豪華客船に一週間旅行をつけて一足先の映画公開という案は、最初はボツを喰らうだろうから何回も練り直して繰り返し提出しなければいけないんだろうなと、凄い身構えながら上にした提案だったから。だからそれがまさかの一回で通ってトントン拍子に上手く行ってしまった事が逆に怖くなってしまう程で。周りからのやったなって言葉も、上からのすごいじゃないかって賞賛も、素直には喜べなかった。

着々と準備が進められていく。その日はあっという間にやってきて、でもまだ実感が湧かない心の中はふわふわしていた。ああ、ついに、今日。


「今日が、最後の日」


鮮やかな夕日に包まれながら、剛太郎さんがヘリから飛んで降りてくるのをお客さんに紛れながら見つめていた。ぽつりと呟いた言葉が胸に染みこむ。その時大きな歓声が上がっていたから、きっと私の呟きは誰にも聞こえてなかった。けれど剛太郎さんが、不意に私の方を見て、ふわりと愛おしそうに笑ったりするから。


「(あーあ、)」


微笑み返したつもりだったけど、もしかすると泣きそうな顔をしていたかもしれない。いけない、いけない、しっかりしないと。自分にそう言い聞かせつつ後ろを振り向き、部屋へ戻った。


「いよいよですね」

「ああ。これも、君の素敵な案のおかげだ、ありがとう」

「剛太郎さん、」


胸がきりきり痛んだ。それでも平然を装って笑うけど、恐ろしい事に彼にはバレバレだった。どうしたの?その言葉に、胸がひやっとする。


「元気無いじゃないか」

「えへへ、最近働き詰めで寝不足だから、かな。でも大丈夫!だって私の、初めて通った企画だから。まだまだ頑張れますよ」

「…そうか。でも無理はいかんぞ?」


頷き、ベッドに並んで腰掛けたまま剛太郎さんの肩にそっと頭を預けた。とても愛おしそうに私の髪を撫でる彼に胸がいっぱいになる。満たされていく、けどそれがまた切なくなって、苦しい。

剛太郎さん。

私凄く、情に脆くて流されやすいの。だから初めてこの計画を考えついてこの社に就いた時からずっと不安だった。上手く裏切れるかな、って。


「ナマエ、さっきから気になっていたんだ」

「うん、なに?」

「今日はその、頼りなさ過ぎないか?」

「なにが?」

「…この辺とか」


この辺。剛太郎さんの手が、私の丸出しの肩へと触れ次に鎖骨をなぞった。わあやらしー。言おうと思ったが、思いの外彼が真剣な顔をしていたので口を紡ぐ。日焼け対策に塗っておいた日焼け止めで剛太郎さんの触れた所が少しだけべたついていた。次からはさらさらタイプの物を選ぼう。


「だって暑くて。南の島ですよ?一般のお客さん達も来るから、だらしない格好は出来ないし」

「まぁ、そうだが…」

「涼しそうでしょう」

「涼しそうだが」

「寧ろ剛太郎さん長袖なんて着ちゃって。暑くないんです?」


脱がせてあげようかと彼の上着に手を掛けた、ら、逆に手首を掴まれてしまいくるりと視界が反転した。シーツの上に髪が散らばる。俳優の郷剛太郎に見つめられて嬉しくない人なんていない。縫い付けられた両手にドキドキと胸が早鐘を打った。


「剛太郎、さ、」

「ナマエ、君はただでさえ無防備なんだ。なのにそんなに肌を出して。気を付けないと、すぐこんな風に襲われてしまうよ」

「無防備なのは剛太郎さんの前でだけ、ですから」

「…!」


剛太郎さんが照れたように頬を薄っすらと赤らめるのが可愛かった。優しく頬に触れ撫ぜた手の平を合図にそっと瞼を下ろせば、優しく優しく口付けされる。まるで御伽噺の中のようだと思った。彼の動作一つ一つがとても丁寧で、優しくて、まるで王子様みたい。

