を取り出すなり柱の影へと逃げてしまったミョウジさんを他所に、俺は納豆を軽く掻き混ぜ明太子を少し入れてよく混ぜた、ひょこっと顔だけを出してこちらの様子を伺うミョウジさんにねっ?と首を傾げるけど「ねっじゃないよぉ」とまた隠れられてしまう。


「わたしクーラーボックス持って出勤する人なんて初めて見た」

「うん、俺も初めて見たぞ」

「…どうしても食べなきゃ駄目?」

「う、無理強いはしないけど。一口食べて駄目だーって思ったら俺が食べるから」


一口でも、無理?恐る恐る、ミョウジさんの反応を伺いつつ訊ねてみると、ミョウジさんは「うううう…うううううん」と頭を抱えて悩みだす。だめ?と、あと一押しでもすれば押しに弱いミョウジさんは折れてくれると思う。それは彼女の優しさだけど弱みでもあって、よく仕事押し付けられてるの見るしそれを思い出すとやっぱり無理強いはしたくない。あっ、だけどそれで残業してるミョウジさんに手伝おっか?って一緒にいられるチャンスと株上昇のきっかけになったからちょっとだけ感謝してるってのはここだけの話ね。

でも優しくて思いやりのあるミョウジさんは俺に小さく頷いた。本当はあんまり困って欲しくないのに、とかちょっと複雑な気持ちで、けれど胸の奥底で嬉しいという感情が溢れて止まらないから矛盾してるなって思う。


「あああ!でも待ってっ、し、仕事が終わるまで、気持ちの整理させてぇ」

「ふふ、気持ちの整理って。まあいいよ?納豆あと二つあるし」

「ふたつ…!」

「じゃあ取り敢えずこれは俺が食べちゃうね」


ねばねば。明太子の味がするそれを一気に食べ切ってしまうと漸くミョウジさんが俺の隣に擦り寄った。明太子、か。ミョウジさんが小さく呟く。出勤時間が近くなりぞろぞろと人が増えてきたのを傍目に、よーし今日も頑張るぞと俺も自分のデスクに戻った。



「てな訳で仕事終わりーっと」

「えええどういう訳っ?ちょっと早送りしすぎじゃないっ?」


あーっという間にも今日一日の業務が終わって残業もちょこーっとして。気付いたら俺たち以外に人は残っていなかったし外も暗くなり始めていた。晩ご飯前、ちょうど良くない?そうミョウジさんに問いかけると諦めたようにため息をついて頷いた。


「…待ってね、先にお手洗い行ってくる」

「ん、いってらっさーい」


納豆をねばねばかき混ぜて明太子も用意しておく。でも暫くしてもミョウジさんが戻ってこないから、俺はなんとなく気になって納豆と箸片手に立ち上がった。ミョウジさんに限って逃げたとかは無いと思うけど、それにしても遅いよなぁ。なんかあったんかな。と、廊下の角を曲がろうとして聞こえたきた会話に思わず足を止めて数本下がった。こっそり様子を伺って息を飲む。お、思わず隠れちゃったけどあれは、


「どうして野原と付き合ってんの?」

「どうして、って…」

「お前、毎日野原に付き合って無理して納豆食ってんだろ」

「…」


田中くん、だ。的を射る発言に自然と表情が険しくなる。ミョウジさん、なんて答えるんだろう。


「う、まぁ」


がーん。どちらかといえば肯定気味の回答にちょっとショックを受けた。分かってたよ、分かってたけどね。気付いたら持ってた箸で納豆掻き混ぜててちょっと納豆の粘り気が増していた。分かってたけど、実際本人の口から聞くと堪えるなあ。


