言うなれば、わたしは元はスパイだった。ブラックパンダラーメンを怪しんだとある会社の雇われスパイ。コッソリと潜入して、毎日少しずつ着実に証拠を集めていた。つもりだった。背中のパンダマークがお馴染みである黒を基調とした制服を身に纏って働くわたしを怪訝に思う人なんてそれまで居なかったのに。上層部に上がった途端、幹部に目をつけられてしまったので運が無い。


「あらあら、随分と可愛らしい小姐だこと」

「女の子が此処で働いてるなんて珍しいじゃない」

「アハハ、ウチの両親がブラックパンダラーメンの大ファンな物で」


ふーん?と、まるで目利きするみたいに頭の天辺から足の爪先までを凝視してくるヌンチャック兄弟。じっとり。内心冷や汗を掻きながら、丸くてダサいサングラスをくいと指で押し上げた。しっかり自身の目元を覆い隠そうとするわたしに、双子の片割れがクスリと小さく笑った。


「アンタ、匂うわね」

「えっ!これでも毎日朝シャンして来てるんですけどね!?」


なんてはぐらかしてみるけど、やっぱり幹部の目は誤魔化せないらしい。二人の武器である巨大なソーセージを模したヌンチャクが飛んで来て咄嗟に大きく飛躍する。あ、やば、つい避けちゃった。綺麗に避けたわたしを見てやっぱりと、二人がソーセージをぶん回しながら「アンタ何処の回しもんよ」と問い掛けた。


「それは…」


ジリジリと後退しながら、わたしはポケットに入れていた火薬玉を手にして思い切り床に叩きつける。


「内緒です!」


バチバチと弾ける火花をきっかけに、背を向けて勢いよく走り出した。あっ、待ちなさい!!と私を追い掛けて来る足音に焦って兎に角スピードを上げる。証拠はもう十分に揃った。後はこのピンチを切り抜けて逃げるのみ!避難経路も確認済みだし。行ける。そう、袖の中に隠していた煙幕をばら撒きながら何度も曲がり角を曲がって追っ手を撒きに掛かった。途中にある、人が通れそうな程の通気口を蹴破り、あたかもそこへ逃げ込んだ様に見せ掛ける。そのまま壁を蹴って、蹴って、天井を翻りながら双子が走り去った後の廊下にフワリと着地を決めた。わたしを雇った会社にスパイの適性テストを受けた際、お前は忍者か!と突っ込まれたのを思い出す。まぁ実際、スパイも忍者もわたしからしたら似た様なものなんだけど。そのまま足音と気配を消して、わたしは煙の中に自身の姿を眩ませた。双子は完全にわたしの姿を見失った事だろう。「どこよ、どこ行ったの!?」少し焦った様な声ににんまりと口角が緩んだ。勝ったな。そう確信したし、逃げ切れる絶対的自信がその時のわたしにはあった。予め決めていた逃走用ルートへと切り替え、わたしは着実に出口を目指す。ただこのビルの造り上、逃げられそうな出口はどうしても限られていて。当然待ち伏せにも備えていたし打開策も考えていたけれど、予想外の所でわたしは再び襲撃を受ける事になる。


「…!」


丁度曲がり角の所で、試作品の警備パンダロボと鉢合わせてしまい大きく目を見開く。偽造した社員証を翳そうとするよりも早く、パンダロボがわたし目掛けてトゲトゲボールを何十発と連射してくるのが見えて直ぐに身を引いた。リズミカルに床を蹴り上げて全て避け切った後に、追い討ちのステミタックル。


「(っ、やば!)」


息を整える間もなく、至近距離で再び連射された多数のトゲトゲボールを避け切れなくて。掠めた皮膚からジリッとした痛みに襲われて血が滲み始める。これではキリがない。わたしは思い切ってパンダロボの懐へと飛び込むと、深く息を吸い込みながらめいいっぱいその硬いボディを蹴り上げた。めこ、と、中々重たい音がしたけれど。今ダメージを負ったのは主にわたしの右脚だ。