けれど、彼の唇が今度は鎖骨に移動してきて顔を顰めた。衣服を少し下にズラされ、露出した胸元に唇が触れる。そのまま吸い付かれぬるりとした感触に擽ったくなって身を捩るけれど、がっしり固定されてしまい逃げられない。可愛らしくなったリップ音が一つ二つ三つ。王子様みたいと賞賛してあげたその言葉を返して欲しい。ちょっと、剛太郎さん、声を低くして抗議しようとした所で、私の言葉は彼に飲み込まれてしまった。


「ん、」


角度を変えて、徐々に深く。酸素が足りなくて苦しくなるくらいのキスの雨。けれど最後はちゅっ、と唇に触れるだけのキスをして、気持ち良く離れる。


「続きは、この長旅が終わってからだね」

「…うん」


胸がまたちくりとした。今度は上手く笑えただろうか。私は知ってる、この先に起こる、最悪で最低な計画のこと。あなたは知らない、この続きが、きっともう来ないこと。


「郷さん、そろそろ」

「ん?あぁ」


部屋にノックの音が響き、ドア越しにスタッフの声が聞こえて剛太郎さんがそのまま返事をした。立ち上がった彼の上着を咄嗟に掴んでしまうと、彼が驚いたように私を見る。実は自分でもびっくりしてる、何してるの私。



「どうしたの?」

「…ごめんなさい」


剛太郎さんが私の唇に一回、そして前髪を掻き上げると額にも一度キスをして優しく微笑んだ。


「ほら、これを着て」

「…暑いよ」

「いいの?着ないと見えちゃうよ」

「剛太郎さんがつけた癖に」


剛太郎さんがプライベートで着ている、割りと生地の薄い上着を半ば無理やり着せられる。それでも丁寧にボタンを閉められてはやっぱり暑い。けれど赤い華の咲いている胸元を晒す訳にも行かず、私は大人しく彼の言う事を聞いた。


「ナマエ」

「うん」

「まだ名残惜しい?」

「ちょっとだけ」

「ははは、今日は随分と甘えん坊じゃないか」

「…いや?甘えん坊さんは」

「まさか。どんなナマエも、大好きだよ」


一思いに抱きしめられて胸がほうっとなる。けれどいつまでもこうしてはいられない事はちゃんと分かってる、だから自分から、剛太郎さんの胸を押し返して、ちゃんと笑顔で言った。


「行ってらっしゃい」

「もういいの?」

「うん、平気だよ」

「そうか、じゃあまた後で、だね」

「うん」


名残惜しそうにして、どちらともなく身体を離す。ぱたん。閉められたドアの音に脱力して布団に埋もれて。ぐるぐる頭の中で渦巻くのは、ここ数年の思い出とか、記憶とか。

まだ来たばかりの頃の私は、警戒心とか上手くやらなきゃとかいう思いでいっぱいでいつも気を張っていて、周りからも一つ間を置かれていた。それでいいと思っていた。馴れ合わない方が、私にとっては都合がいい。最後の時、無駄に傷つかずに済む。寂しくないかといえば嘘になった。泣いてしまう日もあった。けれど兄の為を思えば、兄の願いだからと考えれば、頑張れた。

そして今回の計画にはアクション仮面という人物が必要不可欠だったから、本当は下心満載であなたに近付いたの。それがまさか、こんなにも私を丸くさせるだなんてあの頃は思ってもみなかったけど。剛太郎さんとこんなにも深い関係になってしまうのは、私にとって本当に想定外で誤算だったのかもしれないね。


「ごめん、ごめんね、剛太郎さん」


兄の考えた計画はとても恐ろしいもので、手伝うことを最初は戸惑ったし出来ないと思った。けれど兄を裏切るなんてことは、もっと出来ない。兄の為なら他人なんて平気で蹴落とせる。確かにそう思っていたのに。あのね、剛太郎さん、今の私には、あなたを切り捨てることなんて、きっと、


「ああ、やっぱり私、スパイなんて向いてなかったんだ」


自嘲気味に笑ったらもっと虚しくなってしまって、細めた瞳から涙が零れ落ちた。スパイになんて、ならなければ良かったなぁ。呟いた声が震えて、そのまま声を押し殺しながら泣いた。


ースパイはすっぱいー



(裏切り者だと知った時、あなたは私を嫌いになるのかな)


20151029


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -