大事な用があると言われ来てみれば、飛び出してきたのは姫さまのどうしようもない頼み事で、私では到底叶えてあげられそうには無いそれに苦い顔をする。いや、叶えるには叶えられるが、私には少し荷が重すぎる。もしバレてしまった時のことをこのお方はお考えなのだろうか。私が怒られるのは勿論、もし姫さまの身に何かあったら…

やはり無茶だ、私が姫さまの、影武者になるだなんて。


「ナマエ、頼れるのは其方しかいないのだ」


「…」


「皆には予め、ずっと部屋に籠り生花の稽古をすると言っておく。だからナマエはただ、ただ部屋にいるだけで良いのだ」

「…」

「お前とは幼き頃からの仲故、私の癖や細かい言動、物言い仕草などももう十分熟知しているだろう?」

「…そうですが、姫さま」


目を合わせたら、確実に断れなくなると分かっていた。だから常に斜め下を向きだんまりを決め込んでいたのだが、「頼む、明日限りでいい、一日でいいのだ、頼む」と姫さまに頭を下げられては堪らない。慌てて「お顔をお上げ下さい姫さま!」と言えば、その拍子に目が合ってしまい澄んだ黒い瞳にしまったと思った。


「どうしても、駄目か?」


そんな切なげな目で見られたら断れないじゃないですかぁ。終いにはがしりと腕を取られてしまい、私はため息混じりに頷いた。


「今回だけですよ」


その時の姫さまの、嬉しそうなお顔ときたら。


「さすがは私のナマエだ。そう言ってくれると信じていたぞ」

「はいはい。くれぐれも気をつけて下さいよ?怪我なんて以ての外、」

「勿論、承知している」


どうやら姫さま個人的に、下町にそこまでしなければいけないほどの大事な用があるらしいのだ。最近あの辺りは治安が良くない為姫さまの外出先は限られていた。外出するにしても護衛をつけなければいけないというのが姫さまは窮屈で息苦しいと言っていたのを思い出す。姫さまももう時期婚姻を結んでしまう身、しておきたい事も沢山あるのだろう。心残りだけはして欲しく無かった。後悔したまま、嫁いで欲しくない。だから私は、今回影武者を引き受けることにしたのだ。


そう一度は腹を括ったものの、いざ着物を着せられ化粧を施されるところまでくると不安になってきた。大丈夫だろうか。そんな訳ない、やっぱり無茶だ、絶対バレる。


「姫さま、やめましょう?」

「ここまで来て何を言うのだ。似合っているぞ」

「似合ってる似合ってないの問題ではなくっ、私と姫さまの服を交換しただけではすぐバレてしまいます」

「そこでだ」

「はい?」

「しんのすけからカツラというものを借りてきた」

「桂ですか?」


廉姫さまが得意げにかつら?とやらを取り出し、私の髪を簡単に結うとその上にそっと被せた。これは、一体、


「うん、完璧だ」

「…ちと重うございます」

「だが、これでどこからどう見ても私と瓜二つだぞ」


どこか嬉しそうに言う姫さまが愛らしい。つられるように笑うと、姫さまがではと立ち上がり襖に手を掛けた。


「行ってくる。私がいない間は頼んだ」

「はい。お気を付けて」



そう、姫さまが城を立ってすぐの事であった。初っ端から吉乃さまが部屋を訪れてきたもので、私の寿命は一気に三年程縮んでしまったよ。姫さまらしく、姫さまらしく!バレたら大変と自分に言い聞かせながら話を聞くと、何やら書いておかねばならない文があるとか。え、どうしよう、何を書いたらいいのかさっぱりなのだけれど。手汗が酷い。そして胸の動機も激しい。何重にもして着ている着物の所為もあって余計息苦しく感じる。


「では姫さま、夕餉の時間までには」

「あぁ、分かった」


かたん、小さく音を立てて閉められた襖に脱力する。ほわあああといかにも間抜けな声を出しつつ姿勢を崩した途端、またもや襖が開き瞬時に背筋を伸ばした。私の心臓が、持たない…。今度は家臣の方だった。あ、この人見たことある。そして意外にもこの方にも私が姫さまでないとバレる事なく終わったので、おやと少し拍子抜けしてしまった。もしかすると姫さまの言うとおり今の私は姫さまと瓜二つなのかもしれない。かつらとやら、恐るべし。まさかあの吉乃さまにも気づかれないとは。


その後も昼餉を持ってきてくれた方や生花用の花を追加に持ってきてくれた方など、様々な人がこの部屋を訪れたが誰一人とて私が姫さまでないと見抜ける者はいなかった。おやおや?これなら姫さまが戻るまでの間何事もなく終わりそうだ。なんて安心したのがいけなかったのだろうか。


「姫さま、本日は如何なされたのです。何でも、今日は一日中生花の稽古をするとか」

「あぁ、たまにはな。最近稽古を怠ったせいか、どうも調子が悪いのだ」


一応、卒なく姫さまを演じたつもりだった。しかし又兵衛どのにじーっと見つめられ、内心冷や汗を掻きつつどうした?と何でもないように訊ねれば、なんと彼は目を瞠りながらこう言った。


「お前…ナマエか?」


又兵衛どのが混乱した様子で私の肩をひん掴む。私は私で、やっぱり、だとかさすが又兵衛どのの目は欺けなかったか等と頭の中でぐるぐるさせつつ苦笑い。名前まで断定されてしまってはどんな誤魔化しも効くまい、大人しく認めるしかなさそうだ。


「どうして分かったのです?私が姫さまでないと見抜いたの、又兵衛どのが初めてですよ」

「いやそんな事より、お前は一体何をしているのだ。姫さまはどうした」

「まぁ、そんな事とはお酷い事で。姫さまはお出掛けになりました。なにやら下町に用があるとかで」

「…はぁ、またか。姫さまにも困ったものだ」


パチン。百合の茎を鋏で切る音。又兵衛どのと会話をしつつ花を生けていると、また観察するようにじ、と見られているのに気がつき首を傾げた。


「どうなされました?」

「いや、一見姫さまそっくりだが、こうしてよく見るとあまり似ていない、と思ってな。だがただの影武者としてなら十分だろう」

「う、それは細かい動きが姫さまらしくないという事ですよね。そ、育ちのせいでしょうか…?」


焦りながらもおずおずと口にすれば、又兵衛殿は朗らかに笑って見せる。いや、取り巻く人柄や雰囲気のせいであろう、動作等もさほど姫さまと変わるまい。そう言われてはっとした。ああ、そうか、又兵衛どのは、


「では、そろそろ行くか」

「…姫さまを探しに、ですか?」

「ああ、大方の検討はついている」

「あの、くれぐれもこの事はご内密に。出来れば早めに姫さまを連れて戻って頂きたく」

「分かっておる」


いた仕方ないというように又兵衛どのは立ち上がるが、その表情は何処か嬉しそうだった。又兵衛どのはとても分かりやすい。そしてまた、姫さまも。恐らく姫さまも又兵衛どのが迎えに来るのを待っているんだろうなと思うとどうにも可愛いらしく自然と笑みが零れた。又兵衛どのが私を一瞬で見抜いてしまったのもきっと、その特別な感情からなのだろう。二人の相思相愛っぷりには少し妬けてしまうよ。


「…行ってらっしゃい、又兵衛どの」


見えなくなった背中にぽつり、呟くとちょっぴりだけ切なさを覚えた。




「ナマエどの?何故廉姫さまの格好なんぞしておられるのです」


びっくりした。次に部屋を訪れてきたのは彦蔵さんと儀助さんで、彦蔵さんが「姫さま、本日はお尋ねしたい事があるべく、」と言っていたところに言葉を切った儀助さんに開口一番、ナマエどの?と言われてしまい呆然とする。思わず固まったまま動けない私を他所に、彦蔵さんがおい!と儀助さんをど突いた。