「いっ、」


た〜い!と泣きべそをかきそうになっていると、突然背後からソーセージ型ヌンチャクが飛んで来て。腕ごと巻き込みながらわたしの身体へと巻き付いた。


「しまった…!」


直ぐに高く飛び上がって躱そうとするけど間に合わない。両足にも別のソーセージヌンチャクが巻き付いて、バランスを崩したわたしはそのまま硬い床へとダイブする。


「つーかまーえた」

「くっ…」


万事急須か。完全に身動きが取れなくなったわたしに近付いて来るなり、双子の片割れがしゃがみ込んでくいとわたしの顎を指先で捉えた。


「アンタ、中々悪くないわね」


どう、私たちの妹分にならない?それなら見逃してあげる、と、予想外の交換条件を持ち寄られて目を瞠る。わたし、スパイだよ?そんな素性の知れない女を妹分にしたいなんて、一体彼らは何を企んでいるのか。露骨に警戒しながら、わたしはおずおずと訊ねてみる。


「…嫌だと言ったら?」

「老板に報告の一択ね」

「一生ヘンダーランドのCMソングを歌い続ける秘孔をついて貰うわ」

「喜んで!妹分になります!!」


らおばん、秘孔、と聞いて即座に首をコクコクと振った。正直、ドン・パンパンの秘孔を突いてくる攻撃は強いを通り声してチートだと思う。エグ過ぎる。既にその犠牲を受けた人たちを思い浮かべて、ゾッと背筋を震わせるわたしに。双子はニヤニヤと下衆な笑みを浮かべながらそうと満足げに溢した。


「じゃあこれから宜しくね、お嬢ちゃん」


しかしこれが地獄の始まりだった。喉が渇いたと言われれば直ぐ様飲み物をお渡しして、疲れたと言われれば丁寧に全身のマッサージをしてさしあげ、部屋が汚いと言われれば必死に掃除をし…これじゃあ奴隷じゃないか!と泣いて訴えたけど、何言ってるのよ妹分の務めでしょ等と、飄々とした態度で言ってのけるのでグググと言葉を呑んだ。妹分なんて名前ばかり。双子は最初から、都合の良いパシリが欲しかっただけなんだ…!


「ほら、何サボってんのよ」

「さっさと床磨いて」

「…」

「「兄弟子の言う事は〜?」」

「く〜っ、ぜっ、たい!」


声を揃えられると倍腹立つな。しかし、これがスパイを失敗した者の定めだというのは重々承知していた為泣く泣く不満を飲み込む。いい子ね〜、とわたしの頭を撫でるその手の平を振り払ってやりたい。けど一応、兄弟子アンド妹分という立場なので大人しく撫でられていると、もう片方がわたしに近付いて来て頬をむに、と摘むので露骨に顔を顰めた。


「なんれすか」

「凄い!モチモチ頬っぺなんだけど!」


その言葉に釣られた様に、頭を撫でていた手がもう片方の頬に伸びて来て同じようにモニモニと摘む。やだ!ホント!なんて、今の凄くオカマっぽかったですねとは言わないけれども。そのまま両頬を摘んだり引っ張ったりしてくるのには流石に顔を振って抵抗した。


「やめて下さい!2人ともわたしで遊んでるでしょう!!」

「やーね、愛でてあげてるんじゃない」

「そーよ、折角可愛がってあげてるのに心外だわ」

「絶対嘘だ」


訝しげにするわたしに構わず、ヌンチャック先輩は相変わらずわたしの頬っぺたや頭を気が済むまで撫で回し揉みくちゃにしていた。因みにこの呼び方をするとめちゃくちゃに怒られる。主にヌン先輩から。私にも先輩をつけなさいよ!と子煩く言われる。そんなヌン先輩がほらと、今日の賄いをわたしの目の前に差し出した。ホカホカと湯気の上がる黒いどんぶりを見て一気に表情を顰める。


「又来了拉面…!」


思わず嘆いて膝から崩れ落ちた。またラーメン!勘弁して。ここに来てから本当にわたしはラーメンしか食べていない気がする。めちゃくちゃガッカリしているわたしを見て、ヌン先輩が「ムシャクシャ成分は入ってないから安心しなさいよ」と言ったけれど、問題はそこじゃないんだよなぁ!


「あら、食べないの?」

「あーんしてあげましょうか?」

「自分で食べられるので大丈夫です!」


茶化してくる2人を押し退けて、箸を片手にラーメンを啜る。凄い、その瞬間ビリっとした辛味が口の中いっぱいに広がって激しく咽せた。こ、これは…!


