付き合いというのは大切な物だと思う。相手の懐に入って、信頼させて。ナイフは後ろ手で持って見えない様に。そうして上手く接していくのが、普通のスパイなんだろうけど。そんな訓練を受けた事もない一般人の私には、そんな器用な事が出来る訳も無くて。


「すみません、私は遠慮しておきます」


周りからの誘いは全部そうやって断ってきた。仲良くなるだけ時間と体力と気力の無駄。だってどうせ裏切って、最後には何も無くなってしまうんだもん。そう思っていた。傷付くくらいなら最初から馴れ合わない方がいい、なんて。陰でノリが悪い、愛想が無いって言われてたのにも気付いてたけど、聞こえないフリをした。それでいい、それがいい。私は一人だって全然平気だもん。…本当に?そんな訳ない。そんな訳ないよ…


そうして自問自答しながらも、私はいつだって一人ぼっち。孤独から来る寂しさとこれから起こる恐ろしい未来に震えて泣いてしまう事も多かったけれど。それでも自分の任務遂行の為、唯一の肉身である兄の為だと自分に言い聞かせて頑張ってきた。そんなある日の事だっただろうか。「良かったら一緒にご飯でも行かない?」と、彼から声を掛けてきたのは。


郷剛太郎。今人気の若手イケメン俳優。アクション仮面の、中の人…。そして、今回の作戦の重要人物となる、私たちには必要不可欠となるキーパーソン。どうして彼からご飯に誘われたのか見当もつかなかったけれど、深くは考えなかった。寧ろ都合が良い。いつかは私から彼に近付いて信用を得なければいけないと思っていたから、その手間が省けたと。二つ返事で頷いてみせれば、郷剛太郎は嬉しそうにはにかんで見せた。わ、カッコいい…。イケメン俳優と言われるだけあって、彼のはにかみ笑顔の威力は中々凄まじく一瞬目を奪われる。いけない、しっかりしなくちゃ。気を持ち直しながら、私は郷剛太郎にエスコートされるまま、彼の愛車の後部座席へと誘導されディナーへと赴いた。





「…」

「…」


が、困った…。必要最低限以上人と関わって来なかったツケがここで回ってきたようで。最早コミュニケーション能力がゼロと化した今の私には、この時間が地獄でしか無かった。な、何を話したらいいの!?イケメンの、しかも超スーパースターである郷剛太郎の落とし方なんて私には分からない…!


「(か、帰りたい…最早この空気から逃れたい)」


せめてアルコールでも入れば少しは気が楽になって話やすくなったかもしれないのに、彼が勧めてくるのは全てノンアルコールのカクテルばかりだった。…意外だ。酔った勢いで色仕掛けとかも、実はコッソリ考えていたのに。ちゃんと女の子に対する配慮というか、気遣いがなっている。

チラリ。盗み見るようにして彼の方を見るけれど、その視線に気が付いてしまったらしく郷剛太郎も私の方を見やった。ぎくっとしながら慌てて逸らすと、クスクスだなんて小さく笑われて恥ずかしくなる。


「まだ緊張してる?」

「……はい」

「ふふ、まぁそんなに畏まらないで。取って食べようなんて思ってないよ」


もちろんです。取って食べる気だったら、もうとっくにそういう手段に動いているはずだ。でも目の前の彼はただ淡々と食事をするだけ。時折他愛のない話をして、私に注文したのと同じノンアルコールのカクテルに口をつけて、ナイフとフォークを上手に使い分けながら料理を口へ運ぶ。その動作はやっぱり美しくて目を奪われる物があった。雅っていうか、上品、っていうか。育ちの良さが滲み出ていて、そんな彼を前にしていると益々自分の言動が気になってぎこちなくなってしまう。折角郷剛太郎に近付けるチャンスだったのに…。上手く活かせず、それどころか自分で踏みにじってしまっている気すら感じてずんと気が滅入った。