「大体あいつの固定概念おかしすぎんだろ。好きだから交際はするけど、納豆食えないなら結婚出来ないとか。ミョウジはそれで納得出来んのかよ」

「…わたしも、最初は、戸惑ったよ」

「(ミョウジさん…)」

「好きな人に告白されて、両想いなんて夢みたいって嬉しくなった所に突然納豆嫌いなら結婚出来ないって言われて、すっごくよく分からなかった」

「(うわああああ)」

「運命とか結婚を前提にとか、結構重たいなとも思ったし」

「(いやそれは自分でもそう思ってるけど本当にごめんなさいいい!)」

「…なら、」

「でもね、好きなの」

「…」

「納豆は嫌いだけど、野原くんは大好き」


それにああ見えて凄く可愛い人なんだよ、野原くん。と田中くん相手に柔らかく微笑むミョウジさんに胸の奥がきゅうううっとした。まさかミョウジさんに可愛いと言われる日が来るとは。そんな事言っちゃうミョウジさんの方が、絶対かわいい、


「好きなら、なんでもすんのかよ」

「なんでも、っていうか、」

「なんで野原なんだよ。ミョウジ、俺だって、お前のこと…」


はっ、てなった。ミョウジさんの両肩に手を置いて瞳を覗き込みながらそんな事を言う田中くんに全身がぞわっとして、ほぼ感だけで動いてたと思う。あ、やばい、やばい。少しずつ距離を埋めてる田中くんにやな予感しかしなかった。キスとかそんなん絶対許さないぞ。だって俺たちだってまだなのに…!気付いたら二人のとこまで来ていて、驚いた顔つきをした田中くんの顔面に納豆をぶちまけていた。


「の、はらく、」

「うっわ何だよこれ!あり得ねえ!」

「いやぁごめんね、田中くんがミョウジさん口説いてるように見えたから、つい」


ていうか、キスしようとしてたよね。って、言ってしまえば良かった。でもミョウジさんの手前なんとか堪える。口説いてる、って事に対して、田中くんは否定しなかった。


「…田中じゃねえよ、中田だよ」

「「えっ、そうなのっ?」」

「なんでミョウジまで驚いてんだよ!」

「ご、ごめんねっ」


田中くん、いや中田くん?が俺の事を睨むような目つきで見ている。胸の内、むかむかする。前から彼は好かないと思ってたけど、今やっとなんでか分かった。


「行こ、ミョウジさん」

「あ、うんっ」

「あと中田くん、俺たちもう、付き合ってるから」

「…おい、」

「エゴかもしれないけど、納豆かミョウジさんかだったら俺は間違いなくミョウジさんを取る。じゃあ!」


ばっ!と勢いよく片手を上げて、ミョウジさんの手を握ると早足でその場を後にした。


「野原くん、」


少し慌てたような、困ったような声で呼ばれたのにふと足を止める。


「ごめんね、納豆」

「あー…別に、寧ろミョウジさんの唇守れたんなら安いくらいだし」


ていうか大丈夫っ?他になんにもされてない?血相を変えて高橋さんのほっぺを両手で覆うと、照れたように笑ってうんと頷くのでほっとした。


「助けてくれてありがとう、野原くん。さっきの言葉、嬉しかった」

「…うん」


納豆かミョウジさんかで天秤をかけたらそんなのミョウジさんのが大事に決まってるってのが正直なところ。でも、じゃあなんでそんなに納豆ゴリ押しするのかと聞かれたら、回答に困ってしまうのも本当の話で。俺はミョウジさんを、どうしたいんだろう。


「さーてと、お腹空いたし、ご飯にでも行きますか」

「え?でもまだ、納豆、」

「今日はもう納豆お休み。美味しいもの食べにいこ」


納豆かミョウジさんだったら、俺は間違いなくミョウジさんを選ぶ。だけどミョウジさんに納豆好きになってもらいたいとも思う。だから自分でも矛盾してて分からなくなるのだ。

…これはちょっと、じっくり考えてみる必要があるかもしれない。我儘な感情だって分かってるけど。それでもやっぱりこの手を放したくはないんだと、ミョウジさんの小さな手を握りしめながらそう思った。



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