長編 | ナノ
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まさか自分がまた、このチャイムを押す日が来るとは思わなかった。しかもそれがこんな深夜になるとは、それこそ夢にも思わなかったのだ。


×××

重いものって、それでも意外とよく飛ぶんだなあとぼんやり思いながら、私は飛んでくる灰皿を見ていた。ガラスでできたそれは重いわけで、父さんなんかの力じゃまあ当然私まで届くわけもなく、ふいと放物線を描いてそのまま地面に落ちた。地面に落ちたといっても圧倒的な破壊音を伴って。ガラスが割れる音って、よく、ぱりーん、とか表現されるけど現実ではそんな生易しい音ではないのだなと初めて知った。もっと獰猛で、攻撃的な尖った音だ。まるで刃物の先端みたいな。人すら、殺せそう。

「…そんなに文句ばかり言うんだったら、もう出てけよ」

てっきり激昂しているのかと思ったけど、父さんは思っていたよりずっと冷静だった。それとももしかしたら憤りをなんとか押さえつけているのかもしれない。静かに宣告されたその言葉に、頷くこともせず私は自分の部屋に帰った。通学に持っていくリュックサックからテキスト類を取り出して、携帯の充電器と寝間着とできるだけ着まわしやすい服を見繕って突っ込む。引出に入れた通帳も同じように突っ込んだ。あとは化粧道具と、それから。「…やめとくか」机の横に飾っていた家族の写真を入れようかしたが、数秒考えて止めることにした。パーカーを羽織って、ポケットに携帯と音楽プレーヤーを入れる。まあ必要なものがあったら、父さんがいない昼間にまた取りにこればいいだろう。

「いってきまーす」

玄関で小さくそう呟いて、スニーカーの踵を潰したまま穿いた。あ、靴、どうしよう。と思って、一番持ち運べそうなパンプスを右手に持つ。玄関のドアを開ける。外はすっかり闇が支配していた。私が動くことで、その場の空気に波紋が広がるのが肌で感じられた。父さんは最後まで、出てこなかった。

ああ、明日から夏休みでよかったな。家を出てから最初に思ったのはそんなことだった。

×××

「どうしましょうかね、そして」

友達に一応電話はかけてみたものの、みんなこんな深夜に起きてるわけもなかった。大体こんな深夜に突然泊まらせてというのも忍びない。ネカフェかあ、とため息をつきながら夜道を歩いていると、部屋の明かりがついてる家を見つけてふとあることを思いついた。我ながら名案だと思った。だってそこは、幼馴染の青峰大輝の家だったのだから。

「泊めてもらおーっと!」

大輝と会うのは久しぶりだけれど、まあ勢いでなんとかなるだろう。それでも震える足を、なんとかしゃきっと奮い立たせた。なんで私の足は震えているのだろう。先ほどの父さんの目を思い出した。でもきっとそれだけじゃない。そのことには今は気付かないふりをしたかった。

ぴん、ぽーん

チャイムを押す。一回では出てきてくれないだろう。とりあえずドアスコープの前に立つのはやめとこう。意図的に避ける。しばらくしてもう一回押すと確認した風もなくガチャリと扉が開いた。ビンゴ―!とにやけそうになるのを抑えて、できるだけいい笑顔を作る。

「うるっせ「こんばんは!久しぶり、大輝!」…は?」


こういうのは先に言った方が勝ちだ。ていうか相変わらず真っ黒だな。ぶっきらぼうだけど頼まれたら断れないこの人の弱さを、私は知っている。