「おっと、失敬。電話が入ってしまった様だ。少しだけ外すよ」

「あっ、はい…私の事はお気にせず、ごゆっくり」


…はぁ。郷剛太郎の姿が見えなくなってから、思い切り溜息を溢した。何してるんだろう、私。折角のチャンスなのに。全然彼と距離を縮める事が出来ない。…終わったな。郷剛太郎だって、きっと私の事詰まらない女だって思った事だろう。いや、そもそも何故彼が今日ディナーに誘ってくれたのかも未だに分からないままなんだけど。なんにしろ、私はもう二度と郷剛太郎からご飯のお誘いは貰えないだろうと悟って頭を抱える。そうして意気消沈しながら、私はすっかり冷めてしまった料理に漸く手をつけ一口頬張った。さっきまで緊張しまくっていた所為で全然味とか分からなかったけど。「…おいしい」ついそう口元を綻ばせると、すぐ背後から「それは良かった」などと声を掛けられて大袈裟な程に飛び上がる。いつの間に戻って来たのか。郷剛太郎が私の直ぐ真後ろでニコ、と笑って見せるので心臓がバクバクと跳ねた。


「びっ、ビックリ、させないで下さいっ」

「はは、ごめんごめん。これ、良かったら持って帰って」


これ、と、手渡されたのは小ぶりな紙袋。けれど咄嗟に受け取ったそれは中々ズシリと重くて首を傾げる。中を見るとテイクアウト用のサンドイッチが入っていて、私は目を瞠りながら郷剛太郎へと視線を移した。


「今日はごめんね。余計な気を遣わせちゃった所為で、あまりご飯食べられなかったんじゃないかと思って」

「…いえ、そんな…」


彼は、郷剛太郎は全て見透かしていた。その上でこんな、お家に帰ってから気兼ねなく食事が取れる様に気遣いまでしてくれて。


「(…優しいじゃん、郷剛太郎)」


少しだけ、ほんの少しだけ、私の中で彼の好感度が浮上した。しかしそれは由々しき事態だと気が付き直ぐ様我に返る。ダメ、好感なんて持ったら後で裏切る時に辛くなる。そう思うのに、


「次はもう少しフランクな所にしようか。そうだな…カフェとかはどう?」

「……へ、」


次。こんなボロボロな食事会だったのに。彼はまだ私に次のチャンスをくれるというのか。あからさまに驚いた顔をしてしまうと、郷剛太郎が困った様に笑いながら頬を掻いた。


「すまない、ナマエの気持ちも考えずに。もう次の予定は早過ぎたね。勿論、断ってくれても構わない」

「いえ、そうじゃなくて…!詰まらなくないですか、私と居ても。私口下手だから、楽しい会話とか一切出来ないし…」


それでも貴方は、私と一緒にいる時間を作ってくれるんですか…?どうして…。彼の考えている事が分からなくて困惑してしまう。けれど郷剛太郎もくしゃりと苦笑いを零して、伏し目がちに答えてくれた。


「ナマエが気にする事では無いよ。リードするのが男の役目なのに。こちらこそ君に楽しい時間をあげられなくて申し訳ないと思ってる」


だからもう一度チャンスをくれないか。そう、顔を上げて私のことを真っ直ぐに射抜いた彼の瞳にドキリとさせられる。


「…どうして、そこまで私に執着するんですか」


その時既に、私は期待してしまっていたのかもしれない。ドキドキと高鳴る心臓がその証拠で。私は小さく自身の手を握り締めながら、彼の言葉を待った。


「いつも一人でいるみたいだから、気に掛かって。何故頑なに他人を拒絶するのか、ってね。ナマエを見ている内に、どうにかしてその固く閉ざされた心を開いてあげたくなったのかもしれない」


なんて、そう告げた彼にきゅ、と胸の奥が締まる。彼はやっぱり、優しいんだと思う。恋とか愛では無くて。きっとそれは郷剛太郎からの純粋な善意。いつも一人の私を気遣ってくれているだけ。そう思うとほんの少しだけ胸の奥が痛んだ気がした。


「そういう君は?どうして今日来てくれたの?他の人からの誘いだったら絶対断わっていただろう」


それは私が、今話題の俳優郷剛太郎だから?そう自嘲気味に言ってみせた郷剛太郎に暫く黙って考え込む。「…そうです」迷った末に肯定した。その答えが予想外だったのか、彼はキョトンと惚けた後クスクスと可笑しそうに笑い出す。