「とっ、とうがら、げほっげほっ!」


ヤバい、口の中が大惨事だ。熱くて辛い、そして痛い。その内目からも勝手にボロボロ涙が出てくるし鼻水も止まらないしで、火を吹きそうな勢いのまま苦しむわたしを見て双子がケタケタと手を叩きながら笑った。


「さすが、無色無香料トウガラシね」

「食べるまで気付かないなんて、恐ろしいわ」


ほら、と、チャック先輩がわたしに箱ティッシュを手渡して来たので勢いよくぶん取る。直ぐ様文句を言ってやりたいのに、口の中が痛過ぎて喋る事もままならない。代わりにきっ!と強く睨み付けてやるけど、2人は楽しそうに笑うだけだった。


「ナマエ大丈夫?顔面酷い事になってるけど」

「だっ、誰の所為だと、!げほっ、げほ」


うぅ、酷い。わたし虐められてる。完全にオモチャ扱いじゃないか。ひどい。「もう2人の妹分辞めたいです」涙ながらにそう零せば、双子は眉を下げて笑いながらやぁねぇと2人で顔を見合わせた。


「好きな子程虐めたくなるって奴じゃない」

「私たちはナマエの事割と気に入ってるのよ?」

「それに」


ナマエ、あんた自分の立場分かってないの?元スパイの小鼠ちゃん。すり、チャック先輩に頬を撫ぜられて背筋がゾクリとくり立つ。


「逃げられないわよ」

「逃す気もないしね」


クスクスと声を立てて笑う、双子の兄弟子が憎い。全てはあの日ヘマをしてしまった自分自身の所為だ…!あの時もう少し上手くやっていればこんな事には…。ガックリと頭を垂れて項垂れながら、わたしは激しくあの日の自分を呪った。


しかし2人の妹分になって悪い事ばかりという訳でもない。オサレカンフーというだけあって、2人はわたしの見てくれも凄いよく気にした。化粧品や服なんかは良くプレゼントしてくれたし、センスも良かったのでそれは普通に嬉しい。カンフーの稽古というか、手合わせや指導も良くしてくれたのでシンプルに実力向上にも繋がった。流石、ブラックパンダラーメンの用心棒だ。2人から吸収出来るスキルも多くてその辺は得した気分になる。やがて妹いびりにも飽きてきたのか、過度な弄りや虐めも無くなったし。最近は割りかし過ごしやすい日々が続いていた。「あー、疲れた。ナマエ、マッサージ」「はーい」相変わらずパシられてるのは変わらないけど。

そんなある日、ヌン先輩に可愛い可愛い妹分のナマエちゃんにこれあげるわと言って手渡されたのは、白を基調としたチャイナドレスだった。黄色や緑の刺繍が施されていたり、ポイントで袖や裾にピンクが入っていたりと、自然とヌンチャック先輩を彷彿とさせるデザインをしている。いかにもヌン・チャックの妹分という風貌だ。背中にデカデカとついたブラックパンダのロゴマークは正直ダサかったけど、仕方ない。今のわたしの老板はドン・パンパンなのだから。


「ありがとうございます」

「早速着替えてらっしゃい」


出掛けるわよ、と、ヌン先輩が顎で外を差すのでパチクリ目を丸める。買い物、付き合いなさいと続ける先輩に慌ててはいっ!と返事をした。チャック先輩は誘わなくて良いのだろうか。いつも2人で1つみたいなヌン・チャック兄弟なのに、珍しいな。


「喧嘩でもしたんですか?」


着替え終えて、早速わたしを連れ出したヌン先輩にそう訊ねる。ヌン先輩はそのエメラルドグリーンの瞳を丸めると少し驚いた様な顔をして、お馬鹿ねと短く笑った。


「そんな訳ないでしょ。たまたまそういう日だってあるわよ」


うーん、そうか、たまたまか。ヌン先輩がそう言うならそうなのだろうと。わたしはそれ以上深く考えない事にした。買い物というのでてっきり荷物持ちでもさせられるのかと思いきや、ヌン先輩が買ったのは翠玉色をしたワンポイントの勾玉ネックレスのみだったし、何なら「妹分のナマエにも同じの買ってあげる」と、お揃いのネックレスをプレゼントしてくれる始末なので心底驚いた。