「何を言ってるんだお前はっ、姫さま!とんだご無礼を!」

「はあっ?何処からどう見てもナマエどの、」

「もうよい、大丈夫だ。私は気にしていない」


又兵衛どのはともかく、何故儀助さんにまでバレてしまったのかという予期せぬ事態とこれ以上バレる訳にはいかないという焦りから咄嗟に白を切ってみる。まずい、非常に、まずい。彦蔵さんの反応を見る限り、やはり私の変装は完璧なはず、なのだが。手元の扇子で口元を隠し視線を逸らした時だった。運が悪いことに吉乃さままで入ってきた。絶命的!だって私まだお便り書いてない!今すぐこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られながらもなんとか佇まいを直し姫さまを装い続ける。


「姫さま、先ほど申しつけました文の方ですが、おや、みなさん集まってどうなさったのです?」

「それが、儀助の奴が、」

「吉乃!文の件だが明日提出するのでは遅いか?どうも今日は気分が優れない」

「まぁ、本当ですか姫さま。熱でも?」


彦蔵さんがとんでもない事を言おうとしているのに気づき、話を逸らそうとそう口走ったのがいけなかった。吉乃さまが熱を測ろうと私に顔を近づけ訝しげな表情をした。あ、さすがに、もうこの距離ではさすがにね、「姫、さま…?ではありませんね、誰ですか」ですよねー。

其の後、かつらとやらを取り去り今迄の経緯をみなさんにお話ししたのだが、やはり吉乃さまにはこっぴどく怒られてしまった。しょんぼりだ。儀助さんも吉乃さまも、かつらを取った刹那驚いた様に目を見開いていたが彦蔵さんはその倍びっくりしたようで口をあんぐり開けたまま私の事を凝視していた。どうやら本当に私を姫さまだと思い込んでいたようだ。そしてその姫さまが又兵衛どのに連れられて帰ってきたのは、それからすぐの事で。


「ナマエ、今帰った。一番に又兵衛にばれたらしいな」

「はい。其の後も儀助さん吉乃さまとばれて、こってり絞られましたよ」

「なに、吉乃より先に気づいた奴がいるのか」

「そうなんです。びっくりですよねー。何でばれちゃったのか不思議でならなくて」


何が可笑しいのか、姫さまが小さく声を漏らし笑ったのに小首を傾げる、と、「それは、又兵衛と同じ理由なのだと私は思う」そう言われてきょとんとする。それは一体、どういう意味、で。脳でじっくり考えるとふつふつ頬が熱くなる感覚。


「なっ、違います!違いますよ!」

「ふふふ、ナマエ、顔が真っ赤だぞ」

「っ〜!夕焼けのせいでしょう」


ふいと姫さまから顔を逸らし、風情たっぷりの庭をじっと見つめて落ち着くよう試みる。傾いた日の、橙色がとても美しい。それとなく吹いた風に私と姫さまのそれぞれ色の違う髪がふわりと舞った。


「…それはそうと、姫さま、折り入ってお話しがありまして」

「ん?改まってどうした」

「本日の経験で、私が姫さまに成りすましても十分通ることを身を以て感じました。姫さまを知らない方なら、影武者だと到底気づかれないでしょう」

「…何が言いたい?」

「私、高虎さまの元へ嫁いでもいいですよ。廉姫さま」


姫さまが目を瞠るのに気づかない振りをして、にっこりと満面の笑みを浮かべてみせる。姫さまが、又兵衛どのが幸せになるのなら、私、ずっと影武者になってもいい。だって私、本当にあなたたちが大切で、大好きだから。


「ナマエ、覚えているか。幼き頃、こうして一度だけ、入れ替わった事があったな」

「…又兵衛どのが初めて戦に出る、前日の事でしたね」

「しっかり覚えているではないか。昨日は頑なに影武者を拒むものだから、ナマエはてっきり忘れているんじゃないかと思った」

「忘れる訳ありません。ただ子供の頃は私たちの顔立ちがとても似ていましたから。時間が空きすぎて顔立ちも雰囲気も変わった私に、また影武者が務まるのかと心配したが故の行動です。さすがにもう髪を墨で染める訳にはいきませぬから」