「っふ、そう、か、まさか、そんなハッキリ肯定されるとは思っていなかったよ…ふふっ」

「すみません。貴方の言う通りです。貴方が俳優の郷剛太郎だから、私は下心満載で貴方に近付きました」


だから幻滅して。私に利用される前に、私の事を嫌いになって。遠ざけて。けれどそれでも彼は、ふんわりと柔和に笑って、言うのだ。


「そう。じゃあ次からは、私も下心満載で君に近付かせて貰うよ」


ノンアルコールのカクテルをわざと持ち上げて揺らしてみせる。溢れ出る色気についドキリとして赤面してしまうと、彼はごめん、冗談と眉を下げて笑いながらグラスに口を付けた。







パチリ。目が覚めて、おもむろに瞬きを繰り返し寝返りを打つ。最近よく夢に見るし、よく思い出す。剛太郎さんと初めて接点を持ったあの日の事。そこから何度も私を誘ってくれて、少しずつ距離を詰めてきてくれた彼の事。剛太郎さんと一緒に居ると、その内私の素がどんどん出てくるから困ってしまった。「笑ってる顔、初めて見た」笑った方が可愛いよ、なんて、よく聞く陳腐な台詞なのにときめいたりして。恋仲になってから彼への想いは余計加速してしまったように思う。スキャンダルになっちゃいますよとさり気なく遠ざけようとしてみても、そうなったら結婚しようね。とか、本当か嘘かも分からない言葉で甘やかされて。ズルい。アクション仮面が結婚ってなったらファンの女の子が許してくれないでしょう。そう思う反面、一番ズルいのは私だという答えに辿り着いてまた自己嫌悪する。剛太郎さん、ねぇ、剛太郎さん。好き、すきなの。でも私、あなたに大きな嘘ついてる。



パラダイスキング、vsアクション仮面。出てくるよう兄に言われた時、いっその事気絶してしまいたいとすら思えた。派手に巻いた髪と、派手なメイク。そして露出度の高いファンキーな服装。いつもの私からは想像出来ない程ド派手なファッションを身に纏う私に、アクション仮面は一体何を思っただろう。私が敵側の人間だというのは、一目瞭然だろうに。無事で良かった。最後まで私の身を心配して安堵の表情を見せた彼に胸の奥がキリキリと痛んだ。いたい、痛くてしょうがない。


「ねぇ、剛太郎さん。私の事、嫌いになった…?」

「ナマエ…、」

「っ、もうこれで分かったでしょ。私に構わないで!自分の心配をしてよ。ずっと、騙してたんだよ?私は貴方の敵なのっ、」


なのにどうして、剛太郎さんは地に伏せながら泣きじゃくる私の涙を拭おうとするの。裏切り者の私に、どうして優しく手を伸ばしてくれるの、


「言っただろう、私はどんな君でも好きだと」


一緒に過ごしてきたナマエの全てが嘘だったなんて、私には思えない。そう告げた剛太郎さんに涙腺が崩壊して、私はボロボロに泣きじゃくりながらその場に崩れ落ちた。結局、兄はアクション仮面に敗れ牢屋行き。それは兄に味方して手引きしていた私も同罪で。大人しく服役している間にも、剛太郎さんは頻繁に会いに来てくれたし、出所する日も迎えに来てくれると言ったけど。ごめんね、剛太郎さん。さすがにそこまで、甘えられないよ。

そうして私は彼と別れる事を決めたのだ。一方的に、書き置きだけを残して。彼の前から姿を消した。アクション仮面の婚約者が犯罪者だなんて、あってはならない事だもの。これ以上剛太郎さんに迷惑をかけたくなかった。私はあなたに相応しくないから…さようなら。大好きだったよ、剛太郎さん。