「良いんですか?」

「兄弟子だからね。これくらいしてあげるわよ」


あ、ねぇ、水族館ですって。寄って行かない?と、至極穏やかな表情で振り返ったヌン先輩に一瞬だけドキリとする。「良いですよ!」大人しく着いて行くと、わたしも先輩も水族館のアクアブルーに染まって凄く涼しげだった。白くてフワフワと漂うクラゲが可愛すぎて。水槽にベッタリ張り付いたまた暫く動けないでいると、ヌン先輩がその様子を動画に撮っているのに気付いてはっ!と勢いよく離れた。クスリ。ヌン先輩が小さく笑みを零して、ほら次行くわよとわたしを促す。


「あ、待って下さい!」


わたわたと小走りで先輩の隣に並んで、そろりと横顔を盗み見た。けれどバレてしまったらしい。何よと、ヌン先輩と目が合ってしまい誤魔化し混じりにエヘヘと笑う。


「なんか今日、デートみたいですね」


ヌン先輩は少し神妙な顔つきをして何か考える素振りを見せた後、そうねと口角を緩めてわたしを見やった。


「…チャックには内緒よ?」


内緒、という響きで漸く、今日はヌン先輩と2人なのだという事を思い出した。そうすると急にチャック先輩に申し訳なくなって後ろめたくななる。チャック先輩にバレたら、何で私を除け者にするのよと怒ってしまうだろうか。でも、ヌン先輩との秘密はそれ以上に何だか甘酸っぱくて。わたしの胸にドキドキと、心地の良い違和感を残していた。







「あ、チャック先輩良いところに!老板から伝言です」


チャック先輩を見付けて声を掛けた。つもりだった。けれどチャック先輩は凄く苦々しい表情でアンタねぇと不満げに零すのでキョトンと呆けてしまう。


「私はヌンよ」

「えっ」

「いい加減どっちがどっちか覚えてくれない?普通にショックなんだけど」


あれ、あれっ?うーんと、髪が緑だから間違いなくチャック先輩、だと思うんだけど…。内心焦りながらヌン先輩(?)の緑髪を凝視していると、その視線に気付いたらしい先輩があぁと続けた。


「髪、染めたのよ」

「えっ、じゃあ今はチャック先輩が金髪なんですか?」

「まぁ、そういう事ね」

「なんて紛らわしい!止めてくださいよ」

「ふん、髪色でしか判別してないナマエが悪いんでしょ?」

「双子の判別なんて普通出来ないですって」


ちぇー。じゃあ老板からの伝言は伝え直しかぁ。あっ、そうだ。


「この間はありがとうございました!」


思い出した様に鞄からヌン先輩宛ての荷物を取り出す。可愛らしくラッピングされた紙袋を見て、ヌン先輩がこの間?と首を傾げるので教えてあげた。


「ほら、水族館行った時の。ご飯までご馳走になっちゃって、流石に申し訳無かったので」


クッキー焼いて来ました!良かったら食べて下さい。そうはにかんで、紙袋ごとヌン先輩へと手渡す。ヌン先輩は直ぐ思い出した様にあ〜、と返して、わたしにニッコリと向き直った。「別に良かったのに」そう言いながらも、ヌン先輩の指は紙袋のマスキングテープを外して中のクッキーを摘んでいる。さく、さく。


「ん、なかなか美味しいじゃない」


よっぽど気に入ってくれたのか、ヌン先輩の指が止まらない。見る見るうちにクッキーが減っていくので流石に驚いたけど、おいしいと言ってくれるのはシンプルに嬉しくて頬が緩んだ。ヌン先輩にしか用意して無くて、何処かで渡せるタイミングあったら良いなぁと思っていたから丁度良かった。


「チャック先輩には内緒ですよ」


この間のお返しとばかりに、わたしもヌン先輩との秘密を作る。けれどヌン先輩はニッコリ顔のまま、「そう、内緒ね」と意味ありげにわたしの言葉を復唱してぐっと顔を近付けた。


「あれ、」


そういえばヌン先輩、この間買ってたネックレスは…?あれから毎日つけてた様に思うんだけど…、


「(しまっ!?)」


そこまで考えてはっとしたと同時、ヌン先輩(?)がわたしの首元に腕を突っ込んでズルリとネックレスを引き摺り出した。そのままグイと強く引っ張られて、強引に先輩と目が合ったのにヒヤリと肝が冷える。勾玉と同じ、エメラルドグリーンをした瞳。それはヌン先輩の物か、それとも、