「あの時は誰にもばれなかった。顔立ちは似ているがナマエと私では髪の色だけが違い、お前のその色素の違う髪を、幼いながらに考えた案で墨で染めたのだったな。ふふ、今思い返すととてもくだらぬが」

「ごわつく髪をなんとか整えて、大人しく姫さまの帰りを待っておりました」

「帰ってきた私にナマエ、お前はあの時も今と似たような事を言った」

「…そうでしたか?」

「ああ」


れん姫さま、もしもまた今度、姫さまがわたしを必要としている時が来たならばいつでもお呼びください。わたしは、れん姫さまの為なら一生影になっても構いませぬ。蘇るはもう遠いあの日の記憶。とぼけてはみたものの、今でも割りと細部まではっきり覚えている。今思うと全然子供らしかぬ物言いだなと苦笑し、早くも忠誠心というものを覚えた自分に懐かしさすら感じた。

あの頃の私たちは、庭に植えられた桜の木の幹にすっぽり隠れてしまうほど小さかったというのに。私もあなた様も彼の方も、いつの間にここまで大きくなってしもうたのでしょうか。庭でした隠れん坊の、無邪気なあの笑い声が忘れられない。


「私はただ、あなた様に幸せになって欲しいのです」

「…だからと言ってナマエ、お前の幸せを根絶やしにすることなど、私には出来ない」

「廉姫さま、」

「気持ちだけ受け取っておく、ありがとう。私はお前を、一生私の影にしておきたくない」


着替えてくる。そう、姫さまが袖を翻し部屋へと戻るのを、頭を深く下げ見送った。そのまま暫く顔を上げることが出来ずにいると、後方からナマエどの?と声を掛けられやっと頭を上げる。


「儀助さん」

「どうなされたので?随分暗い顔をして」

「うむ、振られてしもうたのです、私なりの告白をしたつもりなのですが」

「…!?」


そっ、それはとてもお気の毒でっ、し、して、いいっ、一体何方に気持ちをお伝えたので…?などと彼が面白いくらい一心不乱にきょどりながら言った物だから、思わず声を立てて笑ってしまった。


「姫さまにです。姫さまの為なら私、これから先一生影武者を続けますよと申したら見事に断られてしまいました」

「…成る程」


縁側にそっと腰を下ろすと、つられるようにして儀助さんも私の隣に腰掛けた。儀助さんは相変わらず座高がとても高いなぁだとかどうでもいい事を考えていると、不意に名前を呼ばれ彼に視線をやった。すると割りと真剣な眼差しを向けられているのに気付き少しだけ身構える。


「失礼を承知の上で申し上げます」

「はい、どうぞ」

「…その、影武者という割にはあまり似ていないなと思いまして」


ふはっ、と小さく吹き出してしまった。袖を口元に当て笑いを堪えるが、儀助さんのその直球な物言が中々忘れられず、ぷるぷると震え出してしまう始末である。やっと落ち着いてきた頃に「そんなに似ていませんか?」と尋ね、「…なんていうか、雰囲気とか全然」と返されたのにまた口角が緩む。なんというかこれは、確かに、姫さまの仰る通りなのかもしれない。私と姫さまを見分ける事が出来るのはつまり、


「ふふふ、そうだと嬉しいのですが」

「はい?」

「いえ、何でもありません」

「…あまり似てないけど、姫さまの着物はとてもよく似合っていましたよ」

「まぁ、ありがとうございます」

「でも俺はやっぱり、影武者で繕った装いじゃなくて普段のナマエどのが一番好きです」

「…」

「ナマエどの?どうなされた、顔がまっ、」

「夕日のせいでしょう」



ー影も食べられてしまったよー


(なんて、夕日はとっくに沈んでしまったというのに)

20160113


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