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「…あんた、何言ってんスか」 「まあまあ大輝くん、いいじゃないか。槻も君の家のほうが暮らしやすいと言っていたんだよ。それに、オレ、再婚するんだ」 「意味が分かんねえ。てかこんなこと電話でいうことじゃないでしょ、フツー」 「そう言わずに、オレの話を聞いてくれよ。それでさ、今日から、オレの嫁になる人がもう来てるんだよ。それと、その子供も」 「…それで、槻が邪魔ってことでいいっスか」 「邪魔なんて人聞きが悪いな。ただ、あの子も急な環境の変化に耐えられないと思うんだ。だから夏の間だけでもいい、君の家で預かってやってくれないか?」 「…あんた、それでもあいつの親なのかよ」 「あ、お金かい?いいよ、毎月君の家にいくらかいれることにしよう。養育費ってことで」 「ンなこと言ってんじゃねえよ!!」 「大輝くん、この通りだ。お願いするよ」 「話になんねえ…っ、槻は、どこにいるんスか、それ、本当に槻が望んでるんスか」 「槻なら、ちょっと今買い物に出してるんだ。だから出せないけど、でも、迷惑にならないのならお世話になりたいと言っていたよ」 「…とりあえず、また連絡します。失礼します」 通話終了ボタンを押す指が、携帯を持つ手が、震えているのが分かった。平気な顔してひどいことを言ってのける電話の向こうの男を、殺してやりたいと思った。どんな気持ちで、槻がどんな気持ちで、今日家に帰っていったのか、分かっているのだろうか。槻との記憶は、正直オレにだってあんまりない。でもあの瞳を、「ううん、寂しくないよ」と平然と言った、両親を責めるような色が全くない瞳を、オレは確かに覚えている。 「火神、わりぃ、オレ帰るわ」 「は?おまえ何言ってんだ」 「…ちょっと、行かなきゃいけないところができたんだよ」 「…仕方ねえなあ。行けよ早く。貸し、一つな」 「サンキュ!」 とにかくサービス残業みたいなもんだ。今日やれなかった仕事は明日また出てきてやってもいいんだ。とにかく今は、槻を探さないと。あのおじさんの言うことは正直信用ならねえ。きっとあいつは買い物なんかに行っちゃいねえ。探さないと。 まずは自分の家に一回帰った。玄関のところに座っている可能性を考えたからだ。小さいころ、家を追い出されたといって心許なさ気に座っていたことがあった。…もし、今回の突然の訪問もそうだとしたら?そうだとしたら…くっそ、どこ行ったんだよ!それから小学校や図書館や商店街など、いろいろなところを探し回った。久しぶりにこんなに走る。現役時代以来かも知れない。膝が、きいきいとなるのが分かった。 「いねえ…どこいったんだよ…!」 どこにもいない。もう、当てがない。どうすればいいんだ。すっかり夜も更けてしまっていた。家に帰ってしまったのか?いや、それはないはずだ。あんな醜悪なところに帰れるはずがない。そこで、昔さつきと槻と言っていた公園を思い出した。ストバスができるコートがあって、それなりに遊具もある公園だ。もしかしたら、というよりは確信に近い予想だった。 「槻…?」 「あれ、大輝ー?なにしてんの?」 ブランコに座っているのが、シルエットだけで人だと視認できた。恐る恐る名前を呼ぶと、能天気な声が返ってきた。がっくり肩を落としながらブランコの手前の柵に腰かける。 「ンだよお前、心配させやがって」 「はあ?意味わかんないんですけどー。なんで大輝が私の心配するの?」 「…なにへらへらしてんだよ」 「…どういうこと?…あー、もしかして、父さんから電話あった感じ?ごめんごめん、昨日の夜中行ったときに言えばよかったねー。びっくりしちゃった?」 「…」 「あ、でも、迷惑なら断ってくれて構わないよ、本当。なんとかなると思うから」 槻は依然としてへらへらと笑い続ける。槻の漕ぐブランコが加速して、ふりが大きくなっていく。自分の頬を汗がたらりと流れていくのが分かった。Yシャツが下着ごと肌に張り付いていてこの上なく不愉快だ。にやにやとすかすかした笑顔で笑うこいつも、同じくらい。 「…すまねえ、気付かなくて」 「なにいってんのー?大輝が謝ることなんて、一個もないじゃん。ていうか、そんな深刻な話でもないし!」 よ、っと言いながら槻はブランコから飛び降りた。未だにぶらんぶらんとふりこは揺れる。 「…オレん家、お前の家にはなれねえけど…槻、家に来い」 「なにそれ!ははっ、命令かよー!」 「茶化してんじゃねえ」 「…」 「…」 「…ほんとに、いいの?」 「ああ。てか、お前がどうとか関係ねえんだよ。オレが来いって言ってんだ、来い」 「どんなオレ様よそれ…」 手を差し伸べる。槻がそれを掴んだのを見て、ぐいっと引っ張った。簡単に腕の中に納まる。昔よりもいくらか、女性的な丸みを帯びた槻の体からはオレの家のシャンプーの匂いがする。「ちょっと大輝…?汗臭いんですけど」「うるせえ、黙って抱きしめられてろ」「ちょ、かっこいいー!大輝くんかっこいい」「ほんとに、もう、いいから。黙れ」そう言うと、さっきまで茶化していた槻は急に口をつぐんだ。代わりに。言葉ともつかないような嗚咽が聞こえる。…泣いている。槻が泣いている。小さいころから、オレの前では滅多に泣かなかった槻が、泣いている。 「父さん、わたし、のこと、もうい、いらないの、か、な」 「…もういい」 「私、もう、邪魔な、なん、だよね」 「もういい」 「ガキだって、笑われ、ちゃったよ…私、でも、私、なりに、ちゃんとっ考えて、それで、出て、いくって、決めたのに、な、のに…!」 「…もういいって」 「私、なんでいつまでた、経って、も、ガキなのか、な。大人に、な、なりたいのに、なんで、子供、なのか、な」 「もういいって言ってるだろ!」 びくりと、その細っこい肩が震えるのが分かった。オレ自身も、自分の声で少し体が震えた。槻は黙ってしまった。夜の温い風が、べたべたとした湿気を運んでくる。 「槻、帰るぞ。…家に、帰るぞ」 「…うん」 「助けて、大輝」 細い細い声は、ともすればオレの聞き間違いかもしれなかった。蝉の声が、ひどく耳障りだ。 |