「おかえりパパ」 「ただいま、サキ」 「お帰りなさいゆーちゃん」 「ただいま、ナマエ」 至極自然な動きでゆーちゃんが私の横を通り過ぎ、流れる様に荷物を私へと手渡す。が、異変に気がついたゆーちゃんはピクリと眉を動かすなり、そのまま凄い顰めっ面で私へと視線を定めた。 「っておい待て、何故貴様がいる」 「やだゆーちゃん口が悪い!サキちゃんが真似しちゃったらどうするの!ねぇ?」 「う、うん…」 「誰の所為だと思っているんだ誰の!」 「そんな事よりねゆーちゃん…実はゆーちゃんにお願いしたい事があるの」 「…なんだ急に、改まって」 「この書類にサインして欲しいの。あとはゆーちゃんのサインがあれば、ああーっ!?なっ、なんて事を!」 いそいそ、取り出した婚姻届がゆーちゃんの手によってビリビリ、と紙切れになっていく。うえーん、酷いよぉ。折角丹精込めて書いたのに!と非難の声を上げれば、頼んどらん!と怒声が返ってきた。お〜、こっわぁ…。あとちょっとで貫庭玉ナマエになれると思ったのに。そう溢せばギンと鋭い目付きで睨まれる。タレ目の睨み付けるだとぅ?可愛いんだなコレが…。散り散りになった婚姻届の破片が気になるのか。サキちゃんが拾い集めながら「なぁに?これ」と首を傾げた。これまたかわいい。 「気にするな、お前には関係の無い物だ」 「え〜、なんでよぉ。サキちゃんだってきっと、」 「煩い!貴様がいるとサキに悪影響だ!今すぐ出て行け」 わしっ、ぐりん。そんな効果音が付きそうな勢いだった。ゆーちゃんがさっきよりも酷い顰めっ面で私の頭を掴み捻り回す。「やーん、痛い〜」と声を上げて泣いたフリをしてみると、サキちゃんが慌てて駆け寄り「パパ!や、やめて、!」としどろもどろになりながらも止めに入ってくれたのでジーンとする。「ナマエちゃんが痛がってる!」そう静止を入れてくれるサキちゃん、なんて良い子なの…!でも一番嬉しいのはサキちゃんがここまで私に懐いてくれた事かな!初めて会った頃は私の事をゴミを見る様な目で見てたのに、 「あいたたた!ゆーちゃん!痛い!!ガチで痛い!」 「煩いっ!私がいない間にサキを洗脳しよって!!」 「暴力はんたーい!!」 「ぱっ、パパぁ、!」 ゆーちゃんはね、私の初恋の人だったんだよ。なんて、憂いを帯びた顔でずっと胸の内に秘めていた思いを告げたのは、ゆーちゃんが婚約したと私に告げた直ぐ後の事だった。あの時のゆーちゃんの、キョトンと呆けた顔といったら。今思い出すだけでも笑ってしまうし、同時に胸の奥がキュッ、となって切なくなるくらい、私は未だにゆーちゃんに恋焦がれていた。例えこんな、力任せに私の事を追い出そうとするゆーちゃんでもだよ。私の愛は変わらないんだよ。 「うっ、ううっ、首がもげちゃうかと思ったよぉ。うえーん、痛いよぉ」 「ナマエちゃん、大丈夫…?」 「ふんっ、いいかサキ。その女はアマチュアとはいえ女優なんだ。女優は演技が上手い。騙されるなよ」 「で、でも、」 女優。そんな大それた物じゃないよなぁ。と、フニャフニャ泣きっ面を晒しながらそんな事を考える。結局アマチュア止まりだしと昔から卑下する度に、ゆーちゃん私の事怒ってたっけ。まだまだ学生で、ゆーちゃんもピュアで鈍感だった頃、私はよく演技に自分の気持ちを混ぜて好きと言っていた。僅かに顔を赤らめてからかうなと言うゆーちゃんが好きだった。ナマエは演技が上手いんだから、洒落にならんとぶつくさ言っていたゆーちゃん。今まで恋愛なんて無縁だと思ってたゆーちゃんに恋人が出来た辺りから、そんな冗談混じりの好きも言えなくなってしまったけど。 ちらり。私の横でオロオロとする小さな少女を一瞥してみる。紺碧の髪はサラサラで美しい。色白な肌と、クールな目元。その姿は嫌という程ゆーちゃんの元奥さんに似ていて、ゆーちゃんの隣に並ぶ様子を彷彿させた。もしあの時伝えた私の好きが、演技など微塵も混ざっていない純粋な好きだったら。ゆーちゃんは私との未来を選んでくれたのだろうか。 「ごめん、サキちゃん。ナマエちゃんにお水持ってきてくれる?」 「うんっ、わかった!」 パタパタと私の為に水を汲みに走る。そんなサキちゃんが愛おしい。そんな小さな少女の影が、ちゃんとキッチンへと消えたのを見届けてから、私はゆーちゃんに話を切り出した。 「…私にとってゆーちゃんは、いつまでも初恋の人で、今でも私の大好きな人なんだよ」 ゆーちゃん本当は気付いてるんでしょ。私の好きが、もう演技なんかじゃ無いって事。ゆーちゃんが結婚して子供が出来ても、諦めきれなかったって事。でもだからこそ、奥さんが亡くなってフラリと現れた私に、胸の奥が騒ついてしょうがないんだよね。分かるよ。大切な愛娘を護りたいその気持ち。だから私も、サキちゃんの事は一番に考えてる。ゆーちゃんの大事な娘だから。私もそこに溶け込んで一緒に護れたらいいなって思った。だからゆーちゃんにアプローチする前に、私はサキちゃんと仲良くなりたかったしサキちゃんに猛アプローチしてたんだよ。…ゆーちゃんはそれを悪だ毒だって私を非難してたけど。それでも私、大好きなゆーちゃんやサキちゃんと一緒になりたい。 「だから、ね。チャンス頂戴よ、ゆーちゃん」 今でも私、あなたの事が大好きなんだよ。そう、精一杯自分の気持ちを込めて言葉に乗せてみる。でもちょっとばかし感情を入れ過ぎちゃったのかな。じんと胸が震えて目元が潤んだ。いざこうして自分の気持ちを伝えるのは何年ぶりで、ゆーちゃんはまたキョトンとして固まっちゃうんじゃないかと思ったけど。意外にも頬を染めるなり照れた様な素振りで目を逸らすから面食らう。 「ゆーちゃん?」 「煩いっ!からかうのも、いい加減にしろっ」 あぁ、そうだその顔。僅かに頬を染めて余所余所しく外方を向くところ、昔とおんなじ…。久し振りに見た。ナマエは演技が上手いんだからって、こんな見え見えの演技を上手いって褒めてくれるの、ゆーちゃんくらいだよ。 「ゆーちゃんっ!」 私やっぱり、ゆーちゃんの事が大好き!そう、歓喜余ってゆーちゃんに抱き付く。ゆーちゃんは益々顔を赤くしながら、やめろ!と私の頭に拳骨を喰らわせてタンコブを作った。 20200509 |