「(…あれからもう、何年経ったんだろう)」


指折り数えて、苦笑い。今でも時々思い出す。剛太郎さんと初めて接点を持ったあの日の事。そこから何度も私を誘ってくれて、少しずつ距離を詰めてきてくれた彼の事。そして、全てが壊れてしまったあの地獄の事件と、その後も私の事を愛そうとしてくれた剛太郎さんの事を。数年が経った今でも私は、忘れる事が出来ずにいた。あれから社会復帰して、私のコミュニケーション能力も昔に比べれば少しは上がったように思う。会社の飲み会に参加してワイワイと。信じられる?数年前は出来なかった事が普通に出来ている自分を意外に思った。あんなに苦手だった人間関係も、今では難なく普通に溶け込んでいる。仕事は順調だし、悩みを相談できる友達くらいは出来た。残念ながら、新しい恋人はまだまだ出来そうにないけど…。剛太郎さん以上に素敵な人と出会える気もしていなかったから、別にいいやと思っていた。


「ねぇ、ナマエさぁいつまで独り身貫いてんの〜?周りは皆結婚して幸せそうにしてるのにさぁ、寂しいとか思わない訳?」


お酒に酔った同僚にそんな事を聞かれ、ふと考え込む。そりゃあ、私も人生を共に出来る人が欲しいなぁとは思うけど…


「…別に、無理して結婚する必要も無いかなって」

「え〜」


不満そうな声を上げて、また一口ビールを煽る同僚を傍目に見ていた。すると今度は私よりも幾つか年上の先輩くんがスルリと私の肩に腕を回して。「じゃあ俺とかどう?ってかさ、お前の好きなタイプってどんなのよ」と絡んでくるので眉を寄せつつ即答してやる。


「郷剛太郎です」


別に笑いを取るつもりは無かったんだけど。どっ、と上がった笑い声に何だかムッとしてしまう。


「え、何。ナマエって三次元俳優オタクなの?」

「別にそういう訳じゃあ、」

「あ〜、そういえばお前の鞄についてるキーホルダーってアクション仮面だもんなぁ」

「…。そうです、私アクション仮面以外に興味は無いので」


何だか否定するのも疲れてしまってついそんな事を言ってしまう。そのまま先輩くんの手を払おうとするけれど、その前に第三者の手によってペシンと払い除けられたのに目を瞠って固まった。


「え…、」

「だ、そうだ。私以外の人には興味が無いらしいから、彼女の事は諦めてくれないか」

「なっ、」


どうして、ここに…。一瞬幻なんじゃないかとか、会いたすぎて夢でも見たのかなって。でもそのまま私の事を立ち上がらせて強引に腕を引く彼は紛れもなくイケメン俳優の郷剛太郎で…。騒つく同僚達の視線を物ともせず、剛太郎さんはお店の外へと出るなりマジマジと改めて私の事を見やる。


「やぁ、久しぶりだねナマエ。また綺麗になった?」

「剛太郎さ、…なん、で」

「…そんな一方的な別れで、私が納得すると思ったの?」


答えはノーだよ。ずっとナマエの事、探してた。仕事の合間だったから、見つけ出すのに凄い時間が掛かったけど。


「…やっと見つけた」


そう続けた剛太郎さんに鼻の奥がツンとして、涙腺が少しずつ緩み始める。彼はまだ愛してくれていた。私の事、好きでいてくれたんだ。嬉しい反面、周りの人達の目を気にする事なく堂々と登場を決めた剛太郎さんの事が心配にもなってつい大きな声を上げてしまう。


「もっ、剛太郎さんの、ばかぁ!あんな事言ったりして、熱愛報道になったら、どうするのっ、」

「…そうだね。その時はさ、結婚しようか」


そう微笑んでみせる剛太郎さん。私はもう堪らなくなって、ボロ泣きしながら手の甲で涙を拭う。「こんな私でも、まだ好きでいてくれるんですか、っ」そんな問い掛けをする私の事を、ギュウとキツく抱き締めながら。剛太郎さんは私の大好きな優しい声色で言った。


「好きだよ。忘れる事なんて、きっと出来ない」



ー恋人は甘いー



(どんな君でも好きでいるから)
(それはこの先も、ずっと変わらないよ)



20191029

10才誕生日企画リク、稲葉さまより「スパイはすっぱい」の続編


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