「ふーん、アンタ達そうやって私の事仲間外れにしてる訳ね」

「…!」


や、やっぱり!今目の前に居るのはチャック先輩だったんだ…!嵌められた、そう気付いた頃にはもう手遅れで、ち、違うんです!と弁解した所で信じては貰えなかった。何言ってんのよ、違くないでしょと、ジト目で突っ込まれてうっと言葉に詰まる。


「…良いわ、ナマエ今日は私に付き合いなさい」

「えっ」

「何よ、嫌なの?」

「嫌じゃないですけど、」


今度はヌン先輩に罪悪感。この間置いて行かれた事を余程根に持っているのか。ヌン先輩はアクセサリーショップへとわたしを連れ出すと、翠玉色のブレスレットを2つ買って。その内の一つをわたしの腕へと嵌めた。ほら、あげるわよ。そう落とされた言葉の中に、少しの素っ気なさと義務感を感じ取って、わたしは無意識の内にも眉尻を下げて視線を落とす。


「…なんか、申し訳ないです」

「それは何に対しての謝罪な訳」

「…」


何処となく気まずい。見た目はヌン先輩と殆ど同じ筈なのに。この間ヌン先輩とデートした時には無かったドンヨリ感。お互いに気を遣って、無理して一緒にいる感がヒシヒシと伝わってきて居た堪れなくなる。チャック先輩、こんな無理やりなデートをして楽しいのだろうか。チャック先輩も同じ事を思ったのだろう。伏し目がちにわたしの名前を呼んで、私とじゃ退屈?と寂しそうな声色で訊ねた。その顔は、ズルいんじゃないかと、正直思った。


「…退屈じゃないですよ。そう言うチャック先輩こそ、退屈してないですか?」


やっぱりヌン先輩連れて来た方が良かったんじゃ、そう言い掛けたわたしの言葉に、チャック先輩は露骨にむっとした顔を見せて。


「良いのよ!ナマエ、甜品食べに行きましょ」


と、ズカズカ早足でお店へと入って行ってしまったのでワタワタと後を追った。やっぱり、チャック先輩仲間外れにされて怒ってる。ピリピリとした空気のまま注文を終えたチャック先輩にしゅん。あからさまに落ち込むわたしを見て、チャック先輩は益々機嫌を悪くしながらはあと溜息を吐いた。


「…悪かったわよ、ナマエに当たったりして」

「いえ、チャック先輩を置いて除け者にしたわたし達が悪いですもん」

「…」


チャック先輩が口を開いて、何かを言い掛けたのは分かったけど。またもや重たい溜息によって掻き消されてしまう。首を傾げる間もなく、チャック先輩が歯切れ悪く「…ナマエは、」と溢した。


「私とヌンと、どっちが好き」


じっ、と、真剣な眼差しに捉えられて言葉に詰まる。どっちが、と言われても…


「…どっちも好きですよ」


それじゃあ駄目ですか。と、なるべく言葉を選んで答えたつもりだったけれど。チャック先輩は険しい表情のまま、ふいと顔を逸らしてしまったので、それじゃあ駄目なんだろうなぁと何となく思った。


「ズルい答えね、それ」


そういうチャック先輩こそ、わたしとヌン先輩だったらどっちが好きですか、と、冗談混じりに聞こうとして止めた。これはただのカンに過ぎないのだけれど。今のチャック先輩に聞いたらきっと、このフワフワとした三角形が崩れてしまうんじゃないかなんて。そんな風に思えたのだ。


「…ねぇ」


ちゃんと私の事見てって言ったら、アンタ目を逸らさずに私の事見てくれるの。凛としたチャック先輩の声にドキリとさせられる。ヌン先輩のよりも低い、大人のおとこの人の声。困った様に視線を逸らそうとすれば、少し身を乗り出したチャック先輩に頬を掴まれて無理やり視線がかち合った。ヌン先輩と同じ、エメラルドグリーンの瞳。お店の片隅、狭い2人掛けのテーブルで。段々と近付いてくるチャック先輩に、わたしははっと息を呑む。気付かないフリはもう止めろと、遠回しにそう言われている気がした。



20220